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対談理解のための基礎知識:インターネットの歴史とそれを取り巻く各種妄論など

(別冊宝島『2001年が見える本』)
  山形浩生

 いまさらインターネットを解説するのもなんだが、要は TCP/IP というデータのやりとり方式を大体の(あくまで大体の)基本としたコンピュータネットワークと考えれば大筋は(あくまで大筋は)正しい。もともと 1950 年代に、アメリカ全土のコンピュータ資源を共有し、有効活用(当時のコンピュータは死ぬほど高価だったので、一瞬たりとも遊ばせてはおけなかった)するための研究プロジェクト。部分的に壊れても全体としての機能に支障をきたさないようなネットワークとして構築されている。軍がかなり出資しているため、軍事的な思惑もあったとされる。

 多くのパソコン通信などのような、中央にすべてを仕切るホストコンピュータがあって、それに他のコンピュータがピラミッド型にぶら下がる形ではない。各地のコンピュータが勝手に独立し、必用な時だけ情報をやりとりする分散型の構成、全体をささえる「完全じゃなくても動けば勝ち」のいい加減さが、逆にシステムとしてのゆとりと強靭さを生みだし、クリントン政権のゴア副大統領が、「情報スーパーハイウェイ」構想のモデルとして指摘したことで、大きな注目を集める。

 情報スーパーハイウェイは、ネーミングもあって話題にはなったが、それで何をするのか、だれも何の見当もついていなかった。「各家庭に光ファイバー!」「ケーブルテレビ 500 チャンネル分の回線容量!」という宣伝を文字どおりに受け取って、「しかし 500 チャンネルあっても番組づくりが追いつかないぞ」「見るのが一苦労だ」といった間抜けな議論が真剣に行われていたのが、1993 年頃である。

 それまでのインターネットの利用はおおまかに、 リモート・ログイン、ファイル転送、電子メール、ニュースグループが基本だった。リモート・ログインとは、たとえば東大から北大のコンピュータをアクセスして使うような話である。ファイル転送は、プログラムやデータをどこかに送りつけたり、もらってきたりする機能であり、その代表的な方式がftpである。そのなかでもアノニマス ftp は、興味ある人はコピーしていいよ、と万人に公開されているファイルを、「それでは遠慮なく」と断りなしにコピーする方式。インターネットはもともと軍事・研究用であり、成果の多くは税金によるものだから無料、研究成果は人類の財産だから公開という考え方がそこそこ普及していた。このため、ケチな日本では生まれようもないこうした方式があっさり定着した。

 電子メールは、ネットワーク上の手紙である。ニュースグループ(ネットニュース)は、同じ関心領域ごとにつくられた情報交換のための電子掲示板である。質問や意見を書き込むと、世界中の同好の士がそれを見て、返事や反論や反応をつけてくれる。たとえば rec.travel.asia は、レクリエーション話の中の、旅行関係の話の中の、アジア関連の話題を扱うニュースグループである。アメリカ発祥なので基本は英語だが、インターネットの国際的な広がりとともに、英語言語以外のグループも誕生。主に日本語で情報交換をしているグループは、頭に fj がついている。

 これらは、使う人には死ぬほどありがたいが、市井の人々には預かり知らぬ世界。使うにはコンピュータの知識も要求され、敷居も高い。メールやニュース程度ならパソコン通信のほうがずっと簡単。

 そこに登場したのが、WWW(ワールドワイド・ウェッブ)だった。

 対談中でも触れられているが、これはスイスの CERN(欧州合同原子核研究機関)で研究情報共有の必要性から開発されたものである。原子核研究機関であるため、研究論文中で霧箱や原子構造などの画像データを扱えることが不可欠であった。さらに他文書の参照や引用も多い。抄録やインデックス作成も必須。これを容易に行うために生まれたのが WWW である。

 WWW とは具体的には、画像やファイルや他のテキストなど各種ファイルのネットワーク上の所在を示す URL、それをリンクとして文書の中に埋め込める html(およびそれに対応したhttpサーバ)によって構成される。html は本来、文書の各部分に「ここはタイトル」「ここは章題」「ここは著者名」「ここは抄録」といったタグをつけることで、何よりも「文書の構造を明示する」ことを重視した sgml という言語の一派である。ワープロなどの「文書の体裁を整える」という考え方とは一線を画する。ただし現在は、純潔主義者の渋面を後目に、見出し用タグを修飾用に使うようなパンクな利用法が蔓延している。

