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五十歩百歩のぬるま湯。

――小室直樹『日本人のための経済原論』

(某誌ボツ原稿、1998 年 11 月)
山形浩生



 買う価値のない本だ。最初の六割は、経済学の教科書をぬるめただけの代物。後半三割は、よくある官僚バッシング。はさまった一割くらいが日本経済の話だけれど、それが前半後半とほとんど関係がついていない。

 まず前半。ふつうの経済学教科書をかみ砕いてるつもりらしいんだが、それが教科書の記述の間にどうでもいいヨタ話と合いの手を入れただけなんだ。それもくどい。大事なことをくどく繰り返すんならいい。でも小室の「くどい」というのは、理論のとこじゃなくて、合いの手をしつこく繰り返すだけの、無意味なくどさなの。

「内生変数と外生変数とのちがい、とっくりお分かりかな。トコトン納得できましたかな。腑に落としきりましたかな。ここが理論経済学の核心、理解の急所である」(p.141)

 うるせぇ。とっくりだのお銚子だの、そんなとこ繰り返してどうすんだよ。しかも、こんなの別に核心でも急所でもないからね。内生・外生を区別するのは大事だけれど、それは理論経済学以前の、あらゆるモデルの前提だからね。

 関係ないよた話も多すぎる。アメリカの結婚相談員が高給取りならどうだっての? さらにこのおまぬけな漢文多用癖はなんとかならんのか。「日本は土地神話が瀰漫(ひろがりはびこること)していた」。いちいちカッコで説明をつけなきゃならないなら、使わなければいいのに。あるいはこのダサダサの英語使い。「ヴェリー・グッド、いやエクサラント」ってあんたはノヴァ英会話学校の CM かよ。

 そして結論は要するに、いまの日本は限界消費性向が低いので、公共投資とかの乗数効果がきいてこない、だから財政や金融では不景気からぬけだせない、というだけの話。限界消費性向というのは、あなたが稼いだうちどれだけ使うか、という話。

 この本を読んで理解すべきことは、いまの数行でほとんど尽きてしまっている。じゃあなぜ消費性向が低いの? 日本が金持ちになって、みんなの消費が気まぐれになったからなんだって。ふーん、まあそれはそうだろうけど……じゃあ、どうしろってのさ。貧乏に戻れとでも?

 そしてたぶん小室も、これじゃオチがつかないと思ったんだろうね。それではじまるのが、悪者探し。「官僚が腐敗したのが悪い」というわけ。そしてアメリカとかシナの官僚制の話とかをウダウダするんだけど、それが前半とまったくつながらない。官僚がよくなったら、日本経済はどういうプロセスでよくなるわけ? 説明皆無。そして最後は、景気回復にはベンチャーを育てて新規産業をたちあげろ、だって。そんなことしてた日にゃあ 10 年あっても足りねえよ。しかもこれを言うために最後の数ページであわててシュンペーターを引き合いに出してくる。前半の経済理論とぜんぜんつながってない。

 さらに、この本で小室直樹は信じがたい無知を平気でさらけだしている。この人、銀行って何するとこだか知らないのね。

「元来、銀行は預金の一部を貸し出して、あとは手元において自分で運用するものなのである。ところが、日本ではまだ貸出しより預金のほうが多いという銀行はない」(p.80)

 ?!?! あのさ「手元において自分で運用する」って、なんのこと? 運用するってのは、貸すとか投資するとかして、リターンをかせぐことじゃないですか。銀行って、基本は金貸しなんだからね。それが「手元において」貸さずに、どうやって運用するんだ! どうやって預金の利息や社員の給料を払うんだ! 貸出つまり融資こそが、銀行にとっての運用じゃないか! ちゃんと調べてはいないけど、世界に貸出より預金残高のほうが多い銀行なんて、あるの? その銀行は、どうやって稼いでるの?
 さらに小室は、BIS 規制で自己資本 8% 以上になってるのは預金のとりつけ騒ぎが起こったときに、自己資本で支払えるようにするためにあるんだ、なんてのたまう。たいがいのところでは、預金には政府が保証をつけてることが多いから、そんな心配はないんだけどね。BIS 規制の主眼はむしろ、所有者・出資者が変なギャンブル融資に手を出せないようにするための保証金でしょ(これについては、ぼくがいまの hotWIRED Japan に書いてるから、読んでやってや)。こんな人の口走る「資産デフレ」だのインフレだのの話が信用できると思う?

 ちゃんと経済学を勉強してものを言おうぜ、という本書の趣旨はわかる。だけれど、この本自体がそれをやってない。戯れ言に堕した軽薄さをわかりやすさととりちがえ、既存のお題目に安易にながれ、己自身が経済学に則ろうとしない(あるいはそれをきちんと説明できない)。それでいったい読者にどうしろといふのだよ。変な扇情ビジネス書よりはましだが……でも小室の好きな漢文でいえば、五十歩百歩(似たり寄ったりであまり大したちがいがないこと)、というやつか。


SPA! 編集部 梶原さま
98/11/21

 早速読みました。が、まったく感心しません。というわけで書いたのがこの書評です。字数多めですが、これではたぶん梶原さんとしても内容的に困るんですよねえ。たぶんボツだろうと思って、刈り込んでません。ほめる書評になおせ、というならなおすよう努力しないでもないですが、むずかしいです。取り急ぎ。

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