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SIGHT Book Review: Business & Science

Issue #01 1999/09

山形浩生


 いまのビジネスにとって、コンピュータや情報ネットワーク技術の重要性は異論のないところだろう。そう言われて首を縦にふってしまったあなた。ちがうのだ。実はこういうものの本当の意義とかはかなりまゆつば。だってアマゾン・コムって、株価は高いけどぜんぜんもうかってないもの。アメリカ経済の好況も、インターネット企業の急成長のおかげなんかではない。まともに生産性があがっているのは、コンピュータ製造業だけなのだ。そのコンピュータを使う企業にはなんのメリットも出ていない、という研究結果が先日出てしまったのだ。

 おそらくこれをネタにした本がじきに出る。今回はまず、それを読むための準備としてネットワークやコンピュータがらみの手堅い基礎から。

ネットワーク経済の法則  まずヴァリアン&シャピロ『ネットワーク経済の法則』(IDG コミュニケーションズ)。必読の名著。この手の情報化社会モノは、「これまでの経済やビジネスの原則が情報化によって一変」という、とっても無知蒙昧な議論を展開するものがほとんどだった。この本はちがう。この本は「ソフトだろうとネットだろうと、経済の原則は変わらないし、これまでの知見は十分に応用できるのだ」というきわめて健全かつ正しい認識をもとに、きちんとしたあぶなげない理論展開ととても現実的なビジネス戦略がわかりやすく書かれている。この本を読まずしてネットビジネスだのソフト戦略だのを語るなかれ。

 それもそのはずで、著者の一人ヴァリアンは、ほとんど定番の中級ミクロ経済学の教科書の著者として名高い人物。この人を知らなければ経済学の世界ではもぐりだ。「『あの』ヴァリアンの本だしぃ」というような言い方をすると、ちょっと物知り顔ができて吉かもしれない(ただし細かくつっこまれて往生してもぼくは知らない)。

ネットビジネス戦略  同時期に『ネットビジネス戦略入門』とか『e-ビジネス戦略』とか、似たようなタイトルの本が出てきたが、手を出さないこと。「顧客のニーズに応える」だの、言うまでもないお題目が並んでいるだけのいんちきコンサル本だな。何の役にもたちやがらん。

 ネットワークとソフトウェア関係では、もう一つおもしろい動きが表面化してきている。これがフリーソフト、オープンソースという動きだ。最近では週刊誌でもよく Linux という名前を見かける。これがオープンソースの筆頭格。ソフトの中身をすべて公開し、だれでもコピー・改変可能にするという、ビジネスの常識では考えられない動き。 オープンソース・ソフトウェア だが、それを実際にやる人々が続出し、しかもそれがマイクロソフトをも喰う品質と勢いを見せている。この調子でいけば、ソフト産業はこの十年で一変する。

 『オープンソース・ソフトウェア』(オライリー)は、その運動の当事者たちが、歴史や思想、ビジネスへの展望や将来見通しなどについて明快に語った優れた本。訳が超訳に走っているのは不満だけれど、つじつまはあわせてあって、一応読める。コンピュータに関する基礎的な知識はあらまほし。「インターネットって何?」とかいうレベルでは、たぶん読みこなせない。でもそれさえあれば、本書に登場する人々は、この分野を代表する実力者ばかりだ。この本を一通り読んでおけば、一通りの事情はわかるようになる。

LinuxがWindowsを超える日  逆に『LinuxがWindowsを超える日』(日経BP社)はひどい。評者(ああ、ぼくはこの分野ではかなり権威なのだ)のホームページをいい加減にパチったような代物。いたずらに対立図式ばかりをでっちあげ、「マイクロソフトからは技術革新はもうでてこない」なんてとんでもないデタラメを平気で口走る。しかもオンライン上の引用文献なんかについては、出所一切なし。手を出さないこと。この分野についてはこの先、もっとまともな本がいくつか出る予定だときいている。