 そして決めは何といっても、WWW 用に NCSA(アメリカ・スーパーコンピュータ利用センター)で開発された Mosaic であった。テキスト中に画像をいっしょに表示させ、さらにクリックするだけでリンク先に移動できるというインターフェース。機能的にはこれだけの、コロンブスの卵のようなソフトが、猛然とインターネットをかけめぐった。チャンネルをあわせた多数の人間に情報を送りつけるテレビのように、WWW も Mosaic の登場でリンクをクリックした人に無理矢理データを送りつける、受動的なマスメディアとして開花したのである。これはパソコン通信にはなかった。しかも一般人が受動的にインターネットを使うことを可能にする。

 そして同時に、一般の人がインターネットに電話回線経由でアクセスする手段が、いわゆるサービス・プロバイダの形で続々と登場してきた。それまではインターネットに個人が月 40 万円以上でつなぐ手段は、ほぼ皆無。それが半年の間に、状況が一変した。

 こうしてインターネットが爆発的なブームとなったのはご承知の通り。

 情報スーパーハイウェイに伴うメディアのインターネット攻勢、WWW と Mosaic によるインターネットの受動的マスメディア化、プロバイダによるアクセスの敷居低下――これらがアメリカではほぼ同時に起こった。タイミングがよすぎて単なる偶然とは信じられない。同時期に、インターネットの幹線の運営が、民営化されている。一部には産業的な要請による操作があったと考えるべきだろう。今後の調査が待たれる。

 中心もヒエラルキー(階級構造)も持たず、それぞれが独立しつつ必用な時にだけ協力する――インターネットのこうした構成は、それだけである種の社会主義・平等主義的な理想をくすぐる。小林よしのりが夢見た「個の連帯」が、まがりなりにも実現されている! また、来る者は拒まず、各種情報は共有、相互に助け合う、といったネットワークの運用形態も、理想社会的な調和に満ちた世界を具現しているように見える。争いもあるが、しょせんは口論。戦争とは比べようもない。さらには商業主義を離れたところで、本当にいいものを、価値のわかる人が集まってつくりあげ、それを広めるという生産と流通のシステムも不可能ではない。インターネット上で、好き者が寄り合い所帯で造り上げ、成長させ続けている PC 用 Unix クローン Linux など、興味ある人が何の強制も受けずに様々なパーツを完成させ、まとめることで並の商業ソフトを越えたものとなっている。

 これはまさに、新しい社会、新しいコミュニティ、人々を結びつける新しい原理と言えるのではないか! インターネットにはそういう力があるのだ!

 こうはやとちりした人たちが、従来の強制的な地縁血縁とは無関係の、主体的参加による市民ならぬ智民(ネット上の市民ネティズン)で形成される、きたるべき理想社会のさきがけとして、ネットワーク上のコミュニティ「バーチャル・コミュニティ」を称揚する。

 しかし当然のことながら、バカにインターネットを使わせても利口にはならない。うそつきがインターネットで正直者になるわけもないし、無礼なやつはネットの上でも無礼だし、陰湿なやつは顔の見えないネット上では、図に乗って陰湿さを増すか権力志向をむきだしにするだけ。決していい方には変わらない。

 ここでもインターネットの出自を忘れてはならない。情報共有、平等主義、金銭的利害とは無関係の協力 ―― これは、一応は名目とはいえ真理とか科学とか知的関心といった目標のもとに活動している学者や研究者を律する原則である。かれらが主な利用者であればこそ、ネット上の暗黙のルールもかれらの規範に従っていた(ちなみに日本の湿潤なアカデミズム環境では、インターネットの運用もそれなりの湿潤さを示していた)。インターネットが利用者を変えたのではない。利用者の特性がインターネットでも発揮されていただけのこと。

 インターネットやパソコン通信は、それなりのコストがかかる。しかも大多数の人にとって、しょせんは道楽。道楽のためにパソコンを買って、アクセス料金を払えるだけのお大尽は、さまざまな面で鷹揚である。知識水準も平均よりは高い。バーチャル・コミュニティ初期の水準の高さは、もともと経済的・教育的なエリートだけのものだったからだ。
 そういうコミュニティでの意志決定手段という一番単純なところも解決されていない。ネットワーク上で投票を行う手段がない! バーチャル・コミュニティではみんなが直接政府に意見を言えるので、直接民主制が実現される、というネットワーク・デモクラシー論は、根本のところで未だに成立し得ない。

 にもかかわらず、インターネットに自由主義の理想を重ねる、インターネット自由主義者は後を絶たない。ジョン・ペリー・バーロウ何よりも伝説的なロックバンド、グレイトフル・デッドのメンバー。その後、コンピュータにはまり、ネット自由主義の急先鋒となる。ロータス社の父ミッチ・ケイパーらとエレクトロニック・フロンティア・ファウンデーション(EFF)を設立し、大きな発言力を持つにいたる。ネットの世界は実世界の法律や規則でしばられない、おいぼれ権力者どもには手も足も出せない世界だ、著作権も古くてネットには適用されない等、旗振り的な発言では最右翼。

