連載第?回

災害時のIT/モバイルとリスク対応について考える。

(『SIGHT』2004 年 冬)

山形浩生



 台風、地震と自然災害が続いた今年の日本の秋だったけれど、みなさんはご無事だっただろうか。義援金をかなりたくさん送ったので、少しでも役に立ってくれるといいな。地震ばかり注目されてかわいそうなので、台風のほうに重めにお金を送ったんだけれど、トイレの一つくらいは追加できたかな。

 で、災害の中であれがない、これがないという報道はたくさんあったのだけれど、やっぱり通信関係の重要性というのは痛感されたと思う。日本での前回のメジャーな災害は神戸地震で、これはある意味で日本のインターネット普及に拍車をかける役割を果たした。あのときに明らかになったのは、各種の「災害警報システム」とか「緊急時連絡システム」というのがまったく役に立たないということだった。普段使ってないものを、緊急時にいきなり使うというのは不可能だ。多くのシステムは、存在していることさえ知られずに埋もれていて、一部はスイッチを何年ぶりかに入れてみたら壊れていたり、といった具合。その中で、インターネットは普段から使われているが故に災害時でもある程度は使えた。定量的なところはわからないけれど(たぶんだれかが調査しているとは思うが)、あのときにインターネットの恩恵を被った人はかなりいて、そしてそれを契機にネット利用を進めた人もかなりいるはずだ。

 今回の台風と特に地震でも、新しい通信システムが試されることになった。それはもちろんケータイだ。今回の二災害は、携帯電話が本格的に普及してから初めての大規模災害だった。

 たぶん、その結果はそんなに悪いものじゃなかった。携帯の電池切れ等々がかなり報道はされたけれど、でもその一方で(これはあくまで推定だけれど)報道にはのらないけれど普通に連絡がついて、普通に安否の確認がとれた人々がたくさんいたはずなのだ。もちろん、携帯電話でも回線が混み合ってつながらない、というようなことはあったけれど。

 でももちろん、なんとかなっていないところもあった。基地局への回線が切れたところはもちろん、そうでないところも一部の避難所は飽和状態。そしてその中で特に、ぼくは個人的に携帯電話の電池切れという話にずいぶんと興味を持ったのだった。やっぱりそれが出てきたかー。

 普通の電話は、電気がいらない。電話といっても最近の留守電やら子機やらファックスやらがてんこ盛りのやつはコンセントにつなぐけれど、でもかつての黒電話(と言って知っているやつも少なくなっただろう)は電気はいらないのだ。停電してもつながる。ガキの頃に読んだ探偵入門で、犯人が「停電のせいで電話が通じなかった」と言ったためにアリバイが崩れる、というのがあったっけ。昔、森前総理大臣がどこかのIT会議かなんかで、ITより先に電気が必要だと言うタイの人たちに答えて「いや電気がなくてもiモードがある」と言って失笑を買ったけれど、でも年寄りの多くは確かにあまり電話の電池という発想はないのである。ところがでも、携帯電話は電気が必須だ。かくいうぼくも、携帯電話をあまり携帯しないので、たまに見ると電池が切れていて電話がひからびていることもよくある。たぶん今の子だと、絶対にそういうことはないんだろう。電話と電気が別物だ、という感覚もないのかもしれないし、また普段はそれで何も問題はない。でも、こういう時にそれが効いてきてしまう。避難所では携帯電話の電池切れが続出して、電話ができないどころか時間すらわからなくなって、ラジオ放送で時間を言ってくれないという不満がかなりあったとか。もう腕時計もしないのか!

 腕時計はさておき、携帯電話に人が極度に依存するようになってきたことが、今回のような災害時には弱点となっている。そしてある意味で、これは電話の民営化の結果でもある。実はもともとの有線電話がなぜ停電のときでも動くようになっているかといえば、それはまさに、災害時の連絡用、という用途を考えてのことだ。電電公社(というのはNTTが昔、今よりもっと正式なお役所だった頃の名前だ)やそれに対応するアメリカの電話会社は、尊大だったけれど、一方では電話の公益性とかユニバーサルサービスといったことを考えていた。そしてそれが、電気の要らない電話につながっていた。実はその分、お高めだったりしたけど。最近ちょっと出てきた、固定電話の加入権問題は、その名残だったりする。でも、電話が民営化されるときに、だんだんそういう面は削られていったわけだ。いまの携帯電話は、そこまで考えていない。

 もちろん、だから電話をお役所方式に戻すべきだとかいう話じゃない。昔の方式はあまりに高く、あまりに無意味なところにお金をかけていたのはまちがいない事実だから。電話機が一種類しかない時代に戻りたい人はいないだろう(とはいえ、最近古い電話機を集めたりしているんだけれど、かつての黒電話やアメリカの古い電話の持つ堅牢な作りとデザインは、いまの軽薄なだけの電話機と並べるとかえって新鮮でかっこいいぞ)。ただ、一方で今後、携帯電話機器みたいなもの、そしてその他各種IT機器も、たぶん充電なしでも最低限動く機能、といったものを確保する、あるいは必ず乾電池で動く部分というのを作るとかする、という配慮は必要に鳴ってくるんじゃないか。今も携帯を一時的に乾電池で動かすことはできるけれど、あれをもっと普通にできるようにする、というようなニーズはあるんじゃないかと思うのだ。携帯一台で何でもできる、というのはどっかのケータイ会社のキャッチフレーズだけれど、それは充電できての話。電池がないときでも何かできる、というのが売りの携帯っていうのはあるんじゃないか、そしてそれは必要なんじゃないか。

 携帯電話に限らず、多くのIT機器、特にモバイル系のIT機器にとって、これは切実な問題だ。最近ぼくはMP3のプレーヤーをいくつか買ったりしているんだけれど、最終的には、電池できちんと動くかどうか(あるいは電池なしで動くかどうか)というのは一つのポイントになる。音楽を再生する部分はさておき、データを転送する機能だけでも電池なしで動く、というのは実はかなり重要だ。ぼくがMP3プレーヤーを使うときの半分くらいは、ファイルの持ち運びなんだけれど、電池が切れたためにファイルも読み出せなくなってしまって泣いたことが何度かある。最悪の事態で何ができるか、というのは、たぶん実際に生活で使う場面では重要だし、長期的な危機管理やリスク対応の面からも考えられるべきじゃないのかな。

 実は途上国では有線電話なんかより携帯電話が圧倒的に浸透している。有線電話はチマチマ線をひかないと使えないけれど、携帯なら基地局をどんと作ればそれでかなりの人数をサービスできるものね。そしてそこで重要な商売になっているのが、携帯の充電サービスだ。電気のきていない村では、太陽電池パネルを買ってきてそれで隣近所の携帯を充電してやるのが、結構いいビジネスだ。ひょっとすると、今後地方自治体とかの災害対策用の備品にはそういう設備を備えるべきなのかもしれない。いまも発電機とかで一生懸命充電していたようだけれど、数が足りない。太陽電池パネルの充電器を10個も用意しておけば、かなりちがったんじゃないか。もし今後、携帯や各種モバイル系IT機器がライフラインとして重要性を増すなら(いや確実に増すだろう)、災害対応もそれにあわせて変える必要がたぶん出てくるだろう。そして一方では、使う末端の消費者としてもいま使っている機器のリスクを考えて、なんでも携帯に頼らないようにするとか、そういうことを少し考えなきゃいけないだろう。さて次のやつがくる頃には、それができているだろうか。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>