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連載 第 08 回

監視。

山形浩生



 画面一面を赤い帯が覆った。

 あれは忘れもしない4年前の夏。家族を毒殺したという疑惑で、かれは日本中の関心の的となっていた。かれの一挙一同を、すでに監視カメラが追いかける状態。中央アジアと関係が深いといわれ、慎重な姿勢だった警察がついに逮捕へと動いたとき。容疑者が自宅間近で突然きびすをかえし、駆け出した。

 逃げる容疑者を、日本中が監視カメラで追っていた。テレビもその影像をそのまま映し出している。警察官が、監視カメラのデータをもとにそれを追う。そのときのできごとだった。

 多くの人は、またネットワークのグリッチかと思った。あるいはモニタの接触不良か。容疑者の姿は見えなくなり、復旧したときには、もうかれの行方はわからなくなっていた。

 これが容疑者グループのしわざか、それとも追跡の邪魔をきらった警察がへまをしたのかは、いまだにはっきりしない。警察だろうとは言われる。その後も、要人来日の際など、何回か同じようなことが起きたから。

 Web カメラは、前世紀末のウェブ草創期からあった。コーヒーポットを監視してみたり、自動販売機を監視してみたり。だがそれがまったくちがう意味合いを持ってきたのは、日本での 2023 年の(予定より大幅に遅れた)第二東名高速道路開通のときだ。上下線とも 500 メートルおきの交通流監視用カメラが、情報公開法の拡大施行に伴ってすべてネット接続され、やがて一般道にもそれが展開。沿道の店舗やビルが宣伝用に、自店の映るカメラ位置を自発的に提供。ビルの共用部分を含む、ありとあらゆる道路、交差点が常時ネットで見られる。カメラが多すぎて、IPV6 の IP アドレスさえ枯渇しかけている。だれもいない、寂しい交差点。あるいは深夜過ぎても人のいきかう裏通り。それをストリームで取り込んでなにも考えず、ひたすらぼんやり眺め続けるのが暇潰しになっていた。テレビも、もう中継車の出番はほとんどない。監視カメラの影像のほうが圧倒的にはやい。

  しかし、この一件を期に、状況はまた変わりはじめた。監視カメラのデータを改変できるのが、だれの目にも明らかになってきたからだ。この事件でふたたびプライバシー問題がクローズアップされてきて、特に民間設置のカメラを中心に、有料で画像の一部にマスクがかかる動きが出てきた。

  マスクの技術もあれから急速に進歩した。画面の中の、ごく一部分だけにマスクをかける技術が数多く登場した。階段室の下など、一部マスクのかかった変な場所は、クスリ取り引きや喫煙に使われているという。さらに最近ではもう、露骨なマスクは減っている。CG 合成で一見、物理的な覆いにしかみえないものを影像にかぶせてあるのだ。

  もう監視カメラ経由の風景と、現実の窓から見る風景はまったくちがう。ぼくがいるこのビルは、監視カメラ上ではもう5年も前から、ずっと改修工事が続いている。画像内壁面を広告用に貸し出す商売すら出てきている。ネットから見る現実は、広告だらけの(それも動画の)建物の前を、覆いだらけの車が通過する、古典映画『ブレードランナー』まがいの風景になっている。

  先日、祖父をつれて(というよりつれられて、だろうか。もとバックパッカーの祖父とちがい、ぼくは旅行は苦手だ)ザンビアにでかけた。もう 21 世紀も半ばだというのに、ネットもほとんど届いていない。テレビも、日本からのチャンネルはあいかわらず一つだけ。(しかも中身は、合併民営化前の NHK――もっともリストラされた連中はいまだに「かつてのわれらこそ真の民営、あれは商業化であり、我が国ジャーナリズムの終焉である」と公言して煙たがられているらしい ―― となにも変わっていない、と祖父は苦笑)。

 深夜。11 時頃に放送が終わると、あとは一晩中、どこかの交差点が映し出されている。なにも起こらない。ときどき車がウィンカーを出して、信号待ちをしている。そして走り去る。

 まるでむかしのウェブを見ているようだ。



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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)