Voice 2008/5号 連載 16 回 (特別)

ディベート:日本の官僚は優秀か? 肯定派の立論

(『Voice』2008 年 4 月 pp.134-5)

山形浩生

要約: 日本の官僚は、国際的に見ても人数がそんなに多いわけではないし、学歴も立派だし、いろんな日本の社会システムが機能しているのは実は官僚たちの努力のおかげ。給料だって低いし待遇だって悪いし、それなのにあそこまで官僚たちががんばって働くのは驚異。いまのバッシングはほとんどが、過去の官僚ががんばりすぎてみんながそれを当然と思ってるから。コスト上げるなり人数増やすなりしないと、立ちゆきませんぞ。ディベート企画で、否定論は城繁幸が行った。



 まず人材面。日本の官僚たちが日本の最高学府の中でもトップクラスの出身ばかりだ、というのは否定しようのない事実。ぼくは自慢だが結構頭がいいのだ。でも同窓の官僚予備軍たちの優秀さは、このぼく以上だった。かれらが優秀でないというなら、日本のだれが優秀だというのだ。これがお気に召さないなら、残念ながらあきらめてもらうしかない。

 数的にはどうか? 多くの日本人は、なぜか日本は役人が多いと思っているのだけれど、そんなのはウソだ。内閣府経済社会総合研究所が平成18年に発表した調査 (*1)によれば、人口千人あたりの国家公務員数を比較すると、日本は 13 人弱。それに対し、イギリスは 42 人、フランスは 53 人、ドイツは 22 人。日本はかなり役人少なめだ(アメリカは、連邦レベルだと 10 人くらいだが、その分州が強くて地方公務員が多くなっているので比較しにくい)。日本は圧倒的に少数精鋭、ということになる。しかもかれらは給料も少なめで、夜討ち朝駆け徹夜もあたりまえ。執務環境も劣悪だ。つまりは運営コストも低い。

 そして、そのかれらが実現している成果はどうだろうか。行政サービス水準を比較するのはむずかしいのだけれど、インフラはきちんと整い、教育制度もまがりなりにも確立し、郵便もあり、社会はかなりきちんとまわっている。多くの人は、あまりにそれに慣れきっており、その相当部分がお役人方のおかげだということも忘れがちだけれど、一ヶ月ほど途上国で暮らしてみれば、日本がいかに見事に運営されているかは痛切される。そりゃあアメリカと比べてここはどうだ、フランスに比べてあれはダメ、というような細かい欠点はある。あらゆる面で最高とはいえないかもしれない。でも、先進国の一員としてそれなりの水準は明らかに実現されている。

 優秀な人間を集め、少ない人数と少ないコストでそれなりの成果を挙げている――これほどの高いコスト効率を優秀といわずしてなんと言おうか。よって日本の官僚は国際的に見て優秀である。証明終わり。

 ぼくの議論は、基本的にはこれに尽きる。そして官僚に関する議論はすべてまずこの点はおさえる必要はある。もっと改善の余地がある、という議論ならできるだろう。部分的にだめなところがある、ということもいえる。中には時代の変化に対応していない部分もあるだろう。にも関わらず、全体としてのできは、マスコミや政治家があおるほどには悪いものじゃない。これは否定しようがない。

 注意してほしいのだけれど、ぼくは日本の官僚が完全無欠だと言っているのではない。悪いヤツもいる。手抜きをしたり、無能だったりする連中もいる。そして明らかな失敗だってある。それは認めよう。

 でも、それは当然だ。官僚だって人間だ。時にはヘマだってするだろう。かれらだって聖人君子じゃない。酒も飲むし楽だってしたい。そしてかれらだって千里眼じゃない。あらゆるものをすべてチェックし、将来のあらゆる不測自体に備えるなんてことができるわけはない。

 多くの官僚批判は、なにやら不祥事だのトラブルだのの一覧を挙げて事足れりとする。薬害エイズがどうとか、農薬入り野菜が輸入されたとか、耐震審査がどうだとか。こんなに不祥事があるから官僚はダメだ、というわけだ。でも、そうした批判が忘れがちなこと。一つの問題の後ろには、無数の成功があるということだ。きちんと規制されたために決して食卓にあがらず、だれも病気にならず、結果としてマスコミが一切触れず話題にもならなかった無数の食品がある。一つの薬害事件の背後には、官僚たちの規制努力のおかげで阻止された多数の潜在薬害がある。それを無視して、ほとんど例外的なトラブルだけを根拠に、官僚の働きすべてダメ、というような性急な議論は避ける必要があるだろう。

 むしろ、そうした問題が大仰に取りざたされ、官僚批判がとびかうことこそ、まさに官僚の優秀さに対する国民の信頼感を如実に物語っている。例外的な事件であっても、政府の責任は云々と言われるのは、国民がそれだけの監視能力とチェック力を官僚たちに対して期待しているからだ。官僚がダメなら、つまり公共部門はあてにできないということだ。だったら当然出てくるはずなのは、自分たち――つまり民間――で何とかしよう、という議論であるはずだ。官僚なんかあてにしないで、民間で構造診断をしなさい。自分で食い物をチェックしなさい。だが、そうした動きが自発的に大々的に発生している話も聞かない。あれこれ言って、結局は政府――つまりは官僚――がなんとかすべきだ、という話になる。結局、かれらの優秀さを信じているわけだ。

