□■□■□■  Entropic Forest ■□■□■□

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連載 第 13 回(最終回のさらに後)

「エントロピーの森」をぬけて

――単なるディテールとしての人間の世界へ


山形浩生



 ふと気がついてみるともう 21 世紀がそこまできていて、ぼくが物心ついたばかりのガキの頃に胸を躍らせてでかけた万博なんかで描かれていたものとはまったくちがう世界を生きていることには、われながら多少の驚きを感じてしまう。たぶん当時のぼくは、いまの写真を見せられてもそれが 21 世紀目前の写真だとは信じなかっただろう。でも今回、ぼくはハイナーが撮ってきた東京近辺のいろんな写真を見て、それを 20〜30 年後の風景に見立てることに、ほとんど何の苦労も必要としていない。

 万博から 30 年、ぼくたちはいまやフィジカルな都市(少なくとも東京に関していえば)がとてもミクロな形でしか変わらないことにも慣れてしまっている。一部では、大きな再開発なんかで都市が大きく変わることもあるけれど、全体としてはこれからも小さな手直しに終始するだろう。権利という概念が変わったり、日本の意志決定システムが完全にひっくり返ったりしない限り。東京湾横断道みたいなものを作っちゃって、財政的にも政治的にも、いま景気回復の名目でやっているものが終わったら、その後はもうむずかしいだろう。既存の市街地を大幅に変えるほど私権を蹂躙するだけの覚悟を持った政治体制は、たぶんありえない。

 したがって、それも含めて変化はむしろ社会的なものになるだろう。このシリーズでは、それを描こうとしてる。そうそう、ここにも時代の影響は出ていて、ぼくたちはもうあまり明るい未来像は描けない。コンピュータネットワークがどんなに発達しても(いやそれ故に)ぼくたちの抱えている基本的な問題はそのまま解決されずに、先送りになるだろう。まずは高齢化と少子化。それに伴って、どっかで移民労働力の受け入れが大きな選択肢としてあるだろう。どんな反対論が出ようとも、近くの国から生まれるであろう難民受け入れ問題と組になって、必ずなし崩し的に話が進むはずだ。

 コンピュータネットワークは拡大する。これはいま、合理性とは別のなにかに動かされているから。そしてそれはいま話が進みつつある ITS(高度交通システム)と結びついて、変な具合にこの現実世界とからみあうのではないか。高速道路なんかには数百メートルおきに事故検出用の監視カメラをつけることもまじめに検討されている。これを一般道までに拡張して、うまくネットワーク化してやれば。バングラデシュのホテルで入る NHK 国際放送では、実際の放送が始まるまで、本当に渋谷の NHK 付近の交差点をずっと映している。

 そしてそれはもちろん、発達してくれば確実に監視システムとして機能するようになるだろう。そしてそれはセックスとか性欲とか、あるいは欲望全般とかを含めた人間の欲望のコントロールと結びついて、フィードバックとして使われる。いまのアニメや漫画やMTVがが、ものすごく単純なパターンやシーケンスで欲望を見事に喚起し、ある種のドラッグもまた純粋な形でそれを抽出している。ちなみに、バンコクの某売春宿の入り口は、ハイナーが撮ったどこかのコンクリートの入り口とそっくりなのだ。

 そしてもう少しマクロな政治や経済動向としても、いまの市場絶対と民営化の動きには、逆転がかかる可能性はある。でかいプロジェクトがいくつか立て続けにこけて、発展途上国の一部がいつまでも途上のままで、そこへたとえば量子コンピュータとちょっと賢い数理社会モデルみたいなのが出てくれば、タイミングしだいで振り子がまた計画経済重視に移ることだって十分あると思う。ただしそのとき、計画をするのはもうほとんど人間ではないだろうけれど。さっき、ネットワークの拡大が合理性とは別のなにかに動かされていると書いた。いま何かよくわからない理由で、人間をコントロールするためのいろんな仕掛けが完成に向かいつつある。今後 50 年で、それがさらにはっきりしてくるだろう。

 ただしそれが完成されるまでの間、たぶん人は制御されることに漠然とした不安を感じるだろう。そこから逃れようとする意識のために、噂とか口コミが妙な形で人を動かすようになる。そしてシステムの微調整の間に、かつてのASEANのような、別の経済発展の地域が出現するだろう。

 ハイナーが撮ってきた写真には、すでにそんな兆候が読みとれる。ハイナーの写真では視野の中のものがすべて平等で、人間的なドラマは極力排除されて、光学的な重みづけもない。そのために、日常的な細部がふつうとはちがうバランスで浮かび上がる。人間もまたその都市の細部の一つでしかない。

 そしてそれはもちろん、書いているぼくの環境のせいもあるだろう。二回目と四回目を書いたのは、バングラデシュのダッカのホテルでのことだ。ITS の回を書いたのは、ミャンマーのきたない紅茶屋でのことだった。日食直後のブタペストで書いたのはどの回だったっけ。9 月に書いた分は、メキシコシティで、最後の回はハノイだ。どんな都市も数日いるとそれが日常になって、遙かかなたの東京は存在自体が嘘臭く、リアリティの薄い場所となる。そんな意識のあり方が、写真の見方にも反映しているかもしれない。

 そしていま、モンゴルのウランバートルで、ぼくはこいつを書き終えようとしている。



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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)