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旅行人2003/12月号
旅行人 2003/12

隔月コラム:どこぞのカフェの店先で 連載第7回

ロケットを打ち上げる国に援助すべきか

「旅行人」 2003年12月号(No. 140) pp.42-3

要約:援助する場合、お金を出す側ともらう側が同じ方向を向いていると、お互いやりやすいけれど、実際はそうではない。中国はロケットうちあげを頑張っているが、それは方向としては日本が援助で実現したいものとはちがう。さてそういう国に援助をすることは正当化できるんだろうか?


 中国は本誌の読者にとってもかなり興味のあるところだろう。沿海部の発展ぶり、奥地の貧しさ、一口に中国と言っても多用で、人も飯も実にさまざま。ぼくには、昔、雲南省でうろうろしていたときというのが自分のバックパッカーもどき貧乏旅行の中でもいちばん楽しかったときの一つだった。広場で早朝ディスコダンスに興じる人々、ダイ族の異様にうまい料理(パイナップルに詰めた紫餅米のうまさはいまだに思い出される)。道ばたで、何やら木の幹を薄切りして売っていたのを買い損ねた悔しさ(あれはなんだったんだろう)。大理で、なぜかぼくに妙に親切にしてくれたお寺の入り口の警備員さん(空豆をたくさんのせてお茶をかけたご飯をおごってくれた)。麗江で、焼き鳥屋台で飯を食っていると、まわりの見知らぬ連中がなぜかどんどん辛い焼き鳥をおごってくれて、食わなきゃ失礼と思って舌がとんがらしで腫れ上がりそうになりつつも必死で食ったこと。そしてそこから、ベトナムとの国境を越えて(当時は列車が通じておらず、紅河を下に見ながら鉄橋を歩いて渡ったのだ)ベトナムの山奥をうろついたのも、これまた楽しい思い出だった。いつかもう一度、あそこに行きたいと思いつつ、ぼくはいまだに果たせずにいる。

  さて、その中国が先日有人宇宙船を打ち上げてしまったので、援助を続けるべきかどうか、という話が盛り上がっている。有人宇宙船を打ち上げるくらいの金があるんなら、援助なんかいらないくらい豊かだろう、だからやめろ、という話だ。それに対して、いやまだ貧しいところはある、平均で見れば所得は低いし貧困者もいる、だから援助は続けるべきだという考え方もある。

  だけれど、これは必ずしも正しい問題のたてかたとは言い難い。これまで何度か書いてきたけれど、援助で無理矢理何かをさせることはできない。馬を水飲み場に引っ張って行けても、無理に水を飲ませることはできない、とよく言う。いろいろお膳立てをしてあげても、肝心の途上国側に、それなりのやる気がないと、何も起きない。だからこそこれまでの何回かで、やる気を出させるにはどうしたらいいのか、という話を散々してきた(そして、やる気を出させる方法なんて、実はあんまりないんだということも)。貧しいから援助をする、という考え方は、一部の人道援助なんかではアリだろう。たとえば、洪水や地震で死傷者がたくさん出ているからたすけてやろうとか、一時的な飢餓で餓死者が出ているから食料を送ろう、とか。でも、それはそれが短気で終わり、すぐに自力で立てるようになる、という想定があればこその話だ。自分でなんとかしようという努力のみられないところには、援助をするだけ無駄だ。逆に援助をすることが、自助努力の低さを助長して、かえって有害だという考え方さえある(ではその人々を見殺しにすべきか、というと、そこでまたひとしきり議論があるところだ)。

  すると問題は、やる気があるか、ということだ。そしてさらに、やる気といっても、何をやる気があるのか、ということになる。

  一応援助は、貧困をなくすとか、今後の発展の必要な制度やインフラを整える、というために行うものだ。その国が、そういうことにお金を使う木があれば、それを援助して支援するのは正当化される。でも、同じやる気があっても、たとえば大がかりな宴会を開く気があるとか、ミサイルを並べた軍事パレードがお好きとか、宇宙ロケットを打ち上げたいとか、そういうことにやる気があったとしよう。そんなものは発展の役にたたない(だろう)。だからそんなことに援助をしてやるのはまったく正当化されない。

  だがもちろん、「有人宇宙船打ち上げように援助をしてね」と言われたら日本が首を縦に振らないのは、向こうだって百も承知だ。だがそこで問題が起きる。お金は使い回しがきくのだ。そして、援助をあげたら、その他すべての部分が一定とは限らない。むしろ援助がある分野に入るという期待ができれば、その国はお金の使い方も変えてしまうのだ。

  たとえば、軍事費というのはふつうは、発展に必要なお金とは思われていない。さてある国の予算を見ると、発展に必要なインフラに五億円、軍事費に五億円を使っていたとする。日本がここに、発展用インフラ増強で四億円援助したとしよう。さて、そのお金を追跡すると、ちゃんとインフラ建設に使っているかもしれない。いやあ、援助してあげてよかったね、ということになる。ところが、援助以外の国の予算を見ると、発展用インフラの自国の予算がなぜか二億円に減らされ、軍事費が八億円に増えているかもしれない。この国は、日本が援助をくれるんだからと思って、その分だけ自前のインフラ予算を減らしたことになる。そしてそのお金は軍事費にまわした。日本は、直接は軍事費に対して援助しているわけではない。でも、全体としてみれば、実質的にインフラへの投資はほとんど増えずに、軍事費のほうだけがぐんと増えている。これは、援助が実質的に軍事に使われているのといっしょだ。

  こういうのを見破るにはどうしたらいいか? ここでは話が軍事費とその他だけだったからシンプルだ。でも実際の国の予算はややこしてくて、日本のですらわけがわからない。外国のなんてなおさらだ。さらに、どこの国でもここまで露骨なことはやらない。一年単位で予算が変動する要因なんていくらでもある。だから、こういう傾向は、噂レベルではいろいろ言われていても、実際きちんとそれを指摘するのは難しい。やるとしても、統計的に分析して、なんかそういう傾向があるんですけどー、と言うにとどまる。

  でも……たとえばこんどの中国のロケットみたいに、明らかにお金が大量に(それも長期にわたって)かかっているものに国の努力が注がれていれば、国のやる気は必ずしも援助側の望む方向を向いていないことはちょっとわかりやすすぎる。さて、そこで援助をするのは本当にいいんだろうか? 問題はそういうことなのだ。

  ああ、有人宇宙ロケットが発展の役に立つ、という議論もあるのだ。科学の発達に役立つとか、人々に夢を与えるとか。副産物がある、という説もある。アメリカでも、宇宙開発は無駄だ、という批判に対して「いや、宇宙開発のおかげで、アルミホイルとか、チキンナゲットなどスピンオフ技術が開発された」という反論がまじめに行われた時代もある。でも……その議論をいまの中国にあてはめるのはむずかしかろう。宇宙開発の夢も、だんだん冷えてきているし。さあどうしようか。さらにこの策には、オリンピックだの万博だのも控えているし……



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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