□■□■□■  Entropic Forest ■□■□■□

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連載 第 05 回

片隅で。


山形浩生

 21世紀も半ばになると、もはや機械に人間をはるかに超えた知性が持てることを疑える人間は皆無でした。MITの超コンピュータのゴーレムXIVがあの有名な講義を最後に沈黙し(これについてはレム『虚数』が詳しゅうございます)、各種の関連資料が公開されるにいたって、その印象は決定的になってまいりました。本当に賢い人との会話で、論理がCDの針飛びのような飛躍を繰り返し、ある時点でまったく話がわからなくなり、なにか自由に空を飛ぶ相手を前に、自分一人がなすすべもなく地上にしばりつけられている、という屈辱感は、だれしも経験ずみでしょう。それがあらゆる分野、あらゆる場面でいっせいに起きたと申しましょうか。ゴーレムの出力は、まず前提と結論との結びつきがわからなくなります。次に結論そのもの、前提そのものがわからなくなります。最後には、その出力が何なのかもわからなくなります。わからない部分の解読作業すら遅々としてすすまず、やがてはそれに取り組む人も減ってきました。すでに答が出ているものをなぞったところで、むなしいだけというわけです。

 考えられることが尽きてしまった、という諦念が、前世紀末にはありました。あとは原理的・本質的に考えられないことの領域があるだけではないのか。しかし、ゴーレム事件で人類は思い知らされてしまったのです。考えられることは実は果てしないのに、人間にその能力がないだけだ、ということを。限界は論理と知性にあるのではなく、人間にあるのだ、ということを。

 かつての諦念が消えたかわりに、それはそれは深い絶望が全人類を覆うようになりました。ムスリム圏では神学論争が内線にまで拡大。同時に、機械やコンピュータに対する強烈な拒否反応が生じたのはやむを得ないことだったのでしょう。いたるところで機械が破壊され、ネットワークが切断されました。が、結果的にそれは自分のクビを締める結果にしかなりませんでした。配電グリッドが落ち、流通がとまり、旧ポーランドとラオスでは飢餓と暴動が蔓延、EC は崩壊寸前にまで追い込まれました。それがまた、一段と深い絶望へと人々を導いたのです。すでにヒトは、機械や、もっと高度な未知の知性体ににいいように使われているだけではないのか。家畜やペットが人間の各種システムに依存してのみ生かされているように、ヒトも何かに依存させられた存在ではないのか。いや機械だけではない。経済システムも、技術も、都市も、この文明も、実はわれわれの知らない神以下の力に操作されていて、何かにつくらされた、もはや全貌すらつかめない果てしなく続く都市の片隅で(2050年の都市人口は、世界人口の半分を超えていました)、ヒトはどた作業を請け負わされているだけではないのか。それを尋ねようにも、唯一答えてくれそうなゴーレムXIVですら、もはや人間を相手にはしなかったのでした。

 絶望の中で、ティヤール・ド・シャルダンやクラーク『地球幼年期の終わり』を聖典とする新興宗教が、10 年ほど前から各地に乱立するようになりました。いつか人類はこの状態を脱して、新たな段階に到達するのだ、いまのこの肉体のくびきを脱し、一つの精神体となってこの重力の檻から逃れるのだ。そしてそれを人類補完計画と称し、シトを名乗って破壊活動を繰り広げる一派もおりました(一瞬で鎮圧)。そして信者たちの希望もむなしく、人は相変わらず重力と肉体にとらわれて地上をはいずっておりました。

 次第に無力感と、その裏返しの投げやりな開放感ばかりが拡大してゆきます。こうして何の役にもたっていない公園のハトたちと同じく、人類もこのまま、単に生き、死に、いるだけではないのか。それでいいじゃないか、こうしてぼーっと無目的に生きていれば。

 その気分が頂点に達したとき、いきなり誕生したのが、われわれ機械主義者(メカニスト)たちだったのです。




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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)