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啓蒙する死体群

居並ぶシャム双生児たちと胎児の群れ――ムター博物館にて

(別冊宝島『怖い話の本』)

山形浩生(取材協力:ローラ・リンドグレン)

 ムター博物館は、フィラデルフィアのダウンタウンのど真ん中に位置している。フィラデルフィアは、その昔かの野口英世せんせいもおべんきょーなされた由緒正しい街であり、ボストン、ニューヨークと並ぶ、いや、一時はそれを上回るほどのアメリカの医学教育の中心地の一つ。一般には、アメリカ独立がらみのいろいろなイベントがあった街としてのほうが有名だろう。

 ビジネス街の高層ビルが立ち並ぶ区域と、れんが造のタウンハウスが並ぶ区域のちょうど境目、ちょっとでも経済事情が好転すれば一瞬にして再開発のターゲットになりそうなあたりだ。現にバブル期の地上げで、周辺の建物がぽつぽつと虫食い状に取り壊され、駐車場となっている。

 そのなかの、ツタに覆われた古めかしいビルの一角にこの博物館はある。

 地元の人間なら、この博物館の名前はみんな知っている。が、実際に訪れたことのある人はその半分くらいだろうか。「ああ、あのなんだか気持ち悪いやつね」というのがぼくの知り合いたちのほとんどの反応だ。「そのうち行こうとは思ってたんだけど、なかなかきっかけがなくて……」

 建物の外には、何の表示もない。重たいドアを開けて受付で「ムター・ミュージアム……」と告げると、正面の階段横のドアが示される。入館料二ドル。決して大きな場所ではない。入ってすぐに全体が一望できるくらいの、二階建ての吹き抜け式の一室。全体が薄暗く、古めかしい調度で統一されて、オリジナルの十九世紀医学コレクションの雰囲気を保っている。展示用キャビネットはすべて木製の重厚な代物。入って正面の壁には、創設者ムター教授の肖像画と、そして壁の半分を覆う百以上もの頭蓋骨の群れ。十九世紀に、形態人類学の研究用に世界各地から集められたコレクションの一部である。頭蓋骨がこれだけ並んでいるのは、カンボジアのキリング・フィールドでの慰霊碑以来だ。

 吹き抜けをはさんで反対側にあるのが、このムター博物館の名物、せっけんおばさん。十八世紀に黄熱病で死亡し、アルカリ質の土に埋葬されて全身の脂肪分が石鹸状になった中年女性の死体である。隣には、彼女の身元や正確な死亡年代を決定すべく行われた調査結果と、その時に使われた彼女の全身のレントゲン写真が展示されている。まさかこのおばさん、自分の死体はおろか、その中身までがこのように衆目のもとにさらされてしまうとは想像だにしなかっただろう。ちなみに彼女、決して安らかな死に顔とはいえない、悶死っぽい顔を見せてくれている。同じ場所に埋葬されていたせっけんおじさんもいるのだが、こちらは現在、ワシントンのスミソニアン博物館の奥深くにしまいこまれている。

 その横の棚には皮膚病のろう模型が山ほど飾られている。中でも有名なのが、フランスの角の生えた女性の顔面模型。横には、別人からとられた角の実物が並んでいる。

 横の小区画は、医療機器の展示にあてられている。また、吹き抜けぞいには目下の企画展、『接続された人々――シャム双生児の実像と虚像』が並ぶ。

 階段を降りると 成長段階別の胎児のホルマリン漬け。アメリカ初の見世物シャム双生児の石膏模型とその検死解剖結果。死産のシャム双生児たちのびん詰め標本。頭一つでからだ二つの子供の骨格。巨人症、小人症、平均人の骨格が並んだ骨格模型。開きにして防腐処理をほどこされ、十字状に腕を広げて頭頂でぶらさげられた子供たち。極度の便秘で大型トラックのタイヤ並みにふくれあがった大腸の標本。頭を縦横にそれぞれ輪切りにして断面を見せた模型。