 こうした考えかたは、グレイトフル・デッド以来のものである。名テレビシリーズ "My So-Called Life" で、クレア・デインズ演じる主人公が、父親とグレイトフル・デッド話で意気投合する親友に嫉妬するエピソードがある。後で父親に「友だちと行っといで」とデッドのコンサートチケット二枚を渡された主人公は、なんだかむかついて、そのチケットをダフ屋に売ってしまう。それを知った親友は涙を流してクレア・デインズをひっぱたく。「売った?! あんたって、サイテー! 人間のクズよ!  デッドヘッドの仁義を踏みにじって! いい、デッド・コンサートのチケットは、売り買いするものじゃないの! あげるものなのよ!」

 というわけである。つまりはだれでも入れるし、しかもコンサートにテープレコーダー持ち込み可(つまりコピー自由)、ブートレッグ推奨。インターネットの背景となる考え方との共通性は明らかだろう。なおある異端の説では、デッドはあまりに下手でそうでもしなけりゃ人が来なかったのだ、とされる。これについては詳述を避ける。

 一方、筒井康隆のようにネットワーク上でしか著述活動を行わない人も現れている。またネットワーク以外に発表の場をそもそも持たない人もいる。場合に応じてこれらのどちらかをネット著述者と呼ぶが、これが道楽以上の存在となるかは未知数である。かれらがどのような形で市場から評価(つまりは金)をフィードバックさせるかが、今後一つの着目点となる。

 ここで問題なのが、ネットワーク上の著作権の問題。ネット上では、いくらでも完全なコピーができる場合が多い。それを無限に認めては、メディア産業は商売あがったり。監視して金を取る制度はできないものか、と考える。それに対し、やることを逐一監視されて金を取られるような制度はごめんだ、というのが一般ユーザの考え。この話は奥が深いのでここでは語り尽くせないが、以上のような考えの対立の中で、どう妥協点を(そしてそれに見合う実効的なシステムを)みつけだすかが、大きな課題となっている。

 また、万人は常に他者からの影響を受けている以上、完全なオリジナルなどない。どんなものにも、他人の作品の片鱗は混じる。それを一言半句の引用に難癖をつけられては、創作活動が一切不可能になる。したがって完全なパクリではない、必然性があって正当と認められる範囲でのコピー(引用)や転用は、著作権の中でもフェアユースとして認められている。ただしこの適用範囲はきわめて不明確。小林(弘人)が対談中で「アメリカではフェアユースが確立している」と語るのは、その存在が認知されているという意味であり、適用範囲が確定しているという意味ではない。

 「パソコンを知らないと窓際族」「インターネットを知らないと取り残される」等の宣伝は、電車の吊り広告でいくらもお目にかかれる。ここ数年の就職難とからめる形で、パソコン使えないと不採用といった悪質な恫喝が展開されていたのも記憶に新しい。ここから、パソコンに不自由な人々の大失業時代の到来、といった議論を真顔でする人々は多い。これを受けて、職場を奪うコンピュータを破壊せよと唱える新ラッダイトたちが活動している。産業革命時代、失業者たちが職場を脅かす機械を破壊するラッダイト運動を起こしたが、この現代版である。

 残念ながら(そうでもないか)、大失業時代は起こりそうな気配を見せていない。電算化がきわめて進んだアメリカ経理部門でも、激減が予想された経理係や請求書発行などの職種は増加を続けている。電算化→効率化→リストラと首切り、といった単純な推移はたどっていない。

 ブルーカラーなどの生産現場の生産性向上が限界に達し、ホワイトカラーの生産性の低さが問題とされはじめている。情報機器やネットワークは、それを突破するものとされることがある。ルーチン化された書類作業(例・交通費精算)などはすべてコンピュータにまかせに、人間はコンピュータ・エージェントの助けを得て創造的なところにだけ集中、という議論である。これが「創造化社会」論等の基本図式だが、やはり実際の動向はそれを支持していない。

 また、インターネット上で取引や決済が行われることで、経済や流通が完全に変わるとする論者も後をたたない。その多くが、ネットワーク上での通貨たるデジタルキャッシュや電子マネーが出回れば、取引がすべてそっちに移行し、既存の為替市場に基づく経済システムは崩れると論じているが、その根拠は必ずしも明らかではない。

 果たしてインターネットは社会を本当に変えるのか? 何も見えないまま、1997年も間もなく終わろうとしている。

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