Origin of Wealth

Eric D. Beinhocker, The Origin of Wealth: Evolution, Complexity, and the Radical Remaking of Economics 査読書

(Harvard Business School Press; ASIN: 157851777X ; 2006)

2005/7/24
山形浩生

Executive Summary

  本書は、従来型の経済学の限界を指摘したうえで、現在発達しつつある複雑系経済学についてわかりやすくまとめ、それが今後の企業や社会にとって持つ意義をまとめた書物である。

 既存経済理論の発達とその限界、そして複雑系経済学の方向性をとりまとめるという点ではよい成果を挙げており、既存経済理論の批判と複雑系経済学の方向性について、進化論的な経済学理解という切り口をつかって枠組みを閉めそうとした点で野心的である。しかしながら、複雑系経済学そのものがかなり発展途上であるために、富の起源という本書のタイトルはきちんと説明されるには至らない。また冒頭で挙げられる、なぜ人類の富の想像が1750年から爆発的に増大したのか、という疑問にもはっきり答えられない。その時期に科学的発見と社会的な仕組みがヨーロッパで拡大した、というだけでは、説明になっていない。なぜそれがそこで起きたのか? それは説明されない。結局、問いにはっきりした答えが得られた印象がなく、各種提言は常識的な穏健コメントをちょっと言い換えただけとなっており、複雑系経済学が何をもたらし得るかについてのまとめにパンチがまったくなく、腰砕けである。前半の理論解説部分は救いたいが、後半部分の提言があまりに弱く、積極的にプッシュするのはむずかしい(が消極的にはプッシュできなくもない)。

1. 各章概要

  本書の各章の概要を以下に挙げる。

第一部:パラダイムシフト

第一章 問題:富はどのように創られるのか?

 この世の富のほとんどは、人類の数百万年の歴史の中で、この200年ほどの間に創り出されている。そしてそれは異様に複雑なシステムだが、自律的に自己組織化されてきた。これはある種の進化であり、複雑系とも関係している。本書はこうした点を中心に、最近の経済学の知見を利用しつつ説明を試みる。

第二章 伝統的な経済学:均衡経済学

 伝統的な経済学は、均衡を基本的なツールとして使う。アダム・スミス、経済表のケネー、ジェヴォンス、パレート、そしてサミュエルソンからアローにいたる経済学の伝統は、富の生産と富の分配の問題を考えてきたが、生産のほうは必ずしもうまく説明しきれなかった。ソローの経済成長理論、その後のローマーの内的成長論は、それをなんとかしようとしている。しかしながらその基盤は非常に弱かったことを次章以降に説明する。

第三章 批判:カオスとキューバの車

 いまの経済学は大きな欠点を持っている。基本的な前提が必ずしも適切ではない。物理学者と経済学者がサンタフェ研究所で会談したときには、次のような点が指摘されている。まずモデルはむずかしい=おもしろい部分を外部化してしまっている。需給はミクロでは均衡に達することはないし、一物一価の法則も成り立っていない。株価のランダムウォーク仮説も、実はランダムではない。一つの原因は、経済学の草創期にワルラスやジェヴォンスは物理学からかなり多くの発想を拝借したが、そのときに熱力学第一法則だけ借りたこと。まだ第二法則(エントロピーの法則)は見つかっていなかった。均衡というのは熱力学第二法則のいう閉鎖系の熱死状態である。

第二部:複雑系経済学

第四章 大枠を見る:砂糖とスパイス

  ミクロなエージェントを砂糖の山の中に放って捕食行動をさせるライフゲーム状のモデルでは、砂糖で見た貧富の差ができる。その分布はベキ乗則にしたがっている。さらにそのエージェント同士が砂糖と取引できるようになると、需給に応じた「価格」が生じるが、これは需給曲線で示されるものとはかなりずれている。こうした新しいツールが、動学、エージェント、ネットワーク、創発、進化といった、従来の経済学にはなかったツールをもたらしている。