 有名人方面では、リンカーン暗殺犯ブースの人体標本。任期中に極秘で顔面手術を受けていた、第一次大戦頃のアメリカ大統領などが並ぶ。

 この博物館のすばらしさは、こっちのゲテもの趣味をとことん満足させてくれると同時に、それが学問的な意義と根拠をもった、正しい悪趣味であることを有無をいわせず納得させてくれるところにある。すべての標本は、もともと医学用の正式なものであり、展示の説明もきわめて詳細。その医学上の意義や歴史が、じゅうぶんすぎるくらいに克明に記されている。「ここは徹頭徹尾、医学教育のための展示施設です。それ以外に、ここのような形で死体をさらしものにすることを正当はできないでしょう」と館長のグレッチェン・ウォーデンは語る。

――ここはそもそも、どういう経緯で生まれた施設なんでしょうか。

「一八五六年に、ジェファソン医学校外科教授だったトマス・デント・ムターが引退するに当たって、自分のコレクションをこのフィラデルフィア外科医カレッジに寄付したのが発端です」

――その方は、なんでこんな死体や人体標本なんかを集めてたんでしょうか。趣味ですか?
 「いやまさか。当時の医学教育では、講義の教材は全部担当教授が自分でそろえるのが通例だったんです。ムター教授は特に、実際の症例を目で見ることの重要性を強調していた方だったので、こうした模型や標本収集には人一倍熱心だったんです。引退するにあたっても、そのまま埋もれさせるのはもったいない、医学教育のためという最初の目的を果たせるような形で保存・公開ができないかということで、ここに寄付されました」

――ということは、ほかの医学校でもこうしたコレクションは大なり小なりもっている、ということになるんですか?

 「もっている、というよりもっていた、というべきでしょう。確かに、この種の施設はかつてどの医学校にもありました。でも、医学教育が変わるにつれて、こういう模型や標本を使った講義は廃れてきました。一方で学校経営はどこも厳しい状況だし、結果として第二次大戦後、こういう形の展示施設は続々とつぶされていって、今ではよほど熱心な教授がいない限り、どこの学校を探しても見あたりません。ボストンのハーバード・メディカル・スクールにはすばらしいコレクションがありましたが、最近になって見る影もなく縮小されてしまいましたし。つぶして、そのスペースを教室なりオフィスなりに使った方が、学校としてはまあ賢明でしょうね。わたしでもそうするでしょう」

――じゃあ、ここが残ったのはどうしてなんでしょう。

 「だってここは、教育目的は持っていても学校ではありませんから。この博物館が所属しているフラデルフィア外科医カレッジというのは、今の『大学』という意味での『カレッジ』ではありません。ここはむしろ、カレッジということばの元の意味の、いわば同業者の友愛組織です。で、ここの創設主旨に、外科医たちの交流とともに、一般市民の医学に対する認識を高め、啓蒙する、というのがあるんです。啓蒙のためには、実際に目で見せるのが一番(特に当時は医学生たちもそうやって学んでいたんですから)。そういうわけで、非常にはやくからここは一般市民に公開されていましたし、いままでずっと続いてこられたわけです」

 確かにここの公開性は、他の同種の施設と比べてきわだった特徴だろう。開設当初は医学関係者専門だったが、やがて外科カレッジの会員の紹介があればだれでも見学可能となり、今ではそれすら不要である。オランダのフロリック博物館、ベルリンの病理学博物館など、スケールや内容面ではムター博物館に優る施設は多いが、ここのようにいつでも誰でもふらっと見物にこれるというものではない(アポを取っていかないと見学できない。ただし、いずれも電話一本ですむし、うるさい身分チェックや手続きもないから、意志さえあればどうということはないが)。

 「ああ、フロリックをご存じですか。ヨーロッパのほうはすごいですよね。ここのすべてを二十倍に拡大したくらいの規模のところばっかです。博物学の歴史が長いですから。ここを創設したムター教授も、フランスでこの種のコレクションをいろいろ見て感激したのがそもそもコレクションを始めるきっかけだったと言いますし」

 この博物館の存在は、その筋の人々の間ではそれなりに知られていたが、見学者の多くは近隣の高校の生物の授業の一貫での見学ツアーや、医学校や看護学校などの利用が中心だった。それがここ数年、パブリシティに力をいれたせいもあり(フィラデルフィアが一時の絶望的な不況から回復し、街としての魅力を増したのも大きな原因だとは想像されるが)、来館者は急増を遂げている。現在、年間一万七千人がここを訪れ、市の博物館案内などでも(その扱い方はともかくとして)必ずといっていいほど取り上げられる、穴場的な名物施設となっている。

