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ウンコな議論も使いよう――世に満ちたるある種の議論が持つ効用などについて

(『ちくま』2006年1月号?)

山形浩生

要約: 『うんこな議論』の解釈は、うんこにもそれなりの使い方があることを理解したときにわかるかもしれないがわからないかもしれず、世の中さまざま、と議論をはぐらかすのはまさにうんこな議論の見事な実践だと思ってはいただけないものか。




 本書の解釈はある意味で難しいものです。なるほど、本書の主張の出発点はだれしも共感できるものでございます。まこと世の中にはウンコな議論が充ち満ちているではございませぬか。ところでいまの「みちみち」という語感は妙に文脈にふさわしいように思えてなりません。某所でいきんでいるときに、みちみちっと……いやお食事中の方には失礼、しかしながら食事中に本を読むのはお行儀の悪いことでございます。が、閑話休題、本書でその後に続く議論をどう受け止めるかについては、諸説あるのでございます。

 多くの方は、本書を一種の冗談書籍として理解しておられます。高名なる(少なくともその筋では)哲学者が、手すさびに書き散らしたジョークが、編集者や版元の悪のりもあっていやに立派な書物となった、という解釈でござますね。内容的にも言わば老人の愚痴少々に諧謔をまぶして炒めたような代物。ウンコな議論はウンコであるが故に、手際よく脳内情報プロセスから流し去ることこそ肝要であるとする世間知からすれば、下痢症状や緑便などの特殊な症状でもないのに好き好んで検便するような試みを、とうていまじめには受け取れないのは人情でございましょう。

 しかしながら一部の人は、本書をきわめて真摯なものと解釈なさっておいでです。常に信頼できるイギリスのThe Economist誌書評欄が、十二月十七日号の別の本に関する書評の中で本書にも軽く言及し、世界に(特に哲学分野で)増殖しつつある無内容な言説に対する警告であると述べておられます。本書が欧米にてベストセラーとなったのは、そうした危機感が多くの関係者に共有されている証拠である、というのがそこでの含意でございました。

 このいずれが正しいのでございましょうか。この訳者めは、本書の世界的にも類を見ぬほど分量的に充実した訳者解説でも明らかなように、この点で基本的に日和っております。日和る、結論を出さない、あれこれ議論をはぐらかす――これはまさにウンコな議論、著者の批判対象そのものに他なりません。

 しかしそれは本書に対する裏切りではないとこの訳者めは考えております。優れた書物の常として、本書が描くウンコ議論は基本的に多様な読みを可能とするものであり、未知を未知として残しております。その意味では、本書自体が一種のウンコ議論の見本なのですから。そしてそれに呼応して自らウンコ議論であることを引き受けた不肖の解説は、ウンコ議論のポジティブな面をさらに強調することで、従来はドアに鍵をかけた閉ざされた場所でのみ扱われてきたウンコを、開かれた場所に引き出す一助となったと自負いたしておる次第。

 さて皆様が人生の長い道中で、本書のような代物に出くわすのも、何かの縁でございましょう。特にみっちゃん道々なんとやら。旅の途中で突如催して焦った体験がどなたにでもあるように、旅とウンコとは意外にも縁が深いものなのです。さらにこれが書籍という形で皆様のお手元近くまできたのも、これまたご縁でございましょう。なにせ一部では、書店に行くと催すという不思議な条件反射を身につけられた方もいらっしゃると申します故。いやさらに申し上げるなら、われわれがいかに隠蔽しようとも、ウンコを出さずには人は生きること能わぬのもこれまた事実。となれば、ウンコ(な議論)がいったい人間存在にとっていかなる意味を持つのか、人生の道々に思いを馳せて考察を深めるのも一興。さらにはいやなやつの食事時を見計らい、鼻先につきつけてこれみよがしに読んでみせるといった利用法も楽しいもの。相手が顔をしかめたところで、本書の記述を念頭にここぞとばかりに各種ウンコ議論をとぐろ巻きに展開して煙に巻ければ、まこと元は十分に取れたと言えるのではありますまいか。ウンコな議論も使いよう――それを論じただけでなく体現した本書の効用を、是非是非お買い求めのうえご自身の目でご確認いただきたく、訳者としてここに平にお願いする次第なのでございます。

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YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
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