未来形セックス「クラッシュ」

(トーキングヘッズ叢書2号「J. G. バラード」1992年)

山形浩生
 
 

 金塚貞文が、情報化社会における情報化されたセックスの形態としてのオナニーというようなことをしきりに語っている。それは、すでにわれわれの知っている右手(あるいは左手)の運動としてのシンプルな概念を越えて、資本主義下の商品購買行動や通常のセックスにまで及ぶ、現代世界の一つの基盤となっている、と。あるとあらゆるものが性的情報を発するが故に、われわれは常に発情状態に置かれている。置かれていないと、ポルノを買ってきたり借りてきたりして、自ら発情してみたりする。こうすることでわれわれは、壊れてしまった生殖本能(そして結婚)のかわりに種としての再生産を保証しようとする。だが、それが純化されるにつれて、逆にその基盤は危うくなる。性的情報が普遍化するとともに、性的情報による刺激から、実際の生殖行動までの距離は増大し、常時発情は生殖行動の増加を保証してくれなくなるのだ。

 「クラッシュ」でのセックスは、金塚貞文的な意味でのエロティシズムとは無関係なところに存在している。ということは、つまり現代的なセックスのいかなる在り方とも離れたところで存在している、ということだ。もはや生殖とは無関係な機械的な行為となっているのは言うまでもない。バラードの世界のセックスは常に不毛な行為だった。「夢幻会社」までは、暗い不妊と死がかれの世界の女たちの基調だった。「クラッシュ」でもそうだ。そしてまた、「クラッシュ」の世界の人々は、通常の性化された商品(つまり、性的な情報を援用することで、実用的価値から離れた商品価値をひねりだしている商品群)に昂ぶっているわけでもない。かれらはむしろ、そういった情報が破壊されたところに喜びを見出している。たとえば、壊れたフェンダーが脚と形作る角度とか、事故でついた傷とか。性的情報のコードから言えば、肉体についた傷のような、肉体の物質性を象徴するようなものは極力回避され、脱臭化されたつるつるの肉体情報だけが流通の対象となるはずだ。そして、事故のような一回性の偶然で生じた角度に興奮されるのも困る。確実な興奮と射精を得るためには、大量生産が前提となるのだから。しかし、そうしたものはここでは無視される。

 するとここで扱われているセックスとは何か。正直言って、ぼくはときどきここで語られているセックスについていけなくなる。ひしゃげたボンネットはそんなにいいだろうか。肉体にハンドルが押し付けられていると、おもわず勃起してしまうだろうか。確かに、そこにはついのぞきこんでしまいたくなるような魅力はある。しかし、それが性的だろうか?

 もちろん、いまはまだ性的とは言えないのかもしれない。「事故自動車展をやったら、みんなすごく興奮してコンパニオンが襲われかかった」とバラードは言うけれど、やっぱりわが身を振り返って考えて見ると、どうも納得できない。訳者の柳下毅一郎は、「二〇世紀末のわれわれにとって最大の体験はメディアとテクノロジーだ。人間にとって最も強烈な感情はエロティシズムだ。よって、われわれはテクノロジーにエロティシズムを感じてしまうのだ」という理屈をこねているけれど、この論理は、論理としてまったく成立していない。最大の体験が最大の感情を産み出すとは限らないでしょうに。

 しかし、バラードが問題にしているのは、事故につい群がってしまうわれわれの精神の働きなのだ。それは生物学的な本能とはまったく離れている。動物は、何か事故があれば、そこから離れようとするだろう。まったく何の理由もないその心の動き、それは通常の、性的情報に動機付けられた情動とはまったく異なる。そうした商品化可能な性的情報からまったく自由な誘惑、それはむしろ純愛に近いものなのかもしれない。あるいは好奇心なのかもしれない。だが、バラードはそこに、通常の性愛とは異なる新たな愛の胎動を見ているのだ。

 金塚貞文は、ある日、人々が目覚める日を夢見ている。性的情報だけが一人歩きしはじめている現在、いつか人がその空しさに気がつき、その結果として、商品の性化を根本に据えた、現代のハイパー資本主義の世界は一瞬にして消えうせるかもしれない、と語っている。その後に何が来るのかは、まだだれにもわからない、と。だが、バラードが「クラッシュ」で提示しているのは、まさにこの性に裏付けられたハイパー資本主義以降のセックスなのだ。エレン・ダトロウ編「エイリアン・セックス」というアンソロジーに挙げられていたセックスは、基本的には現代の様々なセックスを外挿したものにすぎない。この本にも収録されているジェイムズ・ティプトリー・ジュニアだって、現在のセックス資本主義を越えるものは提示できていない。ただ一人、バラードのみがそれをやってのけた。だから「クラッシュ」はすごい。それがあたるかどうかなんて、問題じゃない。
 
 
 
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