ほうぼうで話題になっている小島論説だが、ぼくはかれが何を言いたいのかちょっとわかるような気がいたします。そしてその原因も。数学大王小島氏は、コモンノレッジというものについてえらく面妖な理解をしておいでなのでしょう。
かれが言っているのは、いくら、どんなにお金を刷ろうとも、みんながインフレにならないと思えばインフレになりません、ということですな。
もちろん、日本中の人に追加で一億円ずつ渡しても、みんなが相変わらずポテチは一袋百円だと思い続ければ(つまりそれがコモンノレッジであるなら)、ポテチは百円のままで、インフレは起きないでしょう。その意味で、はい、小島先生のおっしゃる通りです。ジンバブエの人々に是非とも教えてあげたいですね。きみたちがインフレで苦しんでいるのは、きみたちの思い込みのせいでしかないんだよ、というわけです。
が、そんなバカことがあるわけはなくて、一億円みんなもらったら、金の使い方も変わるだろうし、すると当然インフレになるでしょー。と思うのが人情。これは確か、マクロちっくには貨幣数量説とかいうものだったと思いますが、ミクロで考えてもそうなるでしょう。それがコモンノレッジでなくてもただの自分ノレッジであったとしても、金持ちになると金遣いは粗くなると思いますよー。そしてみんながそれを始めたら、どうもみんな金回りがいいらしいというのはじわじわコモンノレッジ化するでしょう。
でもここで小島論法のキモが出てきます。それをモデルに織り込むことは、すでにあらかじめインフレが起こることを想定しているのでだめよ、と小島さんはおっしゃってるんですね。ご自分のモデルはそれをしない、と。
ということはつまり小島モデルにおいては、どうもコモンナレッジなるものがこの世の中で起こることとまったく独立に存在しているようです。そのモデルでは現実に何が起ころうと人々はまったく意に介さないらしい。ぼくはコモンノレッジについては小島本と、最近ちょっとビンモア本で読んだくらいなのでとても理解しているとはいえませんし、小島モデルも具体的に見たわけじゃありませんが、コモンナレッジってそんなものなんですか??
そんなコモンノレッジ独立性仮定をおけるような世界でなら、バーナンキの背理法は成立しないかもしれません。が、それはひょっとして、インフレは絶対に起きないという仮定をおけばインフレは絶対に起きないというだけのモデルになってるんじゃありませんか? ちがってたら失礼。でもここは幸か不幸かそういう世界ではないと思います。
というわけで存在証明は大事かもしれませんが、数学モデルの世界にだけ遊ばず、現実との対応を見ることも重要でしょう、というのが教訓ではないでしょうか。経済学者に対する揶揄として With enough assumptions, an economist can make time go backwards というのもあることですし。But then, having said that, I wish I were an economist with enough assumptions.
(2008/8/28, id)
イエロー閉店ですって。My clubbing days are over (not that I was a big clubber or anything, but still...) (2008/6/22, id)
シャネルが やっている、世界巡業の移動型美術館 Mobile Art にでかけていきました。コンセプトはカール・ラガーフェルド、建物はザハ・ハディド! 入場無料だが、入れる人数に制限があるので予約制。予約はもう満杯なので、ヤフオクでチケットがでまわっている。また、予約してもこない人がいるので(だから価格システムで需給のマッチングしないと)、入り口で行列しているとキャンセル待ちで入れる可能性あり。
中に入ると MP3 プレーヤーを渡されて、ザハ・ハディドおばさん風の声(本人じゃないそうな)があれこれ右にいけとか左にいけとか言うのに指図をうけつつ作品を鑑賞する仕組み(だから一回に入れる人数が限られるのだ)。展示されているアートは、シャネル製品をネタにすることになっているんだが、しょぼいものが多く、特に入ってすぐのつまらんアクリル製シャンデリアもどきは、そのまま帰ろうと思ったくらい。あと、オノヨーコいらない。アラーキーと、水面に作品が映り込む仕掛けのやつ、あとファンデーションの香りをぷんぷんさせる出口ちかくのやつだけがおもしろい。ぼくなら通常、5 分ですべて見終わる程度のでき。あとは建物への興味、だな。
でも場所は代々木のオリンピック公園なんだが、単にぽつねんとあるだけで、周辺との関連性がまったくなし。東京の前は香港で、その写真を見ると町のどまんなかの、旧スターフェリーのりば前で、背後の高層ビルとのコントラストがすばらしい。それに比べて、東京は隔離されていて都市との一体感皆無で、情けない感じではある。広報用のパンフを見ると「丹下健三の体育館との一体感がどうのこうの」というんだけれど、位置的になかなかうまく両者をおさめたアングルというのがなくて、その一体感が(あるにしても)うまく見渡すことができない。あの裏側じゃなくて、表側の公園通り側の駐車場に設置できなかったものかなあ。ずっとよくなっただろうに。次のニューヨークはどこでやるのかなあ。 (2008/6/22, id)
