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トマス・ピンチョン東京行

(トーキングヘッズ叢書 4 『ピンチョンで大いに遊ぼう』1993年12月)

山形浩生<hiyori13@alum.mit.edu>



 トマス・ピンチョンが東京にきて真っ先にしたのは、まず国電山手線に乗って五周ばかりぐるぐると、まずは内回りに、それから外回りに乗ることだったという。もちろん、その話を聞いたときには、これがまさかあのトマス・ピンチョンだとは知らなかったもんでで「まあ何と物好きな毛唐かしら」と思っただけだったけれど、考えてみればピンチョンであっても相当な物好きにはちがいないな。とはいえ、これはどこへ行ってもとりあえず路電やバスの終点まで乗ってみるというぼくの習性とも、なんとなく相通ずるものがあって、人の聞くことにまともに答えようとしない変な奴だけど、まあ何とかつきあっていけそうだ。初対面の印象はこんなものだった。

 そもそもの発端は、知り合いから「友人が日本に行くのでよろしく」と言われたのがことの始まりだった。時は未だ八十年代末、こっちはまだ暇な大学留年生だったし、まあ多少は相手をしてやろうという感じで引き受けたのだけれど、待ち合わせのホテル・オークラで出てきたのはいかにもヌボーッとした髭ヅラの白ん坊。家でゴロゴロしてるほうが似合ってそうだなあ、という感じだった。口数が少ないと言ったけれど、時々ブツブツひとりごとみたいなのを言ってるし、しゃべる時はえらくしゃべる。一度あったのが、大井町でビデオ屋の横を通ったら、急に店に入ってあたりを見回し、「ショー・小杉はないのか!」と舌打ちしてからあまり借りられた形跡のないプレスリー映画を手にすると、これはどうのこうので、ああなって云々、といきなり機関銃のようにしゃべりだし、そのまま次から次へとプレスリー映画の粗筋や見所を説明し続け、その途中でいきなりまた向かいの棚にあったゴジラを手にして、「これは天下の大傑作!」と絶賛した挙げ句に、こんどは「モスラ」に手を出して、「あの小人(註・ザ・ピーナッツのこと)は何て歌ってるんだ」と急に質問してきて、「あれは別に意味のあることをうたってるわけではないが」と説明して一応あの歌を教えてやると、その日一日それを練習し続けて、途中まではいっしょに歌ってやったが夕方頃には頭がおかしくなりそうで、それでもまだ嬉しそうに口ずさんでいたのは決して忘れられないだろう。

 物書きだ、という話は聞いていた。が、具体的に何を書いているのか尋ねると、「まあ小説とか」としか言わない。どんな小説だ、出版されてるのか、と尋ねると、「まあ、なかなか書くのが遅くてさ・・・ところで昨日、ヤマノテ・ラインっつーのに乗ったが、面白いもんだ」とわけのわかんないほうに話をそらせて、五周も乗ってどーすんだ、と聞くと、「だって、いつまでも乗ってられるから楽しいじゃないか」とか言うのだけれど、そーか、あの「V」の地下鉄ヨーヨー男のベニー・プロフェインっつーのは、自分のことだったのね、と思ったのは、もちろんかれの正体を悟ってからの話である。

 かれの正体がわかるきっかけになったのは、三回目くらいに会ったときに(ちなみにかれは日本に一月滞在した。ぼくもべったりくっついていたわけじゃないから、三回目というのは初めて会ってから十日目くらいだった)かれのメモ帳をふとのぞきこんで、ゾイドがゾイドが、と書かれたのを見たことだった。ぼくは慎み深いので、もちろんこの「ゾイド」というのが何なのか敢えて尋ねはしなかった。だって盗み見自体あまり感心したもんじゃないし、「ゾイド」なんてなんだか三文SFに出てくる宇宙人の名前みたいだから、きくとしたら「なあんだ、お前は三文SF作家だったのか!」という話になって、どうも具合が悪い。だがもちろん、後の一九九〇年に出た「ヴァインランド」の一ページ目でぼくははたと思い当たることになる。そうだったのか・・・。もちろん、かつて本誌に掲載された「ヴァインランド」の部分訳を読んだ方ならご承知だろうが、ゾイド・ホイーラーは「ヴァインランド」の主要登場人物の一人である。そうだったのか・・・

