連載 第 09 回
山形浩生
まあ、20年代じゃあるまいし、もういまどき市場まかせってわけにいかないからねえ、と、その投資家は遠い目をした。われわれの役目も、限られたものでしかないよ。非線形シミュレーション経済計画で、イランやヨルダンやカナダがあそこまで実績あげてる時代に、市場信仰でもないでしょう。特にインフラ面ではね。前世紀末の民営化ブームが世界各地で破綻したし、特に東欧地域でのBOTプロジェクトがことごとく失敗したのは大きかった。日本でも、前世紀にPFI法をつくったはいいんだけれど、いつまでたっても実績なし。それで焦って、鳴り物入りではじまったプロジェクトがこのザマだ。やっぱインフラは公共整備しかない。しょせん市場のきまぐれでは、まともな整備は望めないってことだ。
そのプロジェクトの取材で今日はかれに会いにきたのだった。
まあ、かなり無茶なところはあった。駅舎再開発と鉄道の路線増強に、地下鉄新線建設事業をからめた、複雑な代物でさ。路線のほうはほとんど採算性がなくて、それで駅舎をでかくして、そっちの収益で路線の赤字分を補うスキームだったんだよ。
それがどうして、と尋ねた。
時代がね。当時の商業の主流は郊外の大SCに移行しつつあって、駅ビル自体に魅力がなくなりつつあったし。政府もいっしょうけんめい外郭を入居させようとはしたんだけれど、おのずと限界がある。商業ビルも鳴かず飛ばず、鉄道と地下鉄は予定通り赤字。いろんな意味で、いまから考えると無茶なプロジェクトだったんだ。いや、いまは環境も変わってるし、駅ビルで勝負もできる。このまま競売にしちゃうのは惜しいよね。実はそれを心待ちにしてる連中もいるんだけど。だから最近物騒なんだ。
投資家は、写真家をガランとした通路につれてきた。ぼくはここがなんとなく好きなんだ。というか、このプロジェクトの縮図みたいだろう。外のいろんな人のいろんな思惑が映りこんで。あっちも見える。後ろも見える。でも中はがらんどうのどん底。みんなの思惑しか見えない。どうだい。
そう言われて、写真家は一応それをカメラにおさめた。
旗振りプロジェクトだから、政府が面子にかけてもコケさせるまいと思って、それでぼくたちみんな金を出したんだけれどね。甘かったよ。相手が人間の役人ならいざ知らず、計画用のコンピュータじゃね、あはは。しかもなまじややこしいスキームなので、ぼくたち投資家も利害が入り組んでて、再建もほとんど不可能。プロジェクトの債券も、ジャンク以下だし。あれ以来、もうプロジェクト・ファイナンスは国内では無理だ。それ以前からむずかしかったけど、もう決定的にできなくなった。
ここをごらんよ。東京証券取引所の一部だよ。無理矢理入れてもらったんだ。といっても、もうあまり意味はないな。場立ちも、ぼくが高校生の頃になくなったし。最近の株価低迷で、しけたもんだ。まあ、あまり関係ないか。合理的な部分は全部コンピュータが全部勝手にアービトラージかけるし。それで取引量は増える一方だけどね。もう人がつまらん小細工する時代じゃないのかもしれん。国の計画シミュレーションとのリンクも、人間だと不可能だし。ところでこの鏡張りの雰囲気は、ちょっとさっきと似てるな。
そういわれて、写真家はここの写真も撮った。自分自身が映っている。
これからの見込みをきいてみた。
いやあ、なんとかなるよ。鉄道と地下鉄は公共が引き取る。あとの部分でいま、債権者集めてワークアウトのスキームを練ってる。建物だけなら将来的には有望だし、みんななんとかしたいとは思ってるんだから。いまさら競売はないだろう。いまが底だ。もうちょっとがんばらないと。
わたしはこの話をハミドに伝えた。数日後、男の死体が見つかった。ナイフで首を切られて、顔をぐしゃぐしゃにつぶされ、ハトたちの見守るアパートの谷底に投げ込まれていた。プロジェクトはイラン系資本が落札して、改修工事中だ。