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2004年 SIGHT ブックレビュー

編集部選の三冊へのコメント

玄田他「NEET

 すみません、最後まで読んでも言われているほど大きな問題と思えなかった。いやそれ以上に、ぼくはこの本の NEET インタビューを読んで、ひたすらむかつくんです。人間関係がうまくいかないって、何言ってやがる。オレがお客さんにへいこら頭下げて、部長に怒られて、それが楽だとでも思ってるのか。それに対して社会的な手をさしのべるべきだとも思わない。それで暮らせてるんなら、それでいいでしょ。かじるスネがなくなっても、たぶん遺産でかつかつ喰って行けそうだし、余裕がなくなったらなんとかすると自分で言ってるんだから、なんとかしてもらいましょう。その程度の感じ。社会現象としてはおもしろいことは事実ではあるけれど、むしろこれは社会の豊かさの指標でしかないように見えてしまう。現在の不景気のしわよせが全部若年層にいっている、というのが玄田のかねてからの問題意識で、それがある種の就業形態(フリーター等)にあらわれているというのはわかる。NEET というのもその一貫ではある。でも、だれでも一歩まちがえれば NEET になったかも、という言い方は、たぶん(ぼくを含め)多くの人は反発するだけだろう。景気がよくて就業機会が多ければ、かれらも自分のわがままを満たせるような職につけたのかもしれないけれど、でもいまこの NEET 様たちのご機嫌うかがいをして社会復帰していただく必要があるのぉ?

堀江貴文の自慢本

 この手の本は……上向いているときは、なんでもよさげに見えるんだよね。失敗談も、「これを糧にオレは大きく成長しました」と書けばいいし。適当に女の話やら、昔の仲間との決裂やら、出る杭が叩かれたけれど負けないぞ的な話とか混ぜて、色気は出しているんだけれど本書を読んでアレなのは、結局ライブドアが何をやって儲けているのかよくわからないこと。ホスティングとウェブページ作成受注とソフト販売だけなの?ちなみにライブドアのウェブページにいってみると、それがあまりにヤフーとそっくりなので唖然とする。結局ライブドアの独自性ってどこにあるの? さっぱりわからん。そしてそれが不明確なので、全体がまあどこにでもありそうな教訓集みたいなものに落ち着いていて、その具体的な反映のされ方がわからないのでつまらない。巻末に株価推移がのっているんだけれど、いや、これだけ見るとそんなにいいとは見えないんですけれど。株式分割してるから、というのはあるけれど、その部分をざっと補正してみても、こんな程度なのぉ? 球団買ったりとか景気よさそうだけれど、ホントに大丈夫なのかね。この記事が出る頃にはもう遅いかもそれないけれど、本書には株式プレゼント応募券がついてる。当たったら、即売り払うべし。定款とか目論見書とか、見たことなければ見ておくとそれなりにおもしろいかも。

高橋「虚妄の成果主義

かつての日本的経営というものが、かなり合理性を持っていた方式だ、という主張はわかる。でも著者は自分の言っている「成果主義」というものをきちんと説明しない。それは、重箱の隅をつつかれて言い逃れされるのを防ぐためだというんだけれど、それが全体の漠然とした調子につながってしまっている。冒頭部分で、日本が年功序列というのはウソで、実はちゃんと出世や給与でも差がついてます、という話を高橋はするんだけれど、じゃあ日本の人事システムにもある程度の成果主義があるんじゃないの? どっかで成果をもとに何らかの差をつけないわけにはいかないでしょう。日本型経営では、ダメなやつにはどうでもいい仕事をまわし、優秀なやつにはやりがいのある仕事をまわして報いるのだ、と高橋はいうんだけれど、それって特に今みたいな下降期には、単に条件のきつい無茶な仕事が優秀なやつに次々にまわされて、結局そいつが過負荷でつぶれる場合も多いんだよ。日本のやり方はかなりの成果をあげてきたんだから簡単に捨てるな、というのと、安易に外国の流行を真似るな(特にその流行は日本の真似をしたものも多いんだから!)というのはごもっとも。でも日本型経営がある時急に失速したように見えたのはなぜ? あらゆる会社が成果主義を取り入れたからダメになった、というわけじゃないでしょう。言いたいことはわかるんだけど、腑に落ちない。


