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Poor People

William T. Vollmann, Poor People 査読書

(Harper Collins, 2007)

2007/5/6
山形浩生

Executive Summary

 日本、イエメン、アメリカ、タイ、アフガニスタン等、世界中の貧困者に直接はなしをきいて貧乏というものを浮かび上がらせようという野心的な試みであり、世界トラブル地帯旅行者としてのヴォルマンの面目躍如である。

 個別の事例はおもしろい。しかしながら、個別に対処すべき各種貧困問題をすべていっしょくたに描こうとするために、本書は貧困に対するほとんど宿命論的な無力感と理解不能感に陥ってしまうし、何ら結論めいたものもない。そして貧困に対してなるべく予断や価値の押しつけを排除しようとして距離をおくからこそ、逆に理解不能になっているというヴォルマン特有の病理もよくあらわれている。そしてその理解不能を口実にヴォルマンの自分語りが展開される様は、必ずしも趣味のよいものではない。

 だがそれがヴォルマンの持ち味であり、その秘密を解明するには有益な一冊。また多様な貧困のあり方を淡々と描いたルポとしては興味深いし、ヴォルマン作品としては珍しく大変平易で読みやすい。ただし作品としての完成度は低い。


1. あらすじ

 作者ヴォルマンが、タイ、日本、アメリカ、イエメン、カザフスタンなど、世界各地をまわってホームレスや貧農、娼婦、スラム住人などに対し「なぜあなたは貧乏なのか」「なぜ世の中には金持ちと貧乏人がいるのか」を尋ねる。その模様を中立的に伝えるなかに、ヴォルマン自身の随想を織り交ぜつつ、貧困という古くて現代的な現象の全体像を浮かび上がらせようとする試み。特に結論もなく、また個別の処方箋や社会主義的な怒りなどもなく、各種エピソードがひたすら淡々と並べられる。

2. 作者

  ウィリアム・T・ヴォルマンはアメリカ現代小説の中堅の一人。娼婦やギャングなど、社会の周縁に暮らす人々をテーマにした、現代社会の猥雑さを背景とした個人の疎外感を主題にした作品、あるいは現代史から取りこぼされた別の歴史の物語、タイ、アフガニスタンなど世界のトラブル地域をめぐる、ルポとも小説ともつかない各種作品などで知られる。邦訳に『蝶の物語たち』『ハッピーガールズ、バッドガールズ』『ライフルズ』など。

3. 内容詳細

序文

 自分は明らかに豊かであり一度も貧しかったことはなく、本書もことさら何らかの立場から貧困を糾弾しようとしたりするものではない。

自己定義

 貧乏とされる人々に、なぜあなたは貧乏なのか、なぜ世の中には貧乏人と金持ちがいるのかを尋ねて歩く。

「あたしは金持ちよ」

  バンコクのスラム街、クロントイのアル中女性へのインタビュー

「貧乏なのはあいつらだ」

イエメン、コロンビア、メキシコ、日本、ベトナム、アフガニスタン、パキスタンでの各種貧困者へのインタビュー

「ナタリアの子どもたち」

ロシアの女乞食二人。夫はチェルノブイリ処理で放射能症に苦しむという。絶望と宿命論、神への依存と乞食同士の反目

なんでも自分でやらないと

中国南寧で、貧乏だが中国の経済発展により将来に希望を持つ女性へのインタビュー。自助努力信奉の貧困者。

大山小山

 京都の鴨川に暮らすホームレス二人のインタビュー。リストラで職を失ったいきさつなど。

現象

 貧困であることに伴う各種の現象について。「不可視性」「奇形」「望まれないこと」「依存性」「事故にあいやすいこと」「苦痛」「麻痺」「疎外」のそれぞれについて、インタビューの事例から発言等を抜き出して解説した部分。

選択

減価償却

 自分の体を痛めつけることで貧困離脱をはかる人々。日本の歌舞伎町に出稼ぎにいく中国女性の物語。かれらは仲介者に数百万円を支払い、それを日本での売春で返済しなくてはならない。

