連載第?回

サイバー砂漠にただ一人:ネットがもたらした新しい教養の形式。

(『SIGHT』2006 年 春)

山形浩生

要約: 何か体系を理解することが重要だった従来の教養形式に対し、現在はなんでもググればそれなりの結果が出てくるようになっている。しかしこれは既存の教養にとってかわれるものではなく、むしろある程度の人が既存の教養形式に則ったページ作成等を行っているからこそグーグルが適切なページランクを出すことができている。




 先日、稲葉振一郎と対談したとき、現代における知性とか教養のあり方、といった話になったのだ。さて、知性や教養とは何か、という話をまじめにし始めるときりがない。が、一つの考え方としては、それはまず知識量、そしてその知識がどのくらい脳内できちんと体系化して整理されているか、という話となるだろう。ウィニー、といわれたら、だいたいこんな話で、こんな流派があって、最近ではこんなあたりが議論になっていて、主要な論者はあの人とこの人、てなことが言えればいい。全体的な見取り図が頭の中にある、ということだ。もちろんその知識の中身も多少は問題で、アニメの知識ばかり豊富なおたくについて、教養豊かとはいわない。またアインシュタインの言うように、教養というのはすべてをなくしたときに最後に残るものだという考え方もある。でもその一般的なイメージというのはこんなところだ。

 ところがそれに対して、いま知識や情報の整理方法に新種が登場している。いま、人が何か知らないことに出くわしたら、「ググれ」と言われる。それがどんな体系の中にあるのか――そんなことは一切関係ない。グーグルで検索すれば何かしら出てくる。鵜呑みにしてはいけないけれど、でもそんなのはどんなメディアでも同じことだ。ご存じの通りグーグルの検索結果は、かなり優れていて、8割くらいはお目当てのものを出してくれる。そして歴史的に見て、技術でも社会でも文化でも常に勝利してきたのは、少数の人だけが百点を取れるような代物よりはむしろだれでも70点とれるような手法やシステムやツールだ。グーグルはそういうツールを実現している。

 従来の知性や教養は体系習得型、グーグル活用は情報検索型、とでも言おうか。もし上の洞察が正しいとすれば、体系習得型――つまりは従来型の知性や教養は、今後ますます劣勢を強いられ、ヘタをすると滅びるかもしれない。世間の主流は、情報検索型の知性へと移行するはずだ。そうなったら、いまの教育のあり方は見直さなきゃいけない。いまの教育は、教えるべき体系があり、それを習得させるのが目標だ。でもそうした体系自体がなくても構わないものとなったら……カリキュラムは一変せざるを得ないだろう。早い話が、あれこれ暗記させたりしてその体系を押しつけなくても、ググる方法さえ知っていれば80点はいってしまう。あとは、すべてを鵜呑みにはできないという当然の用心と、いかにしてクズ情報を取り除くか、というフィルタ手法さえあればいい。それだけ教えれば、国語、算数、理科、社会の具体的中身なんか必要ないかもしれないのだ。中身は生徒が勝手にググればいい。これが今後の情報/ITリテラシー教育、いや教育全体で教えるべき唯一のこととなってしまうかもしれない。

 ただし……いまの議論にはちょっと拙速なところがある。グーグルの検索結果はすばらしいが、それは別にかれらが中身を判断しているわけじゃないのはご存じの通り。グーグルの分析はもっぱらリンクの張られ方で決まる。そしてだれが各種リンクを張ったかといえば、それはこれまで体系習得型の教養を身につけてきた人々だ。

 つまりグーグルの検索能力というのは、実は裏では体系習得型の人々が作ってくれたリンクに依存している、ということだ。体系習得型の教養がなくなれば、グーグルも(ヘタをすると)崩壊する。するとこの両者の間には最適なバランスが存在する、ということになりそうだ。さて、そのバランスはどこなんだろう? そしてそれを維持するための方法論とは?

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