Voice 2007/1号 連載 2 回

「創作者」は思い上がってはいけない。

(『Voice』2007 年 2 月 pp.110-111)

山形浩生

要約: 著作権延長の議論で、創作者側は自分の苦労だの家族の苦労だのばかりを強調するけれど、苦労が多いのは他のあらゆる仕事だって同じ。お金目当てじゃなくて仕事の充実だってみんな目指す。創作者とやらだけが特別だと思いなさんな。むしろ大した責任がない分、気楽な稼業なんだから。



 先日、「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」のシンポジウムに出演してきた。いま、著作権の保護期間は、作者の死後50年だけれど、それを死後70年に延長しろという声が出ている。それを議論する場だ。そしてぼくははっきりとこの延長に反対する立場だ。

 なぜのばしたいの? 延長賛成派は、金のためじゃない、という。ただ、自分が心血注いだ作品を少しでも多くの人に広めて評価してほしいからなのだ、と。でも、それがネットなどで無料で使われるのは、なぜか評価のうちに入らないんだとか。そして自分の家族にそれをなるべく残してやりたいのだ、と。

 でも、今回のシンポで、ぼくはこの議論の根底にあるもっと根深いものをかいま見たような気がする。それはクリエーターたちが内心で抱いている、歪んだエリート意識と無知だ。それがもっと露骨に出たのが、会場の写真家団体の代表者から出たコメントだった。一般の連中は、適当に給料目当てに仕事して家やアパートを買えるし、何の努力もせずにその土地が値上がりしたりするけど、自分たちはよい作品を作ることだけを考えて必死でがんばっているんだ、とその人は述べた。だから期間延長すべきだ、という議論らしいのだ。

 さて、ぼくはこうして物書きとして活動している。でもその一方で、ぼくは一介のサラリーマンでもあり、途上国の道路や発電所づくりの手伝いをしているのだ。サラリーマン側のぼくは、なんか給料目当てで適当に仕事しているのか?

 そんなことがあるわけがない。仕事をしている人の多くは、最大限の成果をあげようとして必死でがんばっているのだ。プロジェクトXのエンジニアたちは、適当に給料目当てで働いていただろうか。土地や建物だって、人がそれをもっと上手に使い、収益をもっと上げることが可能になるという見込みがあるから値上がりする。それも人の努力と知恵の結果でしかない。

 それを念頭に、本だの音楽だのといった創造から目をあげて、まわりを見回してほしい。本誌の読者のみなさんも含め、ほとんどの人は、何らかの価値を生み出す活動をしている。それはみな、それぞれに大変であり、尊い。その中でアーティストだの作家だの写真家だのの活動だけが何か特別扱いされるべき理由はあるだろうか? すべての仕事は価値を創造する行為なのだ。

 ぼくたちの目に触れる各種の著作は、もちろん文筆稼業の人が書くことが多い。そういう人たちは自分の職能を重要に見せたいから、創作の生みの苦しみだのなんだのをやたらに美化する。「われわれは一般の人には想像もつかないような苦労をし、命を削って創作しているのだ」というわけだ。でも考えてみれば、文筆稼業だの写真家だの音楽家だのといったクリエーター稼業がずいぶんお気楽なものだ。どんなにへまをしたところで、せいぜい自分と家族が路頭に迷うのが関の山だ。でもエンジニアが計算をまちがえれば、橋が落ち、家電が出火して人が死ぬかもしれない。ぼくが途上国援助の財務計算をまちがえたら、途上国の経済が傾くかもしれない。多くの仕事は、他人と社会に対する大きな責任を背負っている。自然、そこにこめられた熱意と慎重さだって、お気楽な「創作活動」なんかとは比較にならない。

 それを考えたとき、著作権というものが不思議に思えないだろうか。蕎麦屋は自分の蕎麦が死後50年収益をあげることなど要求しない。エンジニアだって自分のかけた橋からの収益が死後懐に入る心配なんかしない。なぜお気楽な「創作」活動だけにそんなものが認められるのか? それは別に、創作者の仕事が他の職能に比べて尊いからじゃないし、かれらが他の職業の人々より努力をしているからでもない。単に、かれらの仕事の表現媒体が、複製が容易で保存のきくものだから、という純粋に技術的な理由からだ。蕎麦屋の蕎麦は、30分でなくなり、複製もむずかしい。絵や写真や文章は、たまたま残るし、複製もできるし、その利用も補足しやすい。それだけのことなのだ。

 世の中の権利や義務というのは、全体の中のバランスで決まっている。権利期間を死後五〇年から七〇年にのばせということは、そのバランスを変えろということだ。なぜそのバランス変更が正当化されるんだろう。すでに述べた通り、苦労してるとか、家族のためとかいう理屈が、クリエーターたちの専売特許じゃない。まして、最近になってかれらの苦労度合いが相対的に増したか? まさか。創造の苦労は知っている。家族を思う気持ちもわかる。でも、それは他の人も同じこと。出版不況だのCDが売れないとかいう愚痴もあるけど、日銀の不手際のデフレ不況で苦しんでるのはあなだだけじゃない。あなたたちの権利だけ増やせと要求する道理がどこにあるだろう。アーティストだの作家だのだからって、思い上がっちゃいけない。そして社会は、そういう思い上がりに根ざした安易な要求を認めるべきじゃないのだ、とぼくは思う。


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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