Anarchist in the Library

Siva Vaidhyanathan, The Anarchist in the Library

(Basic Books ; ISBN: 0465089844 ; (2004)

2005/5/27
山形浩生

1. 概要

 本書は、ネットを中心として、現在文化の各方面において生じている事由剥奪と管理強化について警鐘を鳴らす本である。

 完全な自由を目指す方向性をかれはアナーキズムと表現している。これに対して、政府は対テロやコンテンツ産業保護、児童保護といった名目でひたすら管理を強化する方向に動いており、それがこれまでは考えられなかった速度で進んでいる。ピアツーピアの規制、DVDプロテクト解除裁判、音楽業界による訴訟その他、海賊版ソフト規制、遺伝子特許、国のネット規制に関する国や産業の各種規制を概観することで、本書はこうした規制強化の方向性を描く。

  これをもとに著者は、性急な規制強化は問題があるかもしれないので、バランスの取れた規制を考えるべきである、と主張して終わる。ただしそのバランスがどこなのかについては明言しない。

 主張としては穏当ではあるものの、一方であまりに穏健すぎて、レッシグの主張とほとんど変わらず何ら目新しさがない。広く浅いレッシグというだけである。アナキストという強い表現を使った割には結論が「バランスを目指しましょう」と述べるに終わり、さらには個別の件についてどこが望ましいかについても明言しない(なんとなく現状の規制が厳しすぎると匂わせるだけ)日和見ぶりは拍子抜けさせられる。また以下のまとめでもわかるように、記述は雄弁なわりには論点が実に薄い。

 必ずしも悪い本ではないが、新しい読者を引き込むには散漫すぎ、すでにレッシグ等の本を読んでいる読者には目新しいものがなく不満が残る。


2. 著者について

 著者シヴァ・ヴァイドヤナサンは、この種の文化と政治的なテーマについて採り上げてきた雑文書きである。


3. 本書の構成と各章の概略

 中国の海賊版ソフト規制と、Adobe アクロバットのプロテクト解除を行ったロシア人ソフト技術者逮捕を対比させて、本書でテクノロジーの発展からくる自由/アナーキズムの可能性と政府支配との対立構造があることを述べる。

1. 公的な雑音

 規制されないおしゃべりやゴシップ、談話の場は社会において重要な役割を果たしてきた。そして歴史的にアナキズムは無差別テロを行って厳しく規制されるようになったものの、その発想を今や見直す時期にきている。政府を倒すだけなのは半端なアナキストで、その先を考えるのがホントのアナキストである。

2. ピアツーピアのイデオロギー

 ナップスターをはじめとするピアツーピアは、文化の共有、匿名性による自由の重要性といったイデオロギー的価値によって栄えた。

3. 通貨のハッキング

 オープンな共有プロトコルは重要である。が、これは変えられる恐れがある。

4. ピアツーピア革命と音楽の未来

 ピアツーピアは音楽業界を破壊するといわれるが、実はかえって売り上げを促進する面が大きい。

5. 進行中か完成品か?

 DVDの海賊版はたくさん出回っているが、コピー保護とのいたちごっこ。一方で、映画を編集しなおして独自版を作る動きがあり、すべての映画は完成品ではない進行中の作品と見ることもできるようになっている。そうした動きをつぶしていいのか?

6. イマジニアリング

 風と共に去りぬの続編が刊行できないといった著作権強化の動きが目立つ。これは文化にとっていかがなものか。

7. アナーキーとしての文化

 世界の海賊版市場は大きい。またネットが世界の文化に果たす役割は大きいはず。だが現在多くの面で、文化を企業にゆだねようとする動きが大きい。文化はもっと自由でアナーキーな環境で発達するのではないか。アメリカの文化政策はそこらへんを考えるべき。

8. 完全な図書館

 すべてを含む完全な図書館はたぶんできないけれど、それに近づくことはできる。でも現在、図書館を規制したり、対テロの名目でプライバシーを侵害したりといった変な動きがある。もっと民主的な情報配信を実現しなければいけない。

9. 科学と数学でのアナーキーと寡占支配

 知識の共有は文化の発展にとって重要。だが、著作権強化や遺伝子特許、暗号規制やDMCAによる暗号解読規制はそうした知識の共有と研究の自由を阻害しつつある。

10. 国民国家 VS ネットワーク

 WTO に対してアナキズムはネットワークを通じたデモで対抗した。ただしホントはアナキズムは平和的だったのに一部が暴徒化したが、メディアはそっちばかり大きく報道した。

11. 帝国の逆襲

 アルカイダも分散ネットワークのような組織だが、国はそれに対抗してつぶそうとする。また中国政府は法輪功に対して弾圧している。

10. 結論

 性急に極端に走らずほどほどに辛抱強い対応をしよう。もっと国民的な議論を喚起しよう。


4. 評価

 現在の各種文化規制が極端であり、バランスが必要だという主張はその通りである。しかしながら、それが説得力ある形で提示されているかといえば疑問である。全体に、饒舌な文体ではあるが中身が薄く、上の各章要約は一行ですんでしまうものばかり。規制が強いと述べるときも具体的にどのくらい強いのか、どのくらいが適正かという示唆すらない。このため、すでに著者と同じ考えを持っている人でなければ、結局それらがいいのか悪いのか判断がつかない。

 かれが称揚する、WTO反対のテロ活動がそんなによいものかも疑問であり、こうしたものを延々とほめる著者の議論に多くの人は説得力を感じないであろう。

 アナキストという用語に、無政府主義ではない自立的な規制への志向の意味合いまで持たせるという著者の用語法はなじみもなく、全体としての説得力にも欠ける。そして最終的に、慎重にバランスをとって、というだけだし、あげくに国民的な議論の喚起となると、おまえは朝日新聞の社説か、という感じ。

 全体に饒舌ながら中身は薄く、著者自身も「規制緩和がいいのだ!」という漠然とした印象以上の見解を持っていないことは明らか。その饒舌さも散漫であり、決しておもしろいとは言えない。似たような見解を持っている人であれば、読んでうなずくかもしれないが、そうでない人は結局何が言いたいかとまどうばかりであろう。またレッシグの緻密な論理展開を知っている人は、この具体性に欠ける散漫なおしゃべりにむしろいらだつであろう。

 全体に、新しい価値を持っているとは言えない本であり、翻訳紹介の価値は低いと判断する。


5. 期待される読者

 もし出せば、レッシグの読者層の一部は読むと思われる。だがそれ以上の広がりは期待できない。

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