 そういえば、ということで、すべては一見符合するかのように思えるのだった。だからかれは、自分の仕事の話をしたがらなかったのか。三文映画マニアのカウチポテトぶりも、「ヴァインランド」では如何なく発揮されており、機上のプレスリー音楽から富士山麓で発見される巨大足跡から「ゴジラ」や「ゴーストバスターズ」から、あたりかまわず登場してくるのだけれど、あの男ならさもありなん。町全体がカウチポテトの町、なんてのも登場するのよ。

 「ヴァインランド」はアメリカ政府の予算縮小で放りだされた、六〇年代のヒッピー運動に潜入して活動家を売り渡していたエージェントが、昔の怨みを抱く人々に狩り出されるような話なんだけれど、狩る側の一人がダリル・ルイーズ略してDLという名の、日本で合気道のような格闘技の訓練を受けた女で、それがいまじゃアメリカで忍者コミューンみたいなのを作ってるんだけれど、そのエージェントへの復讐のため、日本の売春クラブに潜入して、標的だと思った相手に三年殺し(知らない人は、「空手バカ一代」等梶原一騎原作の空手マンガを参照のこと)をかけるんだけれど、それが人違いで云々というのがあって、かれの目的は、このあたりの部分をきっちり取材したい、ということだったのだろう。
 それなら、もう少しちゃんとリサーチすればいいのに。「ふみもた たけし」ってどっから拾ってきた名前だ? ちなみに「ふみもた たけし」というのは、人違いで三年殺しをかけられる日本人研究者である。が、これい限らず日本関連の記述は、おそらく故意に(かれはショー・小杉のファンですからね)、いかにも三文映画ステレオタイプ的な歪みがかけられていて、われわれとしてはくすぐったいような感じだ。忍者が見たいとか、わけのわからないことを言ってたが、もちろんこれはアメリカのくの一たちの話をこさえるための材料だったわけだ。日光江戸村と飛騨高山の忍者屋敷を教えてやったら、なんだかノコノコ出かけて行ったらしい。それっきり音沙汰なしだけれど、知り合いの話では、日本の後は香港にでかけたとか言っていたが、できあがった「ヴァインランド」を見ると、香港にはあまり長居はしなかったらしいね。

 「エントロピー」と「重力の虹」の(タイトルとしての)印象が強いため、ピンチョンは「理系作家」みたいな言い方をされることが多くて、新作についても「究極のコンピュータ・ノベルらしい」なんていうガセねたを平気で流す人たちがいたけれど「ヴァインランド」にはそういう性格は微塵もない。先に述べた通り、これはカウチポテト・コミック小説とでも呼べそうな代物だ。

 これまでの作品だって、コミカルと言えば十分にコミカルな部分はあって、この点でぼくは「V」が一番好きなのだけれど、でも、作品全体を覆うトーンはどちらかと言えば暗い感じだった。「エントロピー」がいい例だし、「競売ナンバー四十九の叫び」も最後近くに自分がもはや逃れ難い世界に巻き込まれてしまったことを知って泣くエディパ・マースって、すごく悲しかったでしょう(ちなみに「競売ナンバー四十九」から、ウェンデル・"ムーチョ"・マース(覚えてる? 主人公エディパのご亭主よ)が「ヴァインランド」に友情出演している)。「ヴァインランド」はそれが不思議に明かるい。さいごにカルマが正されて、すべて収まるところに収まってしまうなんて、これまでのピンチョンの小説では考えられなかったことなのだけれど。そもそもこれまでのピンチョン小説って、収まるところなんてものが最初からなかったのだから。「重力の虹」を読んで深刻ぶっている人は、たぶん「ヴァインランド」を読んで失望すると思う。でも、ぼくはこっちのほうが好きだ。十七年かけて、何やら不思議と軽く、明かるく。ポップになってしまう作家というのはいかにも楽しい。そしてもちろん、それを多少なりとも手伝えたのは、ぼくの大いに誇りとする部分である。

 それにしても、あの知り合いは、かれがピンチョンだというのを知ってるのだろうか。知っていても、素直には認めそうにないし、万が一ちがっていたら発狂したと思われそうなので、まだぼくには聞いてみる勇気がない。それとも、あれはただの代理人だったのかしら。


掲載時の編集部註:トマス・ピンチョン氏と連絡がとれなかったため、本稿の内容には一部確認のとれていない部分が存在する。また、筆者の山形氏も現在アフリカで消息を断っており、疑問点などについての最終的なチェックが不可能であった。このため、本稿には事実と異る内容が含まれている可能性がある。ご留意されたい。

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