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Linux の訴訟沙汰のお話。

(『SIGHT』2003 年 春号)

山形浩生



 現在、Liunx のソースコードの一部に自分たちのソースコードを無断使用した部分があるという主張を SCO という会社が始めて、ちょっとした騒ぎになっている。

 まずこれが何の騒ぎかを説明しようか。世の中のプログラムは、まず(訓練を受ければ)人間にわかるプログラミング言語で書かれている。それがソースコードだ。そしてそれを、コンパイラで処理することで、コンピュータに実行できるようなプログラムができるわけだ。でも、コンピュータに実行できる形のものは、人間には読めない。またそれをもとのソースコードに戻すことは、絶対に不可能ではないけれど、きわめてむずかしい。

 さて、ふつうの市販の商業ソフトは、その人間に読めない形式で頒布されている。ソースコードのほうは、、企業秘密だ。なぜかといえば、もしソースコードが出回ってしまったら、それを見る人が見た場合にいったいどういう発想でそのソフトが書かれているのか、そのアイデアがすべてわかってしまうから。だからそれを必死で隠す。

 でも、Linux はご存じのとおり、オープンソースでボランティアたちの持ち寄り方式で開発が進んでいる。ソースをオープンにするから、オープンソースだ。公開されているソースコードを多くの人が見て、「ここはこういうふうにやったほうが性能が高いよ」とか「ここにこんな機能を付け加えてみちゃいかが」といった提案をして、そしてそれを実現するためのソースコードの改訂版や追加部分を送るわけだ。そしてそれが管理者(その親玉がリーヌス・トーヴァルズくんですな)のOKを受ければ、それは Linux のソースコードの一部として組み込まれ、また公開される。

 さてこの仕組みは、いろんな場合に有効に働くことになっていた。まずはいま述べたように、改善がはやい。いろんな人が、そのソースコードを見る。だからまちがいもすぐに見つかる。いろんな人がアイデアを出し合うし、思いつくだけでなく、それを実際にどうプログラムに組み込めばいいかも提案できるし、いろんな人のアイデアを比べることだってできる。

 そしてもう一つのメリット。たとえばだれかが、たまたま何か問題のあるコードが入り込んでしまった場合。管理者がうっかりしていても、利用者がたくさんいればだれか気がつくだろう。ソースコードが常に公開されているから、どこか変えられたらすぐにわかる。また、悪意あるコードを仕込んだプログラムを、「これが Linux ですよ」と第三者に渡す場合でも、その人はもとの公開されているソースコードといつでも比較して「これは改変されてるぞ」というのがチェックできる。だから、悪意あるコードを長期的に仕込むことはむずかしい。特に Linux の強みは、修正版がすぐに出回ることにある。一方、たとえばウィンドウズの場合には、責任者が見逃したまちがいなんかはなかなか修正できないし、それを指摘する人はマイクロソフトの社内にしかいないだろう。目玉の数も少ないし、まちがいも長生きする。

 そして同時に、どこかよそから無断で持ってきたコードが入ってきたときにでも、オープンソースならすぐにわかる。だれかが指摘して、すぐに修正されるはずだった。どっかのバカがほかのオープンソースのプログラムからソースコードを盗んできて「ぼくが書いたよー」と主張すれば、だれかが必ず気がついて、糾弾されることになっただろう。

 しかしながら、今回の場合には、このオープンソースソフトの強みであるチェック機能が働きようのない事態だったわけだ。もしだれかが(悪意があってもなくても)商用独占ソフトのソースコードをそこに混ぜ込んでしまったらどうなるだろう。たとえば仕事である商用独占ソフトを見て「あ、これはいいな」と思ったとしよう。仕事上、そのソースコードを見られる立場にいたら、それをコピーすることは可能だ。ところが、それを受け取った側はそれをチェックのしようがあるだろうか。無理だ。というのも、商用独占ソフトはソースコードを公開していないから、他の人たちはソースコードを見ても、それがどこかから無断で拝借したものなのかどうか、判断のしようがない。

 要するに、知らないところから持ってこられたコードは、だれもチェックしようがない、というだけの話ではあるのだけれど。でも、話をややこしくする問題がここにもう一つある。

 SCOという会社は、Linux の元祖ともいうべきUnixというソフトの一種について権利を持ってはいる。そして、だれかが(SCO は、IBM がそれをやったと言っているのだけれど)それを Linux に横流しするという可能性はないわけじゃない。ただ、かれらは自分たちのソースコードを公開していない。だからかれらは Linux 側の公開されているソースコードを見て、「コピーされてる!」と主張しているのだけれど、でもそれをみんなが確認する手段はまったくないのだ。SCO は、法廷に出たらそれははっきり示します、と言っているのだけれど。

 この話が最終的にどうなるのかはわからない。ブラフだ、という説もあるし、SCO が身売りするために打ったばくちだ、という説もある。また、この手の話は必ずしもこれが初めて、というわけじゃない。むかし、Linux の親戚筋にあたる、BSD 系の Unix がフリーで出回り始めたときに、AT&T に自分たちの知的財産権を侵害していると文句を言われたりもしているのだ。で、BSD の人たちは、その部分を削除して、自分で書き直すことで、いまの BSD 系と言われるフリーのUnixの流派を作り上げている。だから、この問題も別にそれで Linux がそのままつぶれる、というような話ではない。法廷で、その著作権を侵害しているはずの場所が特定されて、それが本当に侵害になっているということがわかれば、たぶんそこの部分はかなり急速に書き直されるはずだ。というわけで、長期的にはそんなに問題にはならないはずなんだけれど……

 でも、これはいやな話ではあるのだ。フリーのオープンソースソフトが普及するにつれて(そしてそれが Linux みたいにビジネスとしてそれなりに地位を確立しはじめるにつれて)そういう言いがかりをつけるインセンティブは大きくなる。うまく要求額を設定すれば、「裁判でわざわざ争うよりも早いし安上がりだ」と思って向こうの言い分通りに金を出すところが増えるようになるかもしれない。それはいやだ。そしてオープンソースであることから、言いがかりはつけやすい。どうして著作権侵害がわかったのか、ときかれたら「それはソースコードを見たらわかった」と言えるわけだ。ソースが公開されていなければ、コンピュータにしかわからない形式のプログラムを見ただけでは、それが自分たちの著作権を侵害しているかどうか判断しようがないし、それを主張するのはむずかしくなる。また今回 SCO は、Linux を使っているだけのところに対しても、責任を追及するという脅しをかけている。そういう脅しがあちこちからかかるようになれば、オープンソースのソフトを使うのはリスクが大きいと判断するところも出てくるかもしれない。

 そしてもう一ついやなのが、前回もここで取りあげたような、知的財産を妙に強化しようというような方向性だ。一方では最近、そうした動きにちょっと反動が出てきていてうれしいんだけれど、でもまだまだ知的財産権は強い方がよくて、いろんなものは商業化すべきで、フリーでオープンなものはいかがわしくて信用できないという風潮が強い。これが変な方向に効いてこないといいんだけれど……これがうまくさばけてくれれば、Linux などオープンソース系ソフトにとってはさらに追い風にはなるんだが。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>