山形浩生の選択

 今年は不評のCCCDがやっと廃止の方向に向かい、CD輸入権反対運動が空前の盛り上がりを見せたりして、著作権ってなんだろう、何のためにあるんだろう、という関心はちょっとだけ高まったと思う。一方で、Winnyの開発者が逮捕されてしまうというとんでもない事態も起きたし。レッシグ『Free Culture』と名和小太郎『ディジタル著作権』は実にタイムリーでよい本だったと思う。前者はもっぱらアメリカの状況に関するもので、レッシグ自身が「これまでの学者的な論評じゃダメだ! 実際に現場に関わらないと!」という強い決意を見せて書かれたもの。タイトルも「これはマニフェストだ! 文化を解放しよう、という呼びかけなんだ」とかれが言っていた通りで、書きっぷりも熱く訴えかけるものとなっている。昨年末に、このレッシグが弁護をつとめた著作権延長違憲裁判が敗訴に終わったのを受けてかなり悲観的な部分もあるけれど、クリエイティブ・コモンズなどの具体的な運動の盛り上がりがそれを補ってくれている。

 さて日本とアメリカの著作権をめぐる状況は実はほとんど同じなんだけれど、レッシグの議論はしばしば「でもそれはアメリカの話だから」と特に法学方面の人が知ったかぶりをかまして、無視されてしまうことも多い。そこで名和『ディジタル著作権』。これは日本の状況をふまえつつ、デジタル化する世界の中での著作権のあり方についてきれいにまとめた快著。レッシグと同じ問題意識をきれいに展開し、現在の著作権制度がその中でいかに歪んでいるかを冷静に論証した上で新しい方向性を提案。アメリカでも、やっと著作権なんでも強化の動きが少し揺り戻し始めている。ファイル共有のソフトを作っただけじゃ犯罪にならない、という判決も出たし、著作権を日本でも風向きが変わってくれるといいなあ。

 もう一つ、今年は狂牛病騒ぎがでかかった。アメリカ産の牛肉は狂牛病の恐れがあるから、全頭検査しないと輸入禁止、という議論はなかなか単純明快。全頭検査廃止は、すなわちアメリカの圧力に屈して国民の健康をないがしろにすることである、という議論が多くのマスコミを中心に垂れ流されていたんだけれど……これってでたらめなんだよね。全頭検査なんかしたって、若い病気持ちは検出できなくてどうせ素通りだし、そもそも従来のチェックでパスしてくる程度のウシからくる BSE の危険性なんて、ほんとに微少。十年で全国に数人とかそのレベルだ。ものすごいお金をかけて、防ごうとしているものは実にせこく、しかもそもそも検査自体がそれを防げない代物って、これ一体何?

 こういう健全な疑問を持てない人に是非読んでほしいのが、中西準子『環境リスク学』。狂牛病がらみの議論がいかにまぬけかを簡潔に論じた文だけでなく、環境ホルモン騒ぎのインチキぶり、ダイオキシン騒動のひどさ等々を、彼女が旗をふるリスク論の発想をもとに縦横にわかりやすく語る。リスク論といっても、まったくの常識的な話でしかない。何をとっても絶対100パーセントの安全なんてあり得ない。だから新しいもののリスクと、それを減らすのにかかるコストとをてんびんにかけて、ほどほどのところで妥協しましょう――それだけだ。そしてぼくたちは日々それをやっている。風呂に入るのだってすべって転ぶリスクがある。お菓子を食べるのだって、太って病気の原因になりかねない。ジャガイモやほうれん草には毒がたくさん入っているけれど、でも健康にいい成分も多いから、みんな毒をなるべく減らすようにしつつ(芽を取ったりあく抜きしたりして)、ある程度のリスクを承知して食べる。ほかのあらゆるものでもそれをしよう――そんだけの話だ。でも、環境問題の悲劇というのは、これに関心のある人というのは変なエリート意識を持った、すさまじく極端な考えを持った人が多くて、常識的な話が通用しないということだったりする。

 ちなみに、環境問題というと、儲けのために規制を緩和したがる政府+企業 VS 人々の健康のために規制を厳しくさせたい環境団体、といった構図を考える人が多いけれど、いまやそれも成立しない。ダイオキシンでは、政府が面子と一部の産業のために規制を厳しくしたりしている。本書を読むと、この世界のどうしようもないややこしさが見えてくる。ついでに、つまらないことにくよくよしなくなるのも効能の一つ。牛肉、食べようぜ。農薬がちょっと多くてもほうれん草食べようよ。気になるなら、ちょっと念入りに洗えば済む話だからさ。たぶん今後、科学とビジネスの接点ということで環境ビジネスというものがどんどん大きくなるけれど、こういう考え方をきちんと抑えておかないと、あとで足下をすくわれるようなことになりかねないんじゃないか。

