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断言のスピード感

(MacPress 「スピード」特集)

山形浩生



 文のスピードは断言にある。正しいかなんて、とりあえず問題外。もちろんそれが、単にできあいの借り物見解に安住してるだけなら、爽快感のかけらもない鈍重な代物ができあがるだけだけれど、自分なりに考え抜いた確信や叫びがストレートに、かつ矢継ぎ早に繰り出される快感は比類がない。ナチスのようなプロパガンダも、その力の半分はそうした爽快な断言の力にあった。その影響の行く末は、小説の知ったことではない。

 「どこでもおれの最語を聞け。どの世でもおれの最語を聞け」。『ノヴァ急報』をそう書きはじめた、六〇年代初頭のウィリアム・バロウズには確実にその断言の力があった。被害妄想にも近い、偏執狂的な思いこみの激しさを持っていた。最近はすっかり女々しい懐古ジジイになりさがってしまったけれど、そしてわれわれは、かれのかつての断言が決して幸福なものではなかったのを知っているけれど、それでも『ノヴァ急報』の持つスピード感の源泉は、一つにはその偏執狂的な「宇宙ウィルスが地球を侵略している! コミュニケーションは侵されている!」というメッセージの反復だ。
 そしてもう一つはその手法、カットアップの多用。これで文は、複雑な(つまりは曖昧さを増す)構文から切り離されて、切れ切れの、保留の許されない断言しかできない断片となって、次々にこちらに投げつけられる。「こうかもしれないし、ああかもしれない」がカットアップされて、「こうだ! ああだ! しれない! しれない!」となる。どちらが速いかは一目だろう。ちなみに、『ノヴァ急報』あとがきで触れたソフト「ドクターバロウズ」は、あらゆる文でカットアップの実践を可能にしてくれる、いわば「Cut up for the rest of us」である。

 今のアメリカ小説にはそういうスピード感を持つ作家はほとんど残っていない。むしろ断言を避けつつ逡巡し、ひたすら足踏みと脇道はの分岐をくりかえして増殖してゆくのが、今のアメリカ「ポストモダン」小説の典型だろう。確信しないのが今っぽいのである。『中二階』のニコルソン・ベーカーのように、ひたすら些事にこだわって注を分岐させ、しかもそれを別に何かを言うためにおくのではなく、「どうでもいいことにこんなに時間を割けるほど暇です」という雰囲気づくりだけのために配置しているような小説。あるいはジョン・バースのような、頭でっかちの判断保留小説。
 唯一、人の襟首をつかまえて怒鳴りつけるような力を未だに持っているのが、バロウズ流の断言絶叫小説の衣鉢を継ぐ、雄叫びねーちゃんキャシー・アッカーくらい。ただ、彼女も最近、ちょっと迷ってるな。そんな感じがする。

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