Everything Bad is Good for You

Aaron Brown, The Poker Face of Wall Street 査読書

(John Wiley & Sons Inc; ASIN: 0471770574 ; 2006)

2005/7/21
山形浩生

Executive Summary

  本書は、金融分野にひそむギャンブルの要素を肯定的に描き出した一冊である。現代のファイナンスは、各種の金融活動は博打ではなく、リスク/リターンの関係に基づく実直なものであるという印象を植えつけようとする。しかしながら、そこにギャンブル性はまちがいなく存在するし、デリバティブなどはそのギャンブル性を高めることで人気を高めている要素もある。著者はまた、かつてのシカゴの先物や開拓期のアメリカ西部においては、ギャンブルがインフラ投資に必要な資本を一人の人間に集約する手段となっていたことを指摘するとともに、ルイ王朝時代にフランスの金融制度を一変させたギャンブラー、ジョン・ローの話題などをからめて、ギャンブルと金融活動の歴史的親近性を指摘する。また、ゲーム理論をギャンブラーの常識から否定する試みなども興味深い。

  しかしながら、本書の最大の欠点は、そのタイトルにもあるポーカーである。多くのエピソードが、ポーカーのゲームとの類比で語られるが、ポーカーになじみがない読者(この評者を含む)には理解が困難である。さらに全体に論点がしぼられておらず、散漫である。金融にはギャンブル的な要素があり、博打の好きな人がファイナンスでもか活躍しているのは事実だが、それだけでは目新しい話とはならない。論点が不明確で、全体になじみのないポーカーの比喩に頼りすぎているため、読者をつかむのは困難ではないか。また、ギャンブル性があってもそれをトレーダーなどが実際の戦略に利用するための指針も特にない。興味深い部分はあるが、うんちくで終わっているのが残念。

1. 各章概要

  本書の各章の概要を以下に挙げる。なお、それぞれの章には通常、著者のポーカーゲームでの実況の節が最後についているが、それについては割愛する。

第一章 計算できないリスクの技術

  世の中にリスクは満ちているが、その中には計算できるリスクと計算できないリスクがある。そしてローリスク・ローリターンで満足する生き方もあれば、ハイリスク・ハイリターンでないと満足できない生き方もある。後者がギャンブラーやファイナンス屋であり、両者はしばしば一人の人間に同居しており、同じことである。

   そしてそれは経済や社会にとっても重要である。リスクは投資家にとって投資商品を魅力的にするし、資本形成もしやすくし、勝ち負けを創り出すので経済社会にダイナミズムができる。ポーカーはそれをギャンブルの形で具現化したものであり、場を読むのは金融市場を読むことに通じたり、自分の手と他人の手の相互作用が市場の売買戦略に通じたりする。

第二章 ポーカーの基本

  ポーカーのルールの解説。ストレート、フラッシュ等々の通常のルール以外に、テキサス・ホールエム、オマハ、スタッドポーカーなど細かいゲームの差が解説される。

第三章 ファイナンスの基本

  効率的市場仮説、CAPM理論、ポートフォリオ理論などの名前を一通りあげ、それをきわめて手短に説明(までもいかない)した章。ほとんど内容はなく、章の半分は著者の体験したポーカーゲームの実況。

第四章 リスク否定の小史

  ファイナンスは、不確実なものに賭ける行為であり、ギャンブル以外の何物でもない場合が多い。企業への出資にしても債券購入にしても、ギャンブルの要素を持つし、ヘッジのために創られたとされる各種の金融ツール(オプションなど)も実際には投機に使われることが多く、ギャンブルである。

第五章 ポーカー経済学

  フランスのルイ王朝の大蔵大臣を務め、アメリカのルイジアナ地方の開発益を根拠にした大量紙幣発行を行って一時的にフランスを潤わせ、その後の取り付け騒ぎでそれを滅亡に追い込んだ伝説のギャンブラー、ジョン・ローの活動をたどる。かれは金融活動とギャンブルの親近性を理解しており、それを利用することで新しい経済パラダイムを構築したといえる人物である。かれはミシシッピー川沿いに交易ポストを作ったり、ルイジアナにフランスから娼婦を送り込んで男たちが女目当てに金を集めるべくギャンブルをするようにし向けた。