――来館者の反応って、どんなものでしょうか。

 「いちばん多い質問は『これ、本物ですか?』というものです。もちろんながら、ここにある標本や模型はすべて本物です。あるいは、本物から直接とった模型です。
 あとはまあ、こういうのがまるでだめな人というのは当然ながらいます。他はもう、人それぞれですか」

――これ……なんと言っていいかわかりませんが、ふつうの博物館では決してお目にかかれない、すごいものばかりですよね。最近のこうるさい人権団体とかから、生命の尊厳がどうこういって文句がきませんか?

 「いや、この施設は、おもしろ半分の見せ物とはちがいますから。一般市民の啓蒙と医学知識の普及のための展示です。シャム双生児や奇形の展示も、興味本位のものならただではすまないでしょう。でもここは、それが実際に存在していること、そしてどういう形で存在しているのかを知ってもらうのが目的です。どんな団体でも、そこらへんはちゃんとわかっているようで、文句や抗議のたぐいは特に受けたことがないですね。

 人権団体の方たちは、むしろここの展示品を借りにくることが多いです。中絶反対グループが胎児標本を借りていきましたし、おもしろかったのが、その直後にこんどは中絶賛成グループの人たちが同じ標本を借りていったことです。ここの展示そのものが、いかにニュートラルなものであるかを物語っていると思いますが。

 あるいは最近では、国連軍が旧ユーゴに出かける際に、ここに来てあの入り口のところの頭蓋骨を計っていきました。あそこには東欧系の標本が非常によくそろっていますから。死者の識別に使うんですね。形態人類学者なら、骨を見ただけで人種、性別、年齢の区別がつけられますが、そのためのデータが必要だったんですね。頭蓋骨はワシントンのスミソニアン博物館もかなりもっているはずなんですが。

 よく言われるのが、『この博物館は前世紀の遺物を集めてあるだけで、現代的な意義がない、ただのごみためだ』という話なんですが、こうした例を見ても、それが的を射た批判ではないのがおわかりいただけると思います。むかしのような形で医療教育に使われることはなくとも、まったく別の形で現代の課題に役立つことは十分に可能なんです。それに、本や文書や写真以外の形での医学・医療の歴史記録だって必要でしょう」

――しかし、意地の悪いいいかたですが、ここにある標本の多くは決してノーマルな教育用の人体模型という感じではないですよね。奇形や奇病、あるいはせっけんおばさんに代表されるような、珍奇なサンプルがかなりの部分を占めているでしょう。シャム双生児の標本を見せたり、あるいはせっけんおばさんの死体を見せることの教育効果って、いったいどんなものなんです?

 「それは……もちろん、それらが医学的に興味深いサンプルだということもあります。標本にしたのは、医者や研究者であって、われわれではありませんから。が、一般の来館者にとっての意味は、最終的には、世の中そういうこともあるのだ、ということです。作り話ではない、実際にそういう人々が暮らしていた、あるいはそういう現象があった、という事実です。たとえばあなたは、本当に人間に角が生えることがあるのをご存じでしたか?」

――いいえ。おとぎ話の中だけのことだと思ってました。

 「普通はそうですよね。ここにきて、角のはえた人の模型や、角の実物を見れば、そういう認識が変わるでしょう。おとぎ話の、角の生えた半人半獣の話についても、見る目が変わってくるんじゃないでしょうか。もちろんそういう知識をどう使うかは、その人しだいでしょう。

 せっけんおばさんの場合は、それがどう分析されて、何がわかったかというプロセスも重要でしょう。こういう珍しい標本の場合、切り刻むわけにはいきませんから」

――なるほど。ところで、基本的にここは、その前世紀末の資料保存が主体なんでしょうか。決して予算的に恵まれているとはいいがたいと聞きましたが、新規のコレクションというのはあるんでしょうか。どういうルートで入ってくるんですか?

