Valid XHTML 1.1!
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
旅行人2003/3-4月号
旅行人 2003/03-04

隔月コラム:どこぞのカフェの店先で 連載第3回

貧乏の美しさなどという世迷いごと

「旅行人」 2003年3+4月号(No. 133) pp.38-9

要約:人はついつい、金が人の心を汚す、豊かになって日本人はだめになった、清貧の心がなんてことを言うけれど、貧すれば鈍するとも言うし、豊かになるのは悪いことじゃない。とはいえ、そういう発言の魅力はわかるし、そういう面もあることは事実だ。でもやがて世界が豊かになると、貧困は昔話になって、変なノスタルジーの対象になったりはするんだろう。


こないだ実家近くの、学生時代によく行った超安い定食屋にでかけてみると、消えてなにやらオサレなビルに建て変わっていた。貧乏だった大学時代には本当にお世話になったし、うまかったのに。あーあ。そういやこないだ、バンコクのあのカオサンロードにもう十年ぶりくらいに出かけたときも、そんな気がちょっとした。なんだか……ずいぶんこぎれいになっちまいやがったな。昔に比べると、ずいぶん狙うマーケットが上がった感じだ。ここも豊かになっちまって変わったなあ。

  本誌なんかの読者だと、たぶん貧乏人が好きだろう。バックパッカーの多くは、敢えて不便なところにでかけたり、敢えて貧しいところで貧しい飯を食ったりすることに喜びを覚える(とうだ)。バックパッカー宿で貧乏自慢に出会わなかったヤツ(そして自分でもしなかったヤツ)はなかなかいない。そういう場所がだんだん豊かになってきて、コンビニやスーパーや、特にマクドナルドなんかが出来ちゃうと、そういう人々は顔をしかめたりする。ああ、ここも堕落した、すれてしまった、文明に冒されてしまった、かつての目の輝いていた素朴な人々はどこへ行ってしまったんだ、と言って。

 それは別に特に珍しい現象じゃない。日本文学研究者のエドワード・サイデンステッカーは、つい最近どこかのインタビューに答えて、昔の日本人はすばらしかった、という話をしていた。昔は生活に美学があり、倹約と質素の中に一本通った筋と礼儀があった。当時の日本は心も国土も町も美しかった、と。ところがいまの日本をご覧。ガキどもは傍若無人で礼儀やマナーのかけらもない。いたるところで我が物顔で携帯電話に向かってがなりたて、くだらないブランド品漁りに血道をあげ、町は俗悪なネオンと看板と乱雑な建築で醜悪のきわみ。もういまの日本は、どうしようもないところになり果てました、と。

  そしてインタビュアーが、なぜ日本はそうなったんだと思いますか、と尋ねると、サイデンステッカーは即座にこう答えていた。

  「お金です。日本人はお金持ちになりすぎたんです。高校生でもすごいお金をもっている。それが日本をダメにしたんです」と。

  そう言われて深くうなずく人と、カチンとくる人とがいるだろう。ぼくはカチンときた。大きなお世話だ。日本人はあんたのための見せ物じゃないやい。美学なんてのは見る人次第。アニメとモー娘。と携帯電話にラブホ街にだって、最低でもキッチュな美学を見いだすことはできるだろうに。あんたのご趣味のために今さら貧乏になんかだれがなるか、と。豊かになって、活動の幅も広がった。可能性も豊かになった。それを否定するなんて何様だ、と。たぶんバックパッカーたちに「ここも堕落した」だの「文明に毒された」だの「昔はよかった「だの言われているかつての貧乏な人々も、同じことを言いたいだろう、とは思う。

  ぼくも援助屋として、いろいろ統計を見たりしているときには、やっぱり豊かさ万歳で、貧乏を礼賛するバカなんか今すぐ死んでよし、と思う。見てご覧。所得があがれば、医療水準も上がる。死亡率も下がるし、栄養状態もよくなるし、暇もできるし、環境だっていずれはよくなる(最初のうちは悪化して、その後改善するのだ。日本の例を考えてみてよ)。豊かなところに住んでいる連中は、貧乏ってのがどういうことかを知らないから――あるいは忘れているから――のんきなことを言っているだけだ、と思う。そしてそれはまちがいなく事実なのだ。