第六章 ソフトマネーの息子

  その後もギャンブルはアメリカ発展の基礎を作った。開拓地では人の信用を確かめる方法が少ないために、通常の信用に基づく融資は不可能であり、したがってインフラ開発のために少数の人にお金を集めてリスクを取らせる方法がなかった。それを提供したのがギャンブルだった。ギャンブルをはやらせ、ギャンブルで勝った人がインフラ投資するしかお金の使い道がないようにすることで、アメリカの重要なインフラは構築された。シカゴの先物市場も類似の理由から発達した。

第七章 かつては勇敢だったモルガンの連中

  産業が安定してきて、1970年代頃には通常の株式市場はつまらなくなっていた。当時のファイナンスは今のようなギャンブルの場ではなく、もっと安定を求める場所だった。でもそこにオプション取引が導入されたことで、株式市場にギャンブルの要素が復活し、市場に活力がよみがえった。保守的で安定志向になってしまった企業の株は、値動きもなく魅力もないが、オプションを加えるとダイナミックになる。一部のオプション価値を実現するために企業そのものの活動を変えようとするインセンティブも出てくる。

第八章 人々の遊ぶゲーム

  ゲーム理論は、おもしろいが現実を反映していないことが多く、そのまま使おうとするのは非常に危険である。ゲーム理論では、ブラフの価値や場の流れ、相手の戦略を読むといった要素は把握しきれない。

第九章 獲物はだれが

  競馬を見ると、人々の心理的な行動がよくあらわれる。つまらない馬のオッズが、何かのはずみでちょっとあがると、一部の人の付和雷同的な群衆効果でその影響が拡大されてオッズ急上昇が起こることがある。人々は完全に合理的ではなく、感情に流される。これは最近の行動経済学などの大きなテーマである。

第十章 効用ベルト

 なぜ人々がギャンブルにひかれるかについては、様々な仮説がある。どれも一長一短ではあるが、人々にギャンブルを好む性質があることは否定できない。

補遺と文献紹介

  各種のポーカーとファイナンス関係の参考文献の紹介。

2. 著者について

  著者アーロン・ブラウンはモルガン・スタンレーでクオンツ分析に基づくリスク投資を行っている。またポーカーの名手としてもしられる。

3. 評価

   著者のスタイルは饒舌であり、なじめればそれなりに楽しめるものとなっている。またジョン・ローやフィッシャー・ブラックなどの人物紹介は生き生きとして楽しい。

 しかしながら、各章の過半を占めることもあるポーカー試合の実況は、そもそもポーカーについて詳しくなく、あまりプレイした経験のない人間にとってはまったく話がつかめず、退屈なだけとなっている。ある手を持っていたとき「そのときチョウはハートの三を切った! これで場の流れは一変した」等の描写は、かなり考えないと理解できず、しかも理解したところで各章のテーマにかかわる理解ができるわけでもない。ポーカーがもともと好きな人しか楽しめないものとなっている。そしてこれが各章毎に入ることで、ポーカーになじみのない読者の関心は大いに削がれ、中断される結果となっている。

 ファイナンスにギャンブルの要素があることは事実であり、本書の中で行われる指摘は表面的にはおもしろい。特に興味深いのは、インフラ投資の資本を集める手段としてギャンブルが活用された、という5-7章であり、この部分は本書の山である。またオプション理論で投資にギャンブル性が増え、市場を活性化させたという指摘は、事実だろうし、過度にギャンブル呼ばわりされることを避けたがるファイナンスの教科書的理解に対して、よい気付け薬となる部分もある。

 だが、それはうんちくとしてはおもしろいものの、結局それがどうした、という話でしかない。ポーカーの戦術がトレーディングにも使えるかのような記述をあちこちでしつつ、実際に著者が描く実例では使いようがない(他のプレーヤーの戦術を読むとか場の流れを云々といった話は、相手がだれかもわからない株式市場では使いようもない)。たとえば、ゲーム理論の欠点を指摘する中で、著者はポーカーにおいて他人の戦略をどう揺さぶるかを述べる。目くら滅法に賭けることで、相手の動揺をさそって戦略を変えさせるといった話である。しかしそれは一般のトレーディングにはまったく応用できない。結果として、本書はポーカーのうんちく、ファイナンスの歴史に関するうんちくを乱雑にならべて、そこにファイナンスとギャンブルには類似性があるのだ、という必ずしも明確でない主張をまぶして行き来するだけとなってしまっている。

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