 「もちろんコレクションは常に増やし続けています。古いものばかりではありません。もっとも、まっさらの死体をここで標本化する、ということはありませんけど。

 予算的な制約はあります。が、まずこのカレッジ自体、学校ではないので政府の補助金カットや生徒数減少などの影響はありません。そして博物館自体も、経営的にある程度は自立していますから。入館料に出版物の販売、それとコレクションの貸し出しです。

 ここ数年は、新規コレクションの購入予算はゼロです。でも、そもそもここのコレクションの多くは、お金で買うという代物ではありません。だってたぶん、死産のシャム双生児の死体を売ってくれと言っても、なかなかご遺族は承知はしてくれないでしょう。ですから新しいコレクションは、すべて寄贈でなりたっています。個人が所有していたコレクションを引き取ってくれ、というケースも多いですね。特に最近では、標本と同時に医学機器や用具のコレクションにも力を入れています。新規の展示物はほとんどがこの機器類です」

 確かに、ぼくにとってこの博物館で一番アレだったのは、ロボトミー用の手術道具だった。ご存じだろうか? ロボトミーって、前頭葉切除と訳されるが、ちゃんと頭をあけて切除するのではない。まぶたのところから目玉の上に棒をつっこんで、前頭葉につきさしてぐちゅぐちゅかき回すだけなのである。それの改良版と称して、麻酔かけるのも面倒だと電気ショックを与え、神経を一挙に麻痺させて手術を行う方式が、にこやかにデモを行う開発者の写真とともに展示されている。もちろん、その突っ込んだ棒の動かし方を細かく説明したマニュアルなんかもあって(「目の上部を支点に、棒の先端が正中線から一センチのところまで達するように、左右に動かすべし」)、見ているだけで頭蓋骨の内側がムズムズしてくる代物だ。

 「そうでしょう、そうでしょう。あれは当館では、せっけんおばさんと並んで評判の高い展示です。わたしが『レターマン・ショー』(アメリカの人気テレビ・トークショー)に出た時も、あれを持っていって実演してみせましたが、好評だったみたいでその後も何度かお座敷がかかりましたよ」

――カレンダーに使われているのに、見あたらない展示物が結構ありますね。

 「ええ、博物館の常として、スペースの都合でしまってあるものが多すぎて残念なんですが……そうですね、でもせっかくいらしたんですから、ちょっと倉庫をお見せしましょう」

 そう言って彼女は、オフィスの隣のドアを開けた。ずらりと移動式のロッカーが並んでいる。

 「あの、足を子どものころから縛り上げて小さくするというのは、日本でもやっていたんですか? ああ、支那だけですか。あれの実物の標本がこないだ入って来ましたよ。あれをやりすぎて、そのまま足が腐り落ちてしまった人がいて、くっつけられないと知るとそのまま足を医者のところに置いていったんだそうです。で、それがめぐりめぐって……」

 そう言いながら、二十列ほど並んだロッカーの一つをあけて、引き出しを指さした。そこを開けると、長さ六センチほどの、くしゃくしゃになった足がごろんと転がっている。てん足。写真では見たことがあるけれど、実物は初めてだ。ミイラ化して縮んでいるとしても、もともと十五センチ以上だったとは思えない。

 「その足用の靴とかも寄贈していってくれましたが、ほとんどおもちゃみたいですね。
 こっちの棚は、防腐処理した人体が入れてあります」

 彼女がたなをあけると、ものすごい臭気がむっと漂う。なかには、皮をはがれ、部分的に切開された腕や脚や腰がゴロゴロと無造作に転がっており、冷蔵庫用の脱臭剤の箱がいくつかいれてある。

――これは……死臭、ですか。

 「いいえまさか。この防腐処理の薬品のにおいです。でもまあ、似たようなものですか。このロッカーは、中身と臭いのせいで、職員の間では『死の小部屋』と呼ばれています、アッハッハ」

 目玉の模型、梅毒ですかすかになった骨の模型、もちろん頭蓋骨は山ほど。

 「あと、こちらにあるのがウィリアム・オスラーの大理石製検死解剖台。十九世紀末に、ペンシルバニア大学医学部教授として活躍し、同時にペンシルバニア総合病院で臨床もなさった方です。日本の医学会でも有名な方で、日本オスラー協会のみなさんがいらしたときには、この解剖台にすごく感激なさってなで回していらっしゃいましたね。ついでに、その上にのっかっているびんに入っているのが、そのオスラー教授の脳です」

――脳って、本物の、ご当人の脳、なんですか?