世界大不況への警告  もっとコアな経済の本としてはクルーグマン『世界大不況への警告』(早川書房)が今期の必読書。ただし、訳者の「ネット経済の脅威が云々」なんて中身と無関係で無内容なゴミクズあとがきにはうんざり。クルーグマンがその手のネット経済論者をどんなにバカにしているか知らないのか! でも中身は前著『グローバル経済を動かす愚かな人々』よりはかためなので、この翻訳でもあまり価値は落ちていない。その分、ちょっと腰を据えて読んでほしい。クルーグマンの最近の主張を知っている人ならば中身は目新しくはないけれど(「日本はインフレ期待で景気回復を!」等)、それをじっくり整理しなおしてくれているのはありがたい。

信用恐慌の謎  もっと歴史的に恐慌をとらえなおしたければ、トゥヴェーデ『信用恐慌の謎』(ダイヤモンド社)。これはおもしろい。なにせ著者自身がバーゼルに巣くう悪魔のヘッジファンドのマネージャだ。金本位制から信用紙幣に移行した恐慌という現象について、歴史的な外観と同時に理論的なおさえをがっちりかため、しかも読み物としても無類のおもしろさ。理論も、ケインズ、フリードマンからカオス理論まで幅広いし、絶品。予備知識があればあるほど楽しめる本なので、勉強しつつ何度か読み返すと吉。

 柔らかめの本としては山本伸幸『キャバクラの経済学』(オーエス出版社)。実は、経済学というよりちょっとしたルポだが、それゆえに手軽に読めておもしろい。そしてここにはとても大事なポイントがある。人がいったい何に価値を感じて、なんのために行動するのか、というのは実はよくわからんのだ。キャバクラなんかでぼくたちが、ウソと知りつつも大金を払ってサービスを受けるのはなぜ? キャバクラは擬似的な人間関係を売っているのだ、というのは、経済や人間活動の根底にある「価値」にかかわる問題でもある。この本でその本質が見極められるわきゃないが、それを考える契機にはなる。

日本の宇宙開発宇宙観光がビジネスになる日  中野不二男『日本の宇宙開発』(文春新書)。日本の宇宙開発の歴史を述べた本で、軍事利用を避けつつ続いてきたわが国の苦労と希望がよくわかる。ただ、ビジネスこそが大事、宇宙開発で新しい産業を、という問題意識はわかるんだが、宇宙ビジネス自体には触れないのだ。それが不満。イリジウムをほめているけれど、イリジウムは結局契約者がぜんぜんつかず、こう書いている間にも会社更生法の適用を申請したって。うーむ。まねっこプロジェクトも5つほどあるが、この感じだと全滅か? ビジネスの見通しもこれでかなり暗くなった。やはり宇宙ビジネスを考えるには、おそらく著者が敢えて避けている「夢」の部分をもっともっとふくらませなくては。スタイン『宇宙観光がビジネスになる日』(出版文化社)はそうした部分まで射程に入っていておもしろい。『キャバクラの経済学』にもあったけれど、夢こそが実はビジネスを産み出すのだから。いま、いろんな分野で感じられている閉塞感は、そうした夢の枯渇こそがおおきな原因だ。インターネットごときのちんけな夢でもこれだけ人は大騒ぎする。宇宙にはもっともっと可能性があるはずなのだ。

バイテクセンチュリー  遺伝子分野も、まちがいなく夢はあるのだが、その裏の面がかなりよく見える点がちょっとちがう。リフキン『バイテク・センチュリー』(集英社)。ある意味でリフキンお得意の安易なマッチポンプ本ではある。『エントロピーの法則』の人といえば、聞き覚えがあるかもしれない。なにかと「これは天下の一大事!」的なあおり方をする人で、前作『大失業時代』では、経済のイロハがわかっていないと失笑を買っていた。でも、この本に関する限り、しっかりした調査をしている。遺伝子商売の実態、倫理、道徳的な問題、生態系への影響などを手際よくまとめて、この分野の概観には好適。ただし、そもそも遺伝子とはなんぞや、といった程度の科学知識は必要。そういう入門書も、今後この欄で少しずつおさえていく予定。本は逃げないし、ここで紹介した本は最低でも三年は使いものになるので、焦らずゆっくり勉強しつつ読んでいっていただければ幸甚。では。

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