  にもかかわらず――ぼくはこの貧乏礼賛一派を完全には否定しきれない。それはぼくが甘いだけなんだろうけれど、でも否定できないのだ。

  水島新司の漫画に『銭っ子』というのがある(今調べたら、原作は花登筺なんだね)。お金持ちの御曹司だった主人公の少年は、なんかの陰謀で両親が破滅させられて路頭に迷い(編集部注:正しくは交通事故です)、乞食にまで身を落とすんだ。そんな主人公とその妹を助けてくれたのが、廃品回収かなんかをやっているおばさんだった。このおばさん、家はバラックで貧乏だけれど、それで暗くなることもなく、明るくて、ご近所や商売相手ともいつも談笑し、働き者で、家も仕事もしっかり切り盛りしている。貧乏だからって金をごまかしたりもしない。その娘さんも、母親の仕事をよく手伝って、これまた明るい働き者だ。銭っ子たちの面倒もよく見てくれる。銭っ子はそれを見て、すごく勇気づけられるし、感謝もするのだ。

 さてやがて銭っ子はあれやこれやで大金を稼いで、そのおばさんと娘が廃品回収業なんかしなくてもアパート住まいができるようにしてあげるのだ(ああちなみに、いまの子は想像つかないかもしれないけれど、第二次大戦後しばらくは鉄筋コンクリートのアパート住まいというのがずいぶんと立派で威張れることだった時代があるのだ)。

   ところが――そうなったとたん、その二人はまったく働かなくなる。一日中ごろごろして、ジャンクフードを食べながらテレビを見ているだけになる。アパートはもう汚れほうだい。そこにはもう、かつてのしっかりした働き者の面影はまったくなくなっていた。そしてそのとき銭っ子は気がつくのだ。かつてのこのおばさんは、貧乏なのにしっかりした明るい働き者だったんじゃない。切り盛り上手でお金をごまかしたりしないのも、根や本性の問題じゃなかったんだ、と。むしろ貧乏であるが故に、そうせざるを得なかっただけなんだ、と。まさに貧乏こそがかれらを美しくしていたんだ、と。

   やがて銭っ子は事業に失敗してお金がなくなるんだっけな? みんなアパートを追い出され、おばさんたちはテレビも取り上げられる。おばさんと娘は「テレビがなきゃ死んじゃう」と引っ越し屋にすがりつき、そして自分たちをそんな目にあわせた銭っ子をなじるのだ。感謝の気持ちから出た自分の善意が、逆にこのおばさんたちをダメにしてしまったという銭っ子の深い絶望は、当時中学生だったぼくにも痛いほどわかった。そしていまもなぜか、ぼくはこのマンガのそこだけを鮮明に思い出す。

  援助の多くの部分は、貧乏をなくそうという善意から出ている。世界銀行なんか、いまや貧困削減が何よりの目標だ。それだけでいいのか、という人はいても、貧困削減がダメだ、という人はいない。でもそれが本当にいいことなのか、ぼくはいまだにちょっと断言しきれないものを感じている。貧困削減が、このテレビにしがみつくおばさんを量産するだけじゃないかな、という気がときどきしてしまうのだ。

  そして貧乏な人の数は、実際にどんどん減ってきている。あと数十年もすれば、いまの貧しい発展途上国の多くは、かなり豊かになるだろう。貧乏人はもういなくなる。そのとき、バックパッカーや貧乏旅行というものはどうなるんだろうか。ひょっとしたらこの『旅行人』なんていうのは、20-21世紀の短い一瞬、貧乏というものが一部の裕福層と共存していた時代に咲いたあだ花みたいなもの、なのかもしれない。いまぼくがやっている海外援助、なんていう活動も。



前号 次号 「旅行人」 コラム一覧 山形日本語トップ


YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
Valid XHTML 1.1!クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
の下でライセンスされています。