北斗の権:愛・リノム ――Dr. Inaba に捧ぐ (瀬名秀明が武論尊と組んで小説マンガ化してくれますように)

山形浩生



数億年くらい前にミトコンドリアとともに共生のための調整器官としてゴルジ体の中に権利機能=権子が発生し(righnomリノムと命名)。2015年にこの画期的な新理論が Nature で発表され、その翌年には遺伝子操作でゴルジ体を除いたトゲウオが縄張り行動を示さないことが確認される。また、生物が進化するにつれてゴルジ体も複雑化し、ある段階で自分の権利のみならず、他の権利のモデルを自己内に作成していることも判明。他者の権利という概念にも生物学的な根拠があることが判明したのである!

 生物学界はわきかえり、たちまち権利生物学という新分野が開花。それとともに、政治学や法学もまったく新たな展開が示される。生物政治学、法生物学など、もはやドゥ=ヴァールなど及びもつかぬあらたな展開が見られ、これにより経済学は一時の気勢を急激に失うが、こんどは期間をまたがる権利取引による人権配分最適化理論が新分野として開花。さらに、あらゆる人間には同じ権利の生得的な深層構造があることが明らかとなり、各文明における権利概念はそのトランスフォーメーションとして記述可能であることが明らかになると、劣勢を強いられてきた人権派は一気に巻き返しに出たのである。いかに合理性があろうとも、人権器官を否定するような発想は許されないのだ! また、合理性と結託するかに見えた進化論はここでも強みを発揮し、心の進化理論は一瞬にして組み替えられた。心は、進化の物質的合理性に基づく適応ではなく、権利受容装置としての適応であったのである。

 リノム概念は、2037年にリヒャルト・テツギンス『慈愛的権子』によって一気に広まり、さらに多くの追随書が発表される。2040年にはメトセラ・エメラルドがベストセラー『農、肉食、アンドロイド』を発表。いかに人類社会の食物環境が、人間に集約されるリノム総量最大化に向けて組織化されたかを描き出し、もはや権利生物学の勢いはとどまることを知らぬかに見えた。ちなみに、機を見るにさとい山形浩生が死の直前に突如人権派への鞍替えを宣言し、晩節を汚して周囲を失笑させたのもこの時期である。

 この理論から生まれたのが計量人権論、つまり人の保有する総権利を総リノム量により定量的に計測する理論であった。これにより、子供の権利を制限することは定量的に正当化されるようになった。また、動物権利論者も、動物に一定のゴルジ体/リノムがあることから主張がようやく一般に認知されるようになった。同時に、アンドロイドや人工知能に権利はあるか、という議論にも終止符が打たれる。アンドロイドや人工知能はリノムを持たないので、権利もないのであり、どんなに知性があっても奴隷として酷使することに何ら問題はない。テツギンス『慈愛的権子』の中では、生物学的な権子にかわる新しい権利の伝搬形式についても議論が行われていたのだが、根拠薄弱なヨタ話として一笑に付されてしまった。かくしてこの時期、初の珪素系宇宙人との接触が行われたにもかかわらず、珪素ではリノムが構築できないことを根拠に、かれらは一挙に殲滅されてしまったのである。

 が、この理論はその一方で、個人間に権利量の差があることを否応なく示す恐ろしい理論であった。これに人々が気がついたのは、オーストラリアにおける一票の格差違権裁判であった。なぜ総リノム量の多い人と少ない人が、同じ権利を享受すべきなのか! 同種の訴訟が世界を席巻するに至って、本来は平等を重視するはずの人権理論は、ここにいたって突如として差別を正当化する理論としての様相をむき出しにする。だがもはや引っ込みのつかぬ人権派にはなすすべもなかった。かつての合理性に基づく市場のほうがよかったのでは……という疑念はたちまち踏みつぶされ、世界は泥沼の権利保有競争へと転げ落ちる。自分の持つ権利量を最大化すべく、ボディビルを通じたゴルジ体の豊富な筋肉量の増強を図る人が続出。過度のステロイド使用による死者は数千人に及び、政府はステロイド剤や筋肉肥大薬物、さらにはボディビル設備を全面禁止。だがそうした活動は地下に潜り、大規模なアングラボディビル集会が各地で摘発されるに至る。その一方で、他人の権利を身につけるためと称し、人肉食も多発。人類文明の基盤が崩れ去り、時代はまさに荒野。異様なまでに筋肥大した人々による恐権支配の下に、ごく一般的なリノム量しか持たぬ人々がおびえて暮らす、恐ろしい時代が続いていた。が、そのとき!

「うひゃひゃあ、ガキども、おれの無敵の神聖不可侵な権利を思い知れ、さあオレ様に尽くすのだぁ……う、おまえ、何者だ? おれのこの恐るべき権利の量が目に入らねぇのか!」

「キサマにはもう生きる権利はねぇ! あたぁ!」

荒野にひびきわたる奇声、それは一子相伝でひたすらリノム増強を目指した、かの一族の末裔であった!

「ひでぶっ!」

「まさか、こ、これはあの伝説の北斗人権!」

……お後がよろしいようで。

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