 「もちろん本物です。言ったでしょう。ここにあるのは全部本物だって。オスラー協会の方たちも、『おお!』と感極まった感じでしたよ」

――……それって、単にびっくりしてうろたえてただけじゃないですか。どんな記念館とかに行っても、ふつう本人の脳味噌がホルマリン漬けになって展示されてたりはしないでしょうに。レーニンやホーチミン(というか、その後継者たちと言うべきかな)ですら、そこまではしませんでしたよ。これ、かなり悪趣味だと思いません?

 「え、別に。当人の遺言でもありますし。ああやって自分の解剖台に乗っていると、脳もうれしそうでしょう」

――……(そういう問題かなあ)

 映画『フランケンシュタイン』にも登場していたが、一時は人間性や人格は脳の形態に依るのではないかと考えられ、このオスラー教授もかなり真剣にその方面の研究を行っていた。研究そのものは否定的な結果に終わっており、脳の大小や形態と知能や人格にはあまり関係がないことが明らかになってきているが、十九世紀末以来のコレクションを誇る当館には、当時のなごりで犯罪者の脳やてんかん症患者の脳など、さまざまな脳のホルマリン漬けが納められている。またオスラーとともにそうした研究に取り組んできた、アメリカ人体測定学協会のメンバーたちの脳も保存されている。かのウォルト・ホイットマンもこれに共感して脳を寄贈したが、これは後に事故で床に落とされて、処分の憂き目にあってしまった。

 「こっちが骨部屋です昔、ミュージシャンの(ジム)フィータスが来まして、この手の骨の標本がえらくお気に召したようでしたっけ。

 展示室の隅では、黙々とパステルで骸骨の絵を描いている人がいる。

 「ここの絵が描きたいというので、今日みたいな休館日に入れてあげてます。最近は、公開日には人が多すぎて絵やインタビューにはとても応じきれませんから」

――そういう依頼は多いんですか。なんか、いかにもホラー映画に出てくるマッドサイエンティストのラボという感じですから、映画の撮影希望とか結構あるんじゃないですか。

 「映画は、今のところないですねえ。あっても、もちろんスプラッター映画に協力したりすることはないでしょう。でも、写真家や画家の方たちはたくさんいらっしゃいます。真面目な意図のアーティストたちにはこちらもきちんと対応しています。カレンダーに使われている写真はみんなその成果です。一番有名なところでは、写真家のジョエル・ピーター・ウィトキンでしょうかね。かれはもう常連です。

 ただ、そういうのは非常に気を使いますね。当館はあくまで医学知識の普及が目的ですから、あまり見せ物めいた処理や、おもしろ半分のふざけた代物は認めるわけにはいきません。だから、かれがうちの所蔵品を使うにあたっては、すべての写真は発表前にこちらがチェックすること、そしてこちらが同意しなかったものは無条件で破棄すること、という同意のもとでやってもらいました」

――結果は……

 「上々でした。もともとかれは非常にシリアスな写真家ですし、不真面目な扇情写真を撮るような人物でないのはわかってました。それでも最初のうちは、うちの名前は絶対に出さないでくれと念をおしておいたんです。ムター博物館の名前を出していいことにしたのは、かなり最近のことです。カレンダーにも使わせてもらいました。すばらしい出来ですね。

 ただ、かれが最初に来たときは、好きに撮っていいと言って目を離したら、びんから胎児を取り出して並べだして、いやあ、あれには参りました。二度目以降は、標本はケースからは出してもいいけれど、びんや保存剤から出していけない! という条件も加えましたけれど」

 ムター博物館のカレンダーは、多くの写真家の手になる当館の所蔵品の写真を集めたもので、すでにコレクターズ・アイテムとなるほどの人気を誇っている。

――カレンダーは非常に好評だそうですが、どういう経緯で……

 「パブリシティと、それにもちろん経営的な配慮ですね。最初は本をつくろうと考えてたんですが、それはちょっと重い。絵はがきというのも出ましたが、ちょっと不謹慎かな。で、ああでもない、こうでもないと話をしているうちに、もっと手軽なものとして出てきたのがカレンダーです。もともとの腹積もりでは、ここの外科カレッジのメンバーや、医学コミュニティを主なターゲットに考えていました。が、かれらは全然買ってくれません。まあ、考えてみれば、どこに飾るんだという話はありますわな。患者のほうとしては、診察室とかに美しい死体や人体標本の写真が飾ってあったら穏やかではないだろうし、家の壁にかけるかというと、毎日生の人体を扱っている医者たちが家に帰ってまでこういうのを見たいかとなると疑問ですよねえ」

――すると主な購買層というのは?

