Valid XHTML 1.0! 連載第 3 回

Sight 3 号 (2000.3 刊行) 書評:

イマニュエル・ウォーラースティン「ユートピスティクス」(藤原書店)
金子隆一「大絶滅。」(実業之日本社)

山形浩生


 そろそろ21世紀も第三ミレニアムも、来年から始まるのだという点について、みんな指摘するのも飽きてきただろう。だがそれが来年だとしても、事態は変わっていない。21世紀がきても新ミレニアムになっても、世の中が決定的に変わるとはだれも思っていない。世紀の変わり目といいつつ、提示できる新しい世界像がまったくないのだ。

 ぼくはこないだ、『明日の田園都市』という一九世紀末の本を片手間で訳した。建築や都市計画の関係者ならみんな知っている古典だけれど、いま読んでも抜群におもしろい。19世紀末、絶望的なスラムの町だったロンドンを見て、もっと人と環境にやさしいバリバリのハイテク都市を郊外に作って、みんなをそっちに移住させよう、という提案を初めてした本だ。世界のニュータウン計画や新都市計画は、すべてこの本の影響下にある。そしてこの本のすごさは、そうした都市建設の過程で新しい産業の創出と、強欲資本主義でもストしかしない社会主義でもない、新しい社会システムの構築まで構想していることだ。19世紀末から20世紀初頭には、そういう構想があったんだ。

 で、こんどは21世紀だ。が、そういうビジョンはない。どうすりゃいいのよ、というのが多くの人の実感だろう。社会主義はどうもうまくいかなかった。でも市場任せの資本主義でも、いいとこはいいけど、一方ではリストラの嵐。第三の道とか、セーフティーネットとかいう議論はあるけれど、どれも市場主義をなまぬるくしただけみたいだし、もう大筋はこのままで行くしかないわけ?

 イマニュエル・ウォーラースティンは、そうではない、と言っている。「いまのまま」の資本主義は、あと 50 年ほどで終わる。というか、いまはその資本主義の断末魔の中ですべてがぐちゃぐちゃになっていて、50 年くらいで別の形がたちあがってくるのだ、という。

 かれの議論というのは、資本主義というのは富の無限蓄積をめざす一つの大きなシステムなんだ、ということ。そのシステムがだんだん拡大して、今世紀はじめあたりで全世界を覆う世界システムとなった。社会・共産主義ですらその一部にすぎない。それがそろそろ、世界的に収奪先がなくなって行き詰まり、1968 年に崩壊を始めた。その結果フランスの通称五月革命や、日本の安保闘争やアメリカの 60 年代反戦ヒッピー運動みたいなのが世界中で発生し、いまの大混乱につながってる、とかれは主張する。

ユートピスティクス  かれはこれまでずっと歴史的な議論をしてきた。それが最近になって、これからを語るようになってきた。前作『アフター・リベラリズム』、そして特にこんどの『ユートピスティクス』。社会/共産主義や市場礼賛みたいなユートピア像ではない、現実的で望ましい将来像を考えてみよう。それがこの「ユートピスティクス」だ。

 すばらしい。で、それはいったいどういうものだろうか。

 それが……なにもないのだ。

 なんか新しい仕組みが出てくる。でもその中身はわからない。だけど、それまでなるべく自由とか平等とか人権とか平和とかを推進するように努力すると、その新しいシステムもそういう良心的なものになるでしょう。これだけ。

 そしてそのための「努力」の中身ときたら。もっと平等を、とかれはいう。女性差別や人種差別は、これまですべて近代世界システムが作り出してきた仕組みだ。でもそれをなくすには? かれの提案がすごい。くじびき、だ。

 なんかの仕事が 20 人分あって応募が 100 人。どうやって選ぶ? 普通は能力試験をするわけだが、ウォーラースティンは、それは権力者が権力を温存するための手段で、差別を延命させるからダメ、という。それに試験で 20 番と 30 番でそんなに差があるか? 30番の人のほうが実は優秀ってこともある。だからてっぺんとクズ以外はくじびきにしよう。そうすれば差別は減る。

 ……あんた、本気? くじびきぃ? ぼくはこういうことを口走った時点で、その人の現実的な政策提案力というのを疑ってしまう。

 あるいは環境対策。科学的に決めるには限界があって、どっかで政治的な選択をするんだから民主主義的に決めよう、という。うん、でもまず科学的に意味のある政策的選択肢をどう作るの(ちなみにかれは、科学は権力者がねじまげるから無視していい、といわんばかりの書き方をする)? 国民投票できめれば万事オッケー、なわけないじゃないか。

 ついでにその、50年先にどんなシステムが出てくるかわからん、というのの正当化に、かれはカオス理論を持ち出すんだ。そういう墓穴をほるようなまねしなさんな。そんなもの持ち出したら、いったい何がどう影響するかわからないんだから、いっしょうけんめい善意な方向に努力すればそれを反映した社会ができるなんて言えないぞ。単純に「わからん」といえばいいものを、聞きかじりで変な箔をつけようとするから。みっともないね。

