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俯瞰の価値:リアル書店の比較優位と未来

(『小説トリッパー』(2004 年 秋号

山形浩生

 イタロ・カルヴィーノ『冬の夜、一人の旅人が』の冒頭に、本屋で買い物をする場面が出てくる。本屋に入った瞬間、四方八方から各種の本が迫ってくる。前から読もうと思っていた本、いま急に読みたくなった本、読むかどうかはわからないけれどとりあえず手元に置いておくとよさげな本。ついでに、買うかどうかわからないけれど、とりあえず見てみたい本。そうやって襲ってくる本の群れをかわしつつ、主人公は目的の本を買う。

 本屋の機能は、昔は本を買うところだった。それは今も続いているのだけれど、それがだんだん変わりつつある。それはオンライン書店の出現によるところが大きい。ぼくは平均的な日本人の数十倍本を買うけれど、買うだけであれば、物理的な本屋である必要はない。というか自分が何を買うべきかわかっているなら、オンライン書店のほうが楽だ。探さなくていい。見つからなくても、カウンターでわざわざ注文しなくていい。家や会社に届けてくれる。日本人の多くは、買うときに本にカバーをかけるという、あの時間を食う変な習慣を持っていて、たぶんオンライン書店のマイナスといえばそれをやってくれないくらいかな。買うという機能からいえば、物理書店の優位性というのは、そのときそこにある本をさくっと手に入れられる、ということだろう。ここ一週間か一月くらいで出たメジャーな本なら、手近な本屋にいったほうがはやい。あともう一つは雑誌だ。オンライン書店で手に入らないのは雑誌だ。うちの近くの本屋も、先日文庫の棚をつぶして雑誌を増やした。最近、本屋に足を向けた機会の半分くらいは、雑誌と目先の新刊を買いにいったとき、そして急な出張の当日の朝に飛び込んでガイドブックを買いにいったときくらいだ。

 だが、それ以外の残りの半分がある。最初に出てきたカルヴィーノの小説のような場合だ。最近はどんな本が出てるんだ、と様子を探りに行く場合。個別の本よりも、全体の雰囲気が知りたい場合。「なんとなくこんな本」はないか探しにいく場合。あるいは特に目的もなく、本が自分を探しにくるのに任せるような場合。書評を書かなきゃいけないんだけど、ネタがない、さて何を使おうか、という場合。ある特定のネタに関心があって、それが載っているかどうか実際に見ないとわからない場合。そんなときだ。

 なぜそれがオンライン書店ではできなくて、実際の本では機能するのか、というのはよくわからない。本屋にでかけて、いったい自分が何を基準に本を選んでいるのかは必ずしもよくわからないからだ。それはふとした表紙の感じ、なんとなくタイトルが気に入った、といったことなのかもしれない。でも、オンライン書店でもそれはある程度は可能だ。まだビデオや液晶画面の解像度では伝わりきらない何かをぼくは検出しているんだろうか。ある人は、単に自分のインスピレーション源とするために、とにかく手当たり次第に知っている分野も知らない分野も取り混ぜて本を買うという。ぼくはそこまではしない。ちょっと興味がある分野、前から一度勉強したいと思っていた分野(といってもそれがやたらに広いのは事実だけれど)の中から買う。でも、それが完全にランダムではないはずだ。何らかの選択を行っている。それが何に基づくものかは不明だけれど。たまたま見覚えがある本の隣にあった、とか何らかの配置パターンによるものとか。ひょっとしたらぼくは、赤と青と白の三角形があると青の頂点に手をのばすクセがあるのかもしれない、とか。

 仮説としては、その分野――つまりはその棚――のある種の全体像が見える、ということが重要なのかもしれない。そして今たまたま手に取ろうとしている本が、その分野、その世界の全体像の中での位置づけが漠然とわかる、ということが何か選択に貢献しているのかもしれない。これは実際の書店でしかできない。リアルな書店でしかできないことだ。

 これはネットの欠陥として、少数の人が指摘することだ。ネットは、自分の好きなものを選び出せる。だがその裏返しとして、見たくないモノをまったく見ずにすませられる。いまのネットでも、書評やデータベース分析から、これと似た本はどれか、これが好きならこっちの本も好きだろう、これを買う人はこれも気に入るだろう、というのはわかる。でも、その人が気に入らないであろうものはわからない。そういう本が存在することさえわからないし、それが全体の中でどのくらいの率を占めているかもわからない。実際の世界の本屋では、いやなもの――どこぞでナンタラを叫ぶ本とか――を見ずにはいられない。それが自分の好きな本より圧倒的に売れていることを認識せずにはいられない。それを見せつけられるのは不愉快だけれど、でも世界のあり方について何かを告げてくれる。

 ぼくはオンライン書店の普及は、専門書店の興隆につながると考えていた。いくらでかい書店を作っても、ネット書店にはかなわない。だったら専門特化するのが一番の道だ。でも、必ずしもそうなっているようには思えない。それはいま指摘したような、見たくないものも含めた全体像を見せてくれる、という実際の書店の機能のせいじゃないだろうか。そして、もしそれに価値があるのであれば――ぼくは将来的に、入場料有料の本屋というのもあり得るんじゃないか、と思っているのだが。でもこれはまた別の話だ。



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