第五章 動学:不均衡の楽しみ

  経済はなかなか均衡せず、たえまない不均衡の中にある複雑系である。ただ、株式市場を見る限り、複雑系ではあってもカオス系ではないらしい。その一部は、システム・ダイナミクスでシミュレーションできる。

第六章 エージェント:心のゲーム

  経済の行為者(エージェント)は、従来の経済学の述べるような合理的経済人ではない。そのずれについては、近年の行動経済学でいろいろ分析されている。

第七章 ネットワーク:人々の編む縺れた網

  経済はネットワークで構成される。ネットワークについても、スモール・ワールド理論をはじめおもしろい展開がいろいろある。

第八章 創発:パターンの謎

  ビジネスサイクル理論は、従来は謎だったが新ケインズ派のアカロフなどの研究成果で多少は理解されるようになってきた。そしてネットワークの中の伝言ゲーム的な誇張により、小さな原因が大きなサイクルを生み出すこともある。一方、株式市場はランダムウォークではなく、ベキ乗則にしたがった変動を示す。

第九章 進化

  進化もシミュレーションできるようになった。そして経済活動は進化と類似性が非常に高い。

第三部:進化は富を生み出す

  この第三部では、各種の進化をシミュレーションなどを通じた計算によって描き出す各種の試みを考え、生物進化の計算モデルと同じような経済進化の計算モデルを考えてみる。

第十章 デザイン空間:ゲームから経済へ

  囚人のジレンマというゲーム理論の基礎があるが、アクセルロッドはそれを反復させることで、最適戦略を見つけ出した。これをライフゲームと組み合わせることで、経済的なデザイン空間をシミュレーションしやすくなってきた。

第十一章  技術の進化

  経済発展には技術の進歩も重要である。技術進歩も直線的な発展ではなく、段階的な発展、ランダムな新しい技術の考案といったものの繰り返しとなっている。

第十二章  社会技術:狩猟採集から多国籍企業へ

  国の発展に一番重要なのは、社会的な技術――法治、政府の有能さ、技術力など。協力することで、個人では得られない大きな利得があるが、それを発展させたのが各種の社会システムである。感情、信頼、裏切り検出などの技術も人間や経済とともに進化してきた。

第十三章  経済の進化:首領から市場へ

  以上の話をもとに、経済の進化の単位を考えよう。個人で見るか、企業などの単位を考えるかが問題になる。さらにそれがどのように複製するか、といった考え方を整理する。これに基づくと、富が1750年以降に飛躍的に拡大したのは、技術的進化と市場の発展と各種制度が同時に発達したからだというのがわかる。

第十四章  富の新しい定義:適応秩序

  ルーマニアのジョージェスク・ローゲンは、経済についての以下のような見方を提唱している。あらゆる経済活動における価値創造は、時間的に不可逆であり、エントロピーを局所的に低下させるものであり、人間にとっての適応性を持つ者である、と。これはこれまでの進化的な見方とも一致している。これを敷衍すると、富というのは「適応秩序」であると定義できる。

第四部:ビジネスと社会にとっての意味

第十五章  戦略:赤の女王との競争

  合理性と完全情報だけでは経済は完璧にならないことを複雑性経済学は教えてくれる。どんな戦略も長期的には安定性を保てない。戦略を定めてそれにしたがっても、成功するかはわからない。だが、コミットメントを持ち、柔軟性を保つ戦略を持つことである程度は成功できる。

第十六章  組織:心の社会

  企業がどんな組織形態を取るかは重要である。上手な人のミックスと人の行動に関する文化、適切な階層構造と自由度とが成功につながる。

第十七章  ファイナンス:期待の生態系

  LTCMの崩壊などでも見られるように、伝統的な経済学に基づくファイナンスはうまく機能しない。また市場は効率的ではないが、進化論的に見て有効に機能するというべきだろう。ファイナンスの基本公式CAPMも実用性はまったくないし、株価は企業の業績を反映していない。