 とはいえかれが挙げる、今後の世界動向についての見識は傾聴に値する。民族抗争みたいなのが増えるだろう。難民や移民が増えるだろう。イラクみたいなアメリカの手に負えない部分が増加する。マフィアの活動が増える。それはそうなんだ。かれがそれを引き出す理屈まで含めて、おさえておく必要がある。

 さらに、今後(いやすでに)この人が軟弱リベラル・左翼系の一つの理論的な柱になるのもまちがいない。かれらの論法を知っておくためにも、この本を読む価値はある。たとえばかれが示す NGO や NPO への妙な信頼。これはとってもヤバいと思う。たぶん 10 年以内に、狂信的な NGO や NPO の暴走による大惨事が頻発するはずだ。それをつぶす(または便乗する)には、こういう論者を理解しておかなきゃいけない。

 団結しよう、と言ってかれはこの本を終える。かれは「権力者」と「権力のない人」という区分をして、権力のない人が団結して力を、という。でも、だれが何と、なにを根拠に団結するんだろう。白人の、第一世界の、知的選良たるインテリの、男である著者。それがたとえばタイの売春婦と、なにを媒介に団結できるの? 第三世界人民との団結。昔懐かしい(破綻した)全共闘ではないの。そして結局かれの見ている世界は、もっと自由と平等と福祉と人民に力を、という現在の延長線で、なんら新しいビジョンを出すものではないのだ。

 それとも、そんなビジョンはもうあり得ないんだろうか?

 そう思っていたところへ、いきなりすごい本を読んでしまった。『大絶滅。』

大絶滅。  本書の主張はまず「地球に優しい」なんてくだらないレトリックに頼るな、ということ。地球は人間や生命のことなんか一顧だにしない。自分の地核変動で、何度も生命を絶滅させてきている。いまたまたま維持されているこの環境も、いつ(地球自身の働きで)破壊されるかわからない。だからわれわれは、それをどう生き延びるかを考えなきゃならないし、それができるまでいまの人間にとって快適な環境をどう保つか、という課題は重要となる。そういう認識を持たずに、フワフワした耳触りのいいキャッチフレーズだけふりまわしてどうなる。意味のあることを考えなきゃならない。

 しかし環境について人類が知っていることはあまりに少ない。だから、それを知る努力をもっと大規模に必要となる。

 本書はもっぱら、人が地球(あるいは地球と生命の関わり)についてどれだけ知っているかを、地球の発生からとき起こす。そして特に、恐竜の絶滅という事件を取り上げて、それに関する各種の学説を紹介したあとで、いちばん確からしいものとして地核活動によるマントルの地表への噴出が挙げられる。それを根拠に、かれは安易な「母なる地球」みたいな甘っちょろいガイア論者を戒める。ふざけた題名や表紙とはうらはらに、中身はきわめてまっとうで勉強になる。

 が、本書がすごくなるのは、その後だ。

 このままではわずか(!)1000 万年ほどで人は地球に殺される。それを阻止する、あるいはそれを乗り越えて生き延びるための方策を、今から考えなきゃいけない、と本書は主張する。それはつまり数億年単位、少なくとも数百万年単位でものを考え始めなくてはならない、ということだ。その中で、地球をどういう状態に維持するか、ということを考えなきゃいけない。なるべく現状から変えない、というのも一つの(人工的な)選択だ。あるいはこのまま滅びる種は滅びるに任せ、人間としてやりたい放題する方向性もある。そのどれも、いまはすでに人間が自主的に選びとらなきゃならないものになっている。  つまり考えるべきなのは、「環境を守る」ことではない。どういう環境を作り制御するか、ということなのだ。地球の環境を制御するための頭脳としての人類。人はいま、地球(の現在の生態系)にとってなにがいいかを考えて、そこに介入し、それに応じて自分の繁殖すら制限しようとしている。そこからいずれはさらに進んで、遺伝子工学で絶滅種を復活させ、自分自身を改造することも辞さない。人はそういう存在にならなきゃいけない。本書はそう主張する。

 荒唐無稽。でもここにはビジョンがある。人類としての役割、将来の方向性まで見据えた、ある考え方が提示されている。もう一押し二押しすれば、この先まあ一万年かそこらは人を動かせそうな原理になるかもしれないものだ。

 そりゃ確かに、たかが 1000 年単位でミレニアムとかいって大喜びしているバカな人間たちに、百万年、一億年単位でものを考えられるわけがない。

 わけがないんだけれど、でもあなたはそれを考えなきゃいけない。考えざるを得なくなる。地球環境問題を考えるというのは、目先の処理もやる一方で、そういうことを考えることなんだから。そして本書の中身がもう少し広く、しかも確実な形で理解されたとき、おそらく人類は真に 21 世紀、いや第三ミレニアムに向けての目標を手にすることになるだろう。それがどういう結果を招くかは、まだだれにもわからない。


コメント:この号から方針が変わって、とりあげる本は2冊に限定。個人的にはCUTのレビューと同じになってしまって、どう差別化すればいいやらとまどい気味。差別化しなくていいのだ、という話もあるけれど。



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