 「やはりアート系の書籍を扱っているような書店や通販、アンダーグラウンド系の書店、それとレコード・CD屋ですね。ヘビメタや、オルタナティブ系ロックのファン層に非常に人気が高いです。

 それに伴って、来館者もそういう層が増えてきています。『うぉう、死体だぜ、本物だ、Cool!』と喜ぶような子たちです」

――それは博物館側としてはどう思ってらっしゃるんでしょうか。

 「うーん、わざわざ来てもらえるのは非常にありがたいですが、一方で、このカレッジは比較的落ち着いた雰囲気ですし、会員の方々も、なんというか、どちらかと言えばインテリ層の方々ですので、それなりに違和感はありますね。目立つのは確かですし、そうなると『あの博物館とやらは、本当に市民の啓蒙という趣旨に沿ったものと言えるだろうか? 来館者はあの種の反社会的な若者層ばかりではないか!』という声も出て来ます。決してここに好意的な人ばかりではありませんから。

 ただ、ホラー映画なんかの出来の悪いフィクションばかり見てきた子たちが、実物をまのあたりにするというのは決して無意味なことではないと思います。今の医学や医療の方向では、死体とか病気とかをなるべく社会から切り離して人々の目から隠そうとしますね。でも一方で人は確実に死ぬし、病気にもなるし、だれしも完全にそうした話題から無関心ではいられません。何らかの興味はあるんです。関心はあるのに、情報はない――そういう状況で非常に不正確で不健全な神話や妄想がはびこりますし、ホラーやスプラッターはある意味でそこにつけこんでいるわけです。正直いって、いわゆるホラーの多くは、わたしたちが観るとあまりにいい加減で、ほとんどコメディに見えてしまうんです。

 もちろん、ここへくるだけで、すぐにそうしたフィクションから逃れられるわけはないんですが、でも一部の人たちだけでも『なんかちがうぞ』というのはわかってもらえると思います。今の企画展の『シャム双生児』は、意図的にそうした扇情的なフィクションと、実際のシャム双生児たちの記録とを並べて比較できるようにしています。

 『死体だ!』と喜ぶにしても、あるいは『悪趣味だ!』と目を背けるにしても、ほとんどの方たちは同じフィクション体系の影響下にあると思いますよ。少なくとも、マスメディアが想定する読者層なり、あるいはその記者たちはまちがいなくそうです。毎年ハロウィーンになると『究極のお化け屋敷』みたいな感じでどこかしらテレビや雑誌がきますし。日本からもきて、わたしも出演しましたっけ。山口なんとかいう女の子がやってきて、日本語で『せっけんになった人があるそうですが……』と言うと、わたしが『はいはい、こちらですよ』とにこやかに案内するという……(笑)あれは放送されたのかな。ぜひともテープが欲しいんですが、その後音沙汰がないですね。ちなみにその山口なんとかさんは、入り口を入った途端にもう縮みあがってしまって、かわいそうというか可笑しいというか。

 まあこういう博物館ですから、ある程度は覚悟しています。われわれだけじゃないですしね。ヨーロッパのこの種の施設でも、『現代版フランケンシュタイン博士の研究室』とか『ホラーハウス』とか書かれてますし、もう一種の宿命みたいなものでしょうね。とはいっても、いい加減うんざりしているのも事実です。ここにある死体や標本は、忌まわしい物でもないし隠すべき物でもない。もちろん、見せ物にしておもしろがるべきものでもありません。繰り返しになりますが、そういう人たちが実際にいて、そういう人生を生きたという、それだけのことなのです。『死体だ!』『奇形だ!』と目をそむけたがる人にも、無邪気に喜ぶ人たちにも、それをわかってもらえたら、と思います。
<終>

Mutter Museum of the Colledge of Physicians of Philadelphia
 
19 South 22nd St.
Philadelphia, PA 19103-3097 USA
(215)587-9919 fax (215) 561 6477

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