 リスクと表裏一体の話で、セキュリティという話がある。犯罪をどう防ぐか等々。これが谷岡『こうすれば犯罪は防げる』のテーマだ。谷岡一郎はギャンブル論とかで見ていたけれど、こんな話もやるんだ。話の多くは比較的単純で、要するに犯罪をなくすには、犯罪が起こりやすそうな場所をなくそう、ということ。だれに見られるかわからないところでは、犯罪は起きない。だからレジは店の奥ではなく、みんなに見えるところに見えるようにつけよう。バス停も死角がないようにしよう。割れた窓や落書きなど、小さな犯罪をこまめにつぶすことで、犯罪したらやばい、という雰囲気を作ろう。この理論から出てくる、住宅の防犯の心得なんかは役にたつし、地区の犯罪防止策(監視カメラっぽいものをつけておくだけで効果てきめん、袋小路など部外者にわかりにくい街路設計も有効なこともあるなど)としても有益。またいまやマンション最上階が危ないといった指摘、しかもその危険度がこれまでとちがう、という指摘はぞっとする人もいるだろう。ついでに最近の少年犯罪が増えている等の報道についても疑問が述べられている。これは稲葉氏が紹介している『反社会学』でも取りあげられていた。

 セキュリティといえば、実はこれを書いている途中でおもしろかったのが、クリプトナイト社製の、自転車用ロックや、多くの企業のハンドルロック、パソコン用のケンジントン社製ロックなど、円筒状の鍵を使うセキュリティ装置が、そこらで 5 本セットで売っているビックのボールペンで一瞬で開いてしまうという話。もう 10 年以上前にわかっていたことだけれど、今年の9月から10月にそれを実際にやってみせたビデオがネット上で流れて大騒ぎになった。

 さて、こうなるとみんな鍵メーカーに文句を言う。こんなお粗末な鍵なんか欠陥商品だ、と言って。ところがこれがコンピュータソフト等になると、だれかがプロテクトを解除したらいまや「保護回避!」といってその手法を説明した人が逮捕されたり、この例でいえば関係ないボールペン会社までがおとがめを受けたりする。これまた、冒頭のレッシグの本で痛烈に批判されていることでもあるんだが。で、それをやってセキュリティは高まるか? もう 10 年以上前から、知ってる泥棒はこの手を知っていて、どんどん使っていた。でも企業は、それが公開されて批判されるまで特に対策を講じたりはしない。谷岡の本は、そういう本末転倒なやり口とは別のセキュリティの手段についてヒントを与えてくれる。

 さて最後はもっと国際的なセキュリティ。9.11 テロ以来、文明の衝突だとわめくバカの一方で、アル・カイーダのテロがイスラームの教義に反するものであり、したがってあれをもってイスラームが反米とか西洋社会に敵対していると見るとはまちがっている、イスラームを敵視するのはアメリカの無知の表れだ、といった議論もよく聞かれた。だが エスポズィート『グローバル・テロリズムとイスラーム―穢れた聖戦』 (明石書店) はイスラームの教義に昔からつきまとってきた、ジハードという概念の問題について説明してくれる。この概念の解釈は昔からイスラーム教義のアキレス腱であったこと、そしてそれをめぐる各種の論争も決して何か決定的な結論を生み出すには至っておらず、確かにビン・ラディンやアル・カイーダ的なテロを容認する部分もあること。本書を読むと、問題は結構面倒だな、というのが見えてくる。そしてそれは、今後イスラーム圏がどう発展するのか、という話とも結びつく。かつて、イスラーム諸国は世界に冠たる一大文明を築いていたし、民主主義とか女性の権利とかいう意味でも先進的だった部分も多い。それが現在は、どう見ても停滞しているのは自他共に認めるところ。それを打破するためには、既存のイスラーム解釈も変わる必要があるんじゃないか。もちろん、だからってアメリカが爆弾落としてまわって、無理矢理変な選挙をやらせたのが正しかったってことじゃない。人権が云々とか言ってそれらの国に圧力をかけることでそれが変わるのか、というとそれもちがうだろう、という気がする。でも、アメリカや西欧文明――イスラーム文明がその基盤をつくってやった文明だ――との対決の中で、イスラーム文化圏の停滞ぶりがあらわになり、ジハードの問題等先送りにしていた問題も出てきているのはまちがいない。この本を読むと、そこらへんの事情も見えてくるし、たぶんそこに今後日本なんかが協力できる部分もでてくるんじゃないか。ぼくのやっている開発援助ビジネスが少しは役にたてる部分もあるんじゃないか。そしてそれは、国際的なセキュリティ問題ともからんでくるし、それは中西の主張するようなリスクの発想とも親和性が高いものだ。

 最後に、日本の景気は回復基調と言われつつ、なんかまだあまりそれが見えてこない。期待インフレ率がやっとあがってきたけど、いつそれが奈落の底に落ちるかも判らない状況だ。自分の本なのでオマケ扱いだけれど、『クルーグマン教授の<ニッポン>経済入門』読んで、インフレ期待を高めて景気回復を着実ならしめる、というのを是非! ビジネス的にはいちばん関係あるところだと思うね。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>