第十八章  政治と政策:右対左の終焉

  こうしてみると、左翼ユートピアも市場万能主義もまちがいだということがわかる。市場は重要だが、それはちゃんと政府による規制のもとでしか機能しない。政府は、経済活動の適応度を高める存在となるべき。重要なのは、社会の中の信頼を高めて相互の協力体制を確立し、経済進化への道を整えることである。これはパットナムのソーシャルキャピタル論などとも関連する。また社会的な階層移動の容易さなどを含め、文化基盤も重要。

2. 著者について

  著者は経済ライターで、マッキンゼー所属。

3. 評価

   著者は明らかにダイヤモンド『銃、細菌、鉄』のスタイルを意識しており、本書をまずはマサイの部族を訪問したときのエピソードから始める。富がウシの数で計られる部族と、ニューヨークの豊かな生活との対比をもとに、富とはなんぞや、という問題をめぐる各種の問題をまとめ、それを複雑性経済学の観点からまとめるという構成はそれなりに要領よくまとまっている。

 また、全体に複雑系経済学の展開については、簡潔ながらよいまとめになっている。そしてそれを進化論的な理解の中にあてはめようという試みは野心的であり、それが一定の成功をおさめているところに本書の価値はある。

ただし、複雑系経済学や、部分的に登場する行動経済学は、いくつか重要なパーツは出てきているものの、現時点で未だになにかまとまった体系を構築するにはいたっておらず、それを現実にどのように適用するかとなると、まだまだ何もはっきりしたものがない。このため、本書も進化論的な説明の中に各種の理論をあてはめる第三部までは比較的よいできなのに、応用編の4部以降だと、結局何がいえるのかはっきりしないままどの章も非常にはぎれ悪く終わる。

たとえば政府の役割は市場が進化的な発展をとげられるような環境を創ることだ、というのは、確かにその通りではあるのだが、その一方でそれが従来の「市場活動を活性化させるような制度作り」「市場の失敗にそなえたセーフティーネット」といった発想と多少なりともちがうとは思えない。従来型のファイナンス理論を否定するのはいいが、ではそれに変わるどんな発想があるか、というのは説明されない。企業についても、自由と規律のバランス、というお題目以上のものは出てこない。

そしてそのために、それまでのまとめも単なる言い換えにすぎないのではないかという印象をかもしだしてしまう。富というのは適応秩序であり、進化論的な環境の中での適応度が重要なのだ、といわれると、なんとなく納得したような気分にはなるが、よく考えればこれは「ニーズにあったものを提供する」といった発想とどの程度ちがうのかわからない。

 また、全体として経済をダイナミックなシステムととらえ、均衡を重視する発想を捨てることで新しい進化的経済学となる、という発想は、著者が第一章でひくクルーグマンが疑問視しているものでもある。進化論も基本的には均衡状態を探るものであり、その中間の動的な過程に過度に注目するのは考え物だ、という発想である。

 まとめると、本書は野心的な試みであり、既存経済理論の発達とその限界、そして複雑系経済学の方向性をとりまとめるという点ではよい成果を挙げている本だといえる。しかしながら、複雑系経済学そのものがかなり発展途上であるために、富の起源という本書のタイトルはきちんと説明されるには至らない。また冒頭で挙げられる、なぜ人類の富の想像が 1750 年から爆発的に増大したのか、という疑問にもはっきり答えられない。その時期に科学的発見と社会的な仕組みがヨーロッパで拡大した、というだけでは、説明になっていない。なぜそれがそこで起きたのか? それは説明されない。結局、問いにはっきりした答えが得られた印象がなく、各種提言は常識的な穏健コメントをちょっと言い換えただけとなっており、複雑系経済学が何をもたらし得るかについてのまとめにパンチがまったくなく、腰砕けである。前半の理論解説部分は救いたいが、後半部分の提言があまりに弱く、積極的にプッシュするのはむずかしい(が消極的にはプッシュできなくもない)。

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