犯罪なき犯罪

 カザフスタンの石油採掘現場の状況を見にヴォルマンが現地にでかけたが、石油採掘をめぐっては現地でもきわめて秘密主義が強く何も聞き出せなかった。

蛇頭

 日本で蛇頭の人間に話を聞こうとしたが結局だれも見つからなかった。でも蛇頭にもそれなりの事情があるのだ。

希望

「より多くの援助をより有効に」

 章題は世界銀行のスローガン。各種援助の役割についての冷笑的な断章。

バイク乗り

 フィリピンのジャングルでの宝くじ売買係の話。

道の下

 ヴォルマンが世界各地で遭遇した貧困の諸相。

汚いトイレ

 ニューヨークの娼婦について彼女の家にいき、汚いトイレを見た話。

位置を保つもの/場所取り

自分が金持ちなのは知っている

 貧乏人に対峙する金持ちたる自分について。貧乏人についていってひどいめにあわされた話や貧乏人に対していだく恐怖など。

金は天下のまわりもの

 日本のホームレスがそう語っていたとのこと。

4. 評価

 多くの人々は貧困を直視しようとせず、まったく無視するか、あるいは観光資源として見せ物にしたり、「一杯のかけそば」のようなロマンチックなあこがれの対象とするだけである。その中で人々の見たがらない本当の貧乏について、実際の人々に直接はなしを聞こうという試みは大変興味深い。その意味で貴重な本ではある。そしてその相手も、ロシアの資本主義移行のどさくさでこぼれおちた犠牲者、日本のリストラでホームレスになった人々、バンコクのスラム住人、アフガニスタンの貧農など実に幅広くて多種多様であり、世界トラブル地帯を旅する作家ヴォルマンの面目躍如である。

  しかしながら、各種の貧困を見た結果として、何らかの知見が得られるわけではない。各地の貧困者の物語や、貧困にいたる事情の話はそれぞれおもしろく読める。だがこの本の記述で見る限り、それはもはやどうしようもないことである。そして対象を広く取るが故に、貧困の原因も様々である。それらを本書のようにいっしょくたに見せることで、貧困というものが結局のところどこから手をつけたらいいのかわからない――つまりはどうしようもないものとして見えてしまう。

  貧困というもののそうした多種多様性を描き出すという点では、本書は成功をおさめている。それぞれ解決が難しい問題であるのは事実だし、そしてそれに対してヴォルマン/読者が感じる無力感も、原理的には正当ではある。それを際だたせる点でも本書はある程度は成功しているといえる。

  が、それがまた本書の欠点でもある。ヴォルマンの多くの作品と同様に、本書で描かれる相手は最初から最後まで結局ヴォルマンがまったく立ち入れず理解もできない存在ということになっていて、それを通じてヴォルマンの無力感が描き出される。しかししばらく読むうちに、実はそれは貧困の問題ではなくヴォルマンの問題だということが明らかになってしまう。なるべく中立的な視点を保とうとするヴォルマンは、かれらの状況に対する同情すら抱くことはない。相手が貧しいことに対して、「でも不幸かどうかはわからない」、絶望して投げやりになっている人を見て「でもそれが否定されるべきものかをぼくが決める権利はない」。明らかに悲惨な状況の人を見ても「でもそれはぼくの思いこみかもしれない」。もちろん相手の頭の中などわかりっこないので理屈のうえではその通りではあるのだが、一方でこれが誠実さを装った判断停止でしかないのも明らかなことではある。まさに同情すらせず距離を置いて自分の評価すら停止させてしまうからこそ、相手に入り込めないし理解もできないのだ、という点が見えてくる。

 結果的に多くの貧乏人たちは、ヴォルマンの自分語りの口実となり、かれ自身のモラトリアムのひきたて役にとどまっている。その意味で、本書は大変に悪趣味な本でもある。

  また本書に出てくる個別の貧困者たちは、よく考えてみればそれぞれの地域における個別の救済策である程度なんとかなりそうな人も多い。そうしたものをすべて捨象してひたすら無力感を強調するヴォルマンの書きぶり(それは自分が何もしないことの口実でもある)は、多少なりとも貧困をなんとかしようと思ったことのある人にとっては、いらだたしさが残るものだろう。

  ただし、これはまさにヴォルマンの持ち味でもある。そしてヴォルマン作品につきまとうある種の雰囲気――卑屈さといいわけがましさとナルシズムの混合――を理解するためには絶好の材料を提供するともいえる。また貧乏の諸相を描き出すルポとしてはおもしろい試みとなっている。短く、また文も読みやすくてわかりやすいが、ヴォルマン作品としては習作レベルにとどまり、いま一つまとまりが悪いうえ最後も尻切れトンボ。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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