Valid XHTML 1.0! Sight 4 号 (2000.6 刊行) 書評:連載第 4 回

すべての人工物の理論と進化について。

ハーバート・サイモン『システムの科学』第三版(パーソナルメディア)
長谷川寿一&長谷川真理子『進化と人間行動』(東京大学出版会)

山形浩生


 本誌は季刊なので、三ヶ月で二冊本を見つけてくればいいのだけれど、これはとてもむずかしい。特にビジネスの分野では。「ビジネス書」と称するもののほとんどは、本当に目先の短期の話題について、目先の話をするだけ。『ドットコムなんとか』とかいう手の本は、2000年正月前後にいっぱい出たけれど、株価の暴落でかなり魅力を失ったはずだ。さらに、執筆時点から雑誌が出るまでに二ヶ月。その後、雑誌が店頭にあるのが三ヶ月。おまけにぼくは市販されている本しか書評しないので、ぼくの目にとまるまでの時間を考えれば、ここで採りあげるには数年以上の寿命を持った本でないとダメなんだが、そんな本は実に少ない。

システムの科学  というわけで今回採りあげるのはハーバート・サイモン『システムの科学』第三版(パーソナルメディア)。新刊じゃない。刊行は一年くらい前だ。あまり話題にはならなかったように思う。この本の不幸(と言っていいならだけれど)は、この本があまりにすごすぎるところにある。カバーする範囲の広さ。深さ。ぼくはこの本を、科学書の棚で見つけた。タイトルや出版社から、コンピュータっぽい本だろうと判断する人もいるだろう。著者のハーバート・サイモンはノーベル経済学賞なんか取ってるから、ひょっとして経済系の人もなんかのはずみで手にとったかもしれない。そういう人は幸福なんだけれど、でもたぶん中身を読んだときは面食らったろう。

 本書の壮大さは、原題を見るとわかる。「人工物についてのいろいろな科学/学問」。ただしここでの人工物というのは、狭い意味での工学的な物体ではない。コンピュータソフト、デザイン、組織設計、企業運営、意志決定、経済・社会システムまで含めた、「人間がつくったありとあらゆるもの」という意味の人工物だ。この本でサイモンは、恐ろしいことに、ありとあらゆる人工物を貫徹する、ある考え方を提示してしまっている。  それを要約することは、このぼくですら不可能ではあるのだけれど、そのベースとなっているのが、人の発見過程と、知覚や記憶の仕組みだ。

 要するに、人間は知覚や記憶、そしてそれを含めた適応能力という生物的な限界の中で決定を行い、それにあわせて各種のものやシステムを創り上げる。だからプラニングや組織づくり、あるいはソフトやモノの設計デザインも、その限界をふまえたうえで設計原理を考えなくてはならない、という話。

 うん、これだけ読むと、いかにもあたりまえだろう。でもサイモンはそれをかなり具体的なコンピュータなどのシステム設計方針や、社会的な意志決定方針のたてかたにまで、非常に具体的な形で応用してくれる。予測、というものをどう考えるべきか。計画にあたってのいろいろな立場(トップダウンからボトムアップまで)をどう調和させるべきか。環境問題のとらえかた。問題にすべきほぼすべてのことが、この中で(お義理ではなく)きちんと触れられてしまっている。

 この本の欠点、と言っていいかどうかもわからないのだけれど、それは流し読みできないことだ。実に平易に書かれているけれど、中身の密度はすさまじく濃いし、各種の話題のからみ具合も常軌を逸している。ある部分でコンピュータの話をしていたのが、数ページ後にはいきなり心理学の話になり、それがしばらくすると言語論となって、さらに突然、企業組織と、経済合理性の話に移る。そしてあきれたことに、それが全部、確かに関連しあっているんだ。とばし読みしようとすると、確実に話がわからなくなる。じっくり読むこと。さらに、読者に要求される予備知識も、実は結構高度だ。時間をおいて何度か読み直すと、必ず新しい発見がある。読んで、明日から具体的にどうこうできる、という本ではない。でも、五年、十年というスパンで、この本はあなたの考え方やものの見方に影響を与えるだろう。

 ぼくは『新教養主義宣言』の中で、いろんな学問や知識は相互にからみあい、それが実用的な意味を持っているんだ、ということを書いた。それをこの本は、ぼくみたいなただの旗振りではなく、本当に深く強力に実践している。十年、二十年先まで通用する真のビジネス書として、是非読んでほしい。

