□■□■□■  Entropic Forest ■□■□■□

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連載 第 11 回

監視。

山形浩生



 「ここもつぶすのかぁ」と杉岡はつぶやいた。

 劉は何も言わなかった。何をいまさら、という表情で、竹林からこちらに一瞬視線を向けただけだった。背後では、近所の老人数名がじっとこっちをうかがっていた。


 翌日、二人が視察に出たときの空は、相変わらず鈍重な色のくせに動きの早い雲がたれこめて一面に光がチラついている。いつながらの空。「あきチャンネルに合わせたテレビの色」ということばがふと思いうかぶ。デジタルテレビ時代全盛のいま、こんな表現はとうにアナクロ化していたのだけれど。

 こういう空模様続きの原因については、諸説ある。オゾン層が関係している、という人もいる。フロンはとうの昔に全廃されたが、ここ数年オゾンホールが北半球のあちこちで観察されるようになっている。オゾンとフロンは無関係で、実は大気変動とオゾン層の関連でこうした変動が生じているのだ、という説が有力になりつつある。それとも過去の残留フロンがまだ触媒として働き続けているのか? この説も根強い。でも、原因は何にせよ世界的に雲が増えてきているのは事実で、このため世界的に冷夏と農作物の不作が続いている。

 にも関わらず、南極の氷が減少を続け、海面もあがり続けている。前世紀末の京都会議での炭酸ガス排出規制は、排出権取り引きの進歩もあってかなり有効に機能しているのに。それにここ数年、ヒートアイランド化している都市部を除けば気温は下がり気味なのに?

 これも原因はよくわかっていない。しかしいずれにしても、海面があがって、既存埋め立て地も含めて土とゴミの積み増しができて、杉岡としてはありがたかった。

 「しかしそれも気休めか」とかれはつぶやく。空の下に広がるのは、P計画の埋め立て処分場の最終区画だ。向こうには30年前の中央防波堤沖処分場が見える。とうの昔に開発が終わって、いまは難民施設を中心とした変な地区になっている。

 「ここもせいぜいあと2年ですからねえ。ゴミ輸出も高くなってきたし」と劉。
 「中国とロシアがしばらくは引き受けてくれるから、それでなんとかあと5年くらいは」
 「でもあそこも政情不安だし、国際的にもうるさいし、あてにはならんでしょう」そう言う劉はそんなこと以前に、そもそも自分のふるさとへのゴミ輸出が気に食わないのだ、というのを杉岡は知っている。


 先週の会議の杉岡メモ:

今後の処分計画について:a. 海外輸出←受入先の問題と国際感情。b. 内陸処分場? 処分場不足、規制を下げて対応? あるいは修景利用←事例:「行徳富士」、コペンハーゲン他


 事例見物で、何度めかにやってきた、通称「行徳富士」では、めずらしく子供たちが遊んでいた。ふつうは老人たちが少しいるくらいだけれど。20世紀末に、建設残土の不法投機が黙認状態で、いつのまにか住宅街のまんなかに異様な山ができあがってしまった。自治体と業者が相互に訴えあって結局収拾がつかず、そのままになっている。が、数十年たつと、もはや住民も完全になじんでしまい、異様だと感じている人の方が少ない。あれ以来、住民がかなり入れ替わってしまったこともある。朝方にくると、老人にさんざん昔話を聞かされ、これがいかに目障りかを力説されることもあるけれど。残土に何がまじっていたのか、いまだに雑草以上のものは生えないけれど、結局自治体に移管され、ランドマーク兼オープンスペースとしてランドスケーピングされて、公開されている。「産業の記憶と住民との共生」などと担当したランドスケープ・アーキテクトがほざいていた。いい気なもんだと思う。ましてや、これでゴミの処分を考えようとしているのに。あいつは「ゴミと住民の共存」とでも口走るのだろうか。

 が、まあそういうやりかたもあるのかもしれない、いやそれしかないのかもしれない。ゴミとの共存。自分のゴミを見ながら暮らすこと。ふとみると、いつになく老人たちが山肌にぼんやりたたずんでいる。

 「珍しく雲がはれましたね」と劉が言う。




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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)