レッシグ読者ならおなじみだけれど、著作権の大きな問題として、だれが権利を持ってるのかわからない作品というのがある。どっかのだれかは絶対に権利を持っているはずだけれど、でもその人がどこにいるか見当もつかず、かといって黙って使えばあとからそいつが名乗り出てきて巨額の賠償金を請求される可能性もあるので、だれも使えないような作品だ。「精一杯探したんです」というのはいまはいいわけにならない。
ところがいままで知らなかったけれど、アメリカ議会はいま、これを何とかしようとしているそうだ (House's Orphan Works Act of 2008 (H.R. 5889))。精一杯権利者をつきとめようと努力しましたということを示せれば、使っていいことにしよう、という法案を検討中とのこと。個人的にはえらいと思うし立派な動きだと思うんだけれど、少なくともぼくには意外なことにレッシグはこれに反対している。精一杯の努力というのが定義されておらず、費用が高くなるから (いや、なる可能性がある、ということで。現在は具体的な定義はまったくない)。かわりに著作権を登録制にしよう(一定年数を超えたら、保護してほしいものは登録しないとダメ、というもの)という。
そういう改訂ができれば結構なことだけれど、うーん、そういう大幅な著作権法の改定はずいぶん面倒だろうし、既存の枠組みの中で考えるなら、少なくとも権利者のわからん作品を使う道が開けるだけでも有益だと思うんだがなあ。特にこの「精一杯の努力」というのの定義次第ではいろいろ可能性があると思う。そしてこれは、作品の著作権者の所在を明確にすることを多くの人にうながすことで、長期的にはレッシグの主張する制度の実現にもつながると思うんだがなあ。
あと著作権では、一般には名曲と思われているけれど、よく考えるとポル・ポト状態をあからさまに称揚している恐ろしい曲である ジョン・レノン Imagine(だって imagine no possession, imagine all the people living for today 等々まさにポル・ポトのスローガン)がどっかのドキュメンタリーの背後で流れていたのをオノヨーコが訴えていたんだけれど、オノヨーコ敗訴。「音楽だって引用みたいなのは当然あるんだから、たまたま数十秒流れていたようなのでイチイチ騒ぐな」との判決。すばらしい。アメリカってえらいなあ。 (2008/6/7, id)
Nine Inch Nails 新作 The Slip はなんと完全無料公開。すごい。ダウンロードにはP2P の bitTorrent が必要なんめり。さあ Winny で脅されて P2P が児童ポルノと違法ソフトと個人情報流出の悪魔の世界だと誤解しているみなさん、禁断の P2P の世界へ赴こうではありませんか。こういうのが P2P 本来の利用法なのでございます。Windows なら μTorrent、MacOSX なら Transmission が個人的にはおすすめ。ただセキュリティソフトを入れている人はポートに穴を開けたりしなきゃいけないので、敷居がちょっと高いかも。技術力のない人は、店頭販売を待ってろってことで。店頭版は dvd がつくらしいが詳細不明。 (2008/6/5, id)
恒例の施し。それぞれミャンマーと中国用だが、どっちがどっちかはないしょ。それにしてもガーナにいるときのニュースは、中国地震とミャンマー台風被害と南アのものすごい暴動しかなかったけれど、日本に帰ってきたらこの関連のニュースが一切なくて、隔世の感がある。CNN と BBC が同じニュースを一日に百回も二百回も流すのはうっとうしいが、一方で日本での、この報道ゼロという状況はすごいものがある。
特に南アのやつは、外国人労働者をカメラの前でぼこぼこにし、それを雇ったというだけで商店を破壊し商店主を半死半生になるまで殴りつけている様子 (それもじつに楽しそうで、歌って踊りながら!) があからさまに放送されていて信じがたい光景だった。これまでは植民地主義がとかアパルトヘイトの遺産がとか言って白人のせいにできたし、ルワンダやボスニアとかでは古来の民族対立がどうしたこうしたと賢しらなことも言えたけれど、こういうのを見ると、じつは人種差別だ民族抗争だなんてのはすべてただの口実で、そんなものをつつきまわすことには一切意味がなく(どうせまたべつの口実をどっかから見つけてくるでしょ)それ以前の人間の本性の問題なんじゃないかという気さえする。柳下のボスニア関連の記述を見ても思ったことだけれど。 (2008/6/3, id)
コーマック
・マッカーシー『すべての美しい馬』をいまさらながらに読んで、成田空港からの帰り道に涙する。マシーセン『はるかな海亀の島』を彷彿とさせる、内面を廃した行動心理学を体現したような淡々とした描写。いままで手にしなかったのが悔やまれる。いや、ペネロペ・クルズが出た映画の原作としか知らなかったので、あんぽんたんな作品なんだろうと思っていたものだから(別にペネロペ・クルズに恨みがあるわけではないが)。帰って他の作品を調べたら―― No Country for Old Men って、マッカーシーの原作なのか!! 知らなかった。 (2008/6/2, id)