 では、官僚たちが優秀だから何もする必要はないのか? 細かい手直しをするだけでいいのか? ぼくは必ずしもそうは思わない。むしろ近年の多くの問題は、官僚たちの優秀さをみんながあてにしすぎているせいで起きていると思う。それはなんとかする必要がある。みんながあまりにいじめるから、官僚たちだってやってられねえと思いつつある。すでに役人になりたがる東大生は減少傾向にあるのがその証拠だ。だからむしろ官僚たちがもっと優秀でなくなるようにする必要があるのだ。

 優秀でなくなる、というのは、バカになっていただく、ということではない。コスト効率を下げる、ということだ。これは以前に本誌で天下りの効用について述べたとき、隣の連載で若田部昌澄氏が正しくも指摘していたこととも関連する。若田部は、天下りなんかを称揚するのではなく、むしろ役人の流動性を高めることが重要だと指摘していた。おっしゃる通り。だが困ったことに現状では、いまの日本の「優秀な」官僚制がかろうじて成立しているのは、まさにその流動性の低さのためでもあるのだ。

 現在の官僚は、大学在学中にツバがつけられる。比較的若くて夢や希望に燃え、まだ人生金だけじゃないと強く信じているうちに、明日の日本を背負うとか、君の同期のみんなが活躍できるような舞台を整えるのが仕事だ、と言われて公務員試験を受けて官僚となるわけだ。でもそうやって連れ込まれるのは、タコ部屋まがいの世界だ。高く積み上がった書類の山の中、低い給料ときつい労働条件でこきつかわれざるを得ない。その分野についてイロハのイの字もご存じない、昨日やってきた素人以下の大臣のために、小学生じみた答弁書をつくらされ、そいつの失言の尻ぬぐいをさせられて、政治家のガキみたいな朝令暮改じみた思いつきにいちいちまじめに取りくまされる。まともな神経ではとても耐えられまい。しまった、と思っても流動性が低いので、容易に他には流れられない。かれらを支えるのは、自分の仕事への自負、その裏付けとなる権益、そしていまのマイナスを将来的に補うはずの天下りその他の将来利益だ。

 流動性が低いからこそ、官僚は悪い条件でもやめられずに、残って仕事をしてくれる。出入り自由なら、いまの条件では人はばからしくて仕事をしないだろう。そして、流動性が低いからこそ、その分野の知識や人脈が蓄積できて、それが現在のかれらの「優秀」さにつながることにもなる。その一方で、労働条件が悪い以上、かれらが自分の仕事の重要性を確認できるのは、自分の権限を使ってそれなりに威張れ、そしてそれ故に民間業者がヘコヘコしてくれる、という場面だけとなってしまう。

 というと、いや高級官僚は給料は低くない、日本の平均賃金よりは高いんだ、と言い出す人がいるんだが、日本平均と比べちゃ意味がない。同じ学歴、同じ歳くらいでどうなっているだろうか。同期のやつらと話をすると、まあどう見ても民間のほうが稼ぎはいい。現在、若手の官僚が外資系企業などに流れる例が増えているという。これまた、民間のほうが条件がよいことを示す逸話だ。確かに若田部の指摘するとおり、民間との人の行き来が増えればうれしい。だが現在の条件の下では、流動性をヘタにたかめようものなら、出超になるのは目に見えている。それを避けるためには、官僚の労働条件を上げることだ。給料などを引き上げて、一方で人数を増やし、一人あたりの仕事を減らしてやる必要が出てくる。そうでないと民間から入ってくる物好きなんかいない。

 そのやり方は必ずしも給料引き上げだけとは限らない。アメリカでも、役人の給料は民間ほどじゃない。でも、ある歳までに公共部門の役人になると、かなりの年金がつく。民間企業で経験を積み、世の中の状況がわかっている人が年金目当てに公共セクターに入ってくるので、人的な交流もできる。これはなかなかよい仕組みだと思う。他にもやり方はあるはずだ。

 これが実現したら、官僚たちが置かれているいびつな労働環境は改善される。現在の官僚たちの優秀さというのは、平たくいえばかれらが給料分以上に働いている、ということだ。つまり、少ない人数で、少ないコストで、高い行政サービスを提供している。でも、この改善策が実現したら、かれらの仕事はもっと給料に見合ったものとなる。それなりの人数で、それなりのコストをかけて、それなりの行政サービスを提供する――つまりは、いまほど優秀とはいえなくなるわけだ。

 が、それは必ずしも悪いことではない。天下りもなくなる、仕事のやりがいを見いだすための変な権益依存も減る。結果として、官僚が官僚であるが故につきまとう、よかれ悪しかれ変なスティグマも消えるだろう。一部の人の異常な優秀さや聖人君子ぶりに依存するような制度は、いずれ破綻する。その前に――いまの官僚たちの優秀さをあてにできる間に――もう少しかれらにとって楽な制度を作ってあげないと、日本の将来もつらいと思うんだが。

*1 内閣府経済社会総合研究所『公務員数の国際比較に関する調査』(2006)


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