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旅行人2003/7月号
旅行人 2003/07

隔月コラム:どこぞのカフェの店先で 連載第4回

援助のやりかた:やる気はどうすりゃ出るのか? その 2

「旅行人」 2003年7月号(No. 136)

要約:「やる気がないと発展しない」というけれど、やる気ってどうやって出るの? エサで釣るのはみんなズルしてエサだけもらおうとするからダメ。だいたい、発展して豊かになれるというのがそもそもの動機なのに、それ以上のエサって何? うまくいかないので、構造改革しましょう、という話がどんどん人気が出てきた。でもこれも頓挫ばかり。そしていまのはやりは、制度ってやつ。


 さて、開発援助を考えるにあたり、成績の悪い子の成績を上げるにはどうしたらいいか、とのアナロジーで「やる気を出させればいい」という当然の結果に思い至った、というところまで前回やった。じゃあ、やる気を出させるにはどうしたらいいのか?

 すぐに思いつくのが、エサでつればいいということだ。成績上がったら、おもちゃを買ってあげるよ、とか。ディズニーランドにつれていってあげるよ、とか。

 さて、これを実践したことのある人ならすぐわかるだろうけれど、これがうまくいくケースはまれだ。短期的にはうまくいく場合もある。でも、絶対長続きしない。「明日までにこの問題集を仕上げれば」くらいの話なら、目の色変えてやるだろう。でも、「今学期の成績が上がったら」だったら? 最初の日くらいはがんばるけれど、まあ一週間でだれて、もとの黙阿弥。そしてそうなると「おい、ディズニーランドはいいのか?」というと「えー、もういいよー」とかなんとかふてくされて見たり、「いまつれてってくれたらその後でがんばるから」とか、何とかエサだけ先にもらおうと悪知恵を働かせたりする。そしてだんだん小ずるくなって、そのうち「問題集を明日までにあげれば」という条件でも、翌日見てみると答えの欄にすべて「25」と書いて、とりあえず埋めました、おもちゃ買って、とぬかした図々しいガキもいたっけ。

 実はこれは、アルフィー・コーンという学者が研究しているんだけれど、勉強その他でエサでつるのはダメなんだって。特に、創意工夫の発揮が期待されるようなものだと、エサでつるのは人の関心がエサのほうにずれることになるので、たいがいろくな成績をあげないとか。お金をたくさん積めばピカソが名作を描くか? 援助でも同じこと。ちなみに、援助を含め、経済業界では「エサ」というわかりやすいことばは使わず「インセンティブ」ということばを使う。でも同じことだ。「経済成長したらエサをあげますよ」「構造改革したらエサをあげますよ」と言っても、なかなか長続きはしないのだ。「まあがんばってますから」とか「経済成長方針書をまとめましたから」とか「改革委員会作りましたから」とか、そんなのばかりでエサだけもらおうとする。

 さらに、援助の場合の「エサ」ってなんだろう。実は……もっと援助します、というだけなんだよね。でも、開発援助っていうのは、いつか援助なしで自立できるようになるためのものだったわけだ。ホントに経済成長が実現したら、援助なんかいらないはず。要するにこのエサで実現される方向性は、そもそもの援助の狙いとは逆行するものである可能性も高い。

 そして、このエサって機能するのか? 援助のそもそもの狙いは、経済成長ができない国を助けてあげることだった。で、かれらがエサをあげても経済成長をとげなかったとしよう。そしたら? エサをあげないってことは、援助とめるの? 援助あっても成長できなかった国が、援助なしで発展できると思う? 結局しばらくすると、援助機関はその国をまた助けざるを得なくなる。

 そういう追加の援助ではないエサってなんかないの? ある。あるんだが……それは機能していない。そのエサというのはつまり、高い生活水準であり、経済発展そのものであるはずだ。そうでしょ? みんな「うちもアメリカ並みに、とは言わないけれど、せめてマレーシアくらいには豊かになりたいなあ」と思うだろう。そう思ってみんな、だまっていてもがんばるはずだ。でも、それは機能していない。

 これまた、成績の悪いガキと同じだ。本来、成績を上げるエサというのは「勉強すればいい学校に入って、いい会社に入って安定した未来が」とかいう話であるわけだ。そして、それが魅力的なものだという前提があればこそ、みんな家庭教師なんかつけるわけだ。が、当のガキがそれを魅力的と思わなかったら? 本誌の読者の多くは、そんなエサはあほらしい、だれが釣られるか、と思うでしょう。ガキならそこで、おまえみたいなガキはまだ世間がわかっとらんのだ、ぐたぐた言わずに勉強せんか! と怒鳴りつけることもできる(それがいちばん効いたりする)。でもさ、途上国相手にどなりつけるわけにもいかないでしょう。「経済発展しないと爆弾おとすぞ!」とは言えないよねえ。アメリカでもない限り。

 さらに、エサをつって何をさせるか、というのもある。経済成長しないとエサをあげません、という言い方は、まあできない。経済成長はあくまで結果で、援助はそのための手段を提供するにすぎないんだから。最初は、道路とかダムとか発電所とかを提供していた。次は教育。でもだめなところはだめ。じゃあ、エサをぶらさげて何をやらせようか?

 この問題が出てきたのは、1980年代くらいだったんだけれど、そのとき世界の風潮は、サッチャリズムとレーガノミックス。規制緩和! 民営化! そして援助の世界にもこの風潮は否応なく入り込んできた。援助というのは、だいたい相手の政府にお金を貸して、政府が産業政策やインフラ整備をする、という仕組みだったけれど、それがいけない、というわけだ。政府がそうやってでかい顔をしているから、途上国はいつまでたってもダメだ。お役所仕事では経済発展はできない! 途上国でもどんどん民営化と規制緩和を進めなさい、そしてそれが可能なように、構造改革を進めなさい!

 構造改革。この話は面倒なので、細かくはしない。でも日本でもいま構造改革としきりに言われているけれど、なかなか進まないようだし、だいたい構造ってなんなのか、そもそも実はよくわからないんだよね。民営化と規制緩和だって万能じゃないし、失敗した例はいくらもある。またアジア通貨危機のときには、このワンパターンの構造改革路線がかえって事態を悪くしたことは、ノーベル経済学賞をとったスティグリッツが指摘する通りだ。また構造改革がそんなに重要か? 実はそれもはっきりしない。日本だって、電力も通信もアメリカに比べれば規制ガチガチだ。でも、それなりに発展している。また東アジア諸国は通貨危機前には、かなり政府主導の経済システムでうまく行っていた面もある。それを緩和しちゃってほんとにいいのかわからない。さらに、世の中完璧な社会システムなんてない。なにかしらの規制は必ずあるし、社会のゆがみもどっかにある。どこまで改革すれば構造改革は実現したといえるの? 改革論者は、改革しないから経済が停滞する、停滞しているから改革が進んでいないのは明らかだ、というんだけれど、それじゃ話は堂々巡りだ。

 そして、この構造改革に続いて出てきた、得体の知れない概念がある。それが「制度」というやつだ。というところでまた次回。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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