 さて、本書の中でサイモンは経済や企業組織を論じつつ、「もしわれわれが自然科学に倣って導かれたいと思うのならば、私は物理学よりもむしろ生物学から比喩を得ることを進めたい。進化論的生物学には明らかに学ぶべきところがある」と述べている。というわけで、進化論的生物学の本を見てやろう。ちょうどいい本が出た。長谷川寿一&長谷川真理子『進化と人間行動』(東京大学出版会)。

進化と人間行動  この本は、大学の教養課程用の教科書として書かれている。進化が人間行動をどのように形作ってきたかについて、非常に手際よくまとめられた本だ。そもそもの進化の概念について、群淘汰や血縁淘汰の基本的な考え方、利己的遺伝子論、性淘汰の理論とそれが社会制度や性の役割分担とどう関わってくるかについての議論。そして最後には遺伝と文化的な影響についての考察。

 こう書くと、読者の中には、竹内久美子の各種トンデモ本を連想する人もいるだろう。本書も、それを意識しなかったわけがない。不倫や異性の魅力がどこまで進化に左右されているか、といった一部の話題の選び方は、性淘汰の大きなテーマでもあるけれど、竹内本も確実に意識されているはず。もちろん、竹内的なウケねらいだけの思いつき議論はきちんと批判されて、どこまで何がはっきり言えるのかが明らかにされている。
 ただし竹内本への直接のコメントはなく、暗に言及されているだけ。ぼくはこういうやり方が嫌いだ。気に入らない論者がいると「XXなどという論者もいるようだが」とか書いて、具体的な指摘をせず内輪の目配せで揶揄するだけというのは不健全だ。一方で The Bell Curve など外国のトンデモ本は名前を挙げて批判しているのに。ガイジンならいいけど、日本人にはあたりさわりなく、というのが露骨にうかがえる。

 付記:これについては、単に文脈的にそういう部分がなかっただけではないか、といった疑問の声もあったんだけれど、それならBell Curveやラシュトンも、特に参考文献に挙げなくてもいいだろう、とは思う。そうした本はアメリカではもっと具体的な政策的意味を持つから意義がちがうのでは、とも言われたけれど、それも関係ないような。とはいえ、本筋からはちょっとずれる話なのは確か。

 そしてそれが本書の欠点ではある。あたりさわりのなさ。教科書なので、これを欠点というのは酷かもしれないのだけれど、全体をつらぬく強い構築力のようなものはない。各種の話題を、一通りカバーしました、という感じ。グイグイ引き込まれるような記述のパワーもない。これは要求するほうが無茶かもしれないけれど、全体に印象の薄いニュートラルな記述になっている。一気に通読しようとすると、眠くなるだろう。いや、著者たちはがんばってはいる。はじめてドーキンスや、前にここでも紹介したウィルソン『社会生物学』を読んだときの感動について、個人的な思い出を述べてみたり、なるべく親しみやすくしようという努力のは見られる。でも、それでも中身が強く出てこない。

 だから読む人は、自分でメリハリをつけて、内容を記憶にとどめるようにしなきゃいけない。一般人として、進化について知るべきことのほとんどは本書でカバーできる。線を引いて、マーカーで塗って、自分で印象にとどめるところを制御しないと。本書が(悪い意味で)教科書的でニュートラルだということは、そこから何か具体的に引き出すときに努力が必要ということだ。サイモンの言うとおり、よく読めば本書に書かれた進化の議論から、経済合理性や企業組織について引き出せる知見もかなりある。それを読みとるのは、あなたたちへの宿題となる。

注:
Herrnstein & Murray The Bell Curve (1994, Free Press). 黒人は白人より生物学的に見て知能が低いから各種の人種平等政策は有害無益、と論じた本。なぜか全米ベストセラーになったが、論拠となる成績が無意味なほど小さいなど、各種の不備が指摘されていまでは冗談のタネでしかない。
……と書いたが、この時点では実際にこの本をきちんと読んでいなかった。その後読んでみたら、そんな本ではまったくなかった。黒人が白人より成績が劣ることは指摘されているが、それが遺伝要因だけとは書いていない。環境要因もあるのだ、ということはきちんと述べている。そして本としての結論は、「知能面でも階層化が進んでいるので、いろいろな社会手続きを無用に知的負担の高いものにする(つまり各種の申請書や提出書類を無意味に複雑にしたりすること)ことは、一部の社会階層にだけ有利になる差別的な政策になりかねない。そういう事態は避けるべきだ」ということ。まるでトンデモ本ではなく、きわめてまともで有益な本である。むしろ批判者たちのほうが、一部だけ取り出して無用に大騒ぎした可能性が高い。

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