月刊Playboy 2000/04号表紙は喜多嶋舞。 カリスマが教える21世紀ビジネスマン・サバイバル勉強術

まずは書いてネットにのせるべし:でもなにを?

――とりあえずの英語上達方法、ではあるが。
(『月刊 Playboy』2000 年 04 月)

山形浩生



 これからの人材に要求される基本的な知識が、英語、パソコン、ファイナンスなのだ、という説があるそうだ。だれの説かは知らない。まあいいんだけど、ただ、世間的なイメージについて、個人的には結構疑問がある。

追記:書いたときは知らなかったんだが、出てきたのを見たら、これはあのバカで有名な大前研一のお説だったのだ。やれやれ。しかも、大前はこの「疑問」な意味でばっかこれを言ってる。ショーもない。

 パソコンは大事だろう。というとふつうは、ワードで文書にページ番号や目次を出す方法、とかメールがやりとりできます、とかいう話が出てくる。でも、アプリケーションの細かい操作なんか無意味だ。だってそんなもの、半年たてば変わるもの。大事なのは概念。コンピュータという概念。分散型のネットワークという考え方。ファイル管理という発想文書の構造という思想。それが大事なんだ。

 そういう考え方は、実はみんな、書類を書いたり資料をつくったりするときに、自然に使っている。コンピュータや各種のソフトだって、そういう考え方を実現するための一手段だ。いまみたいパソコンがどこまで続くかはわからないけれど、考え方は必ず続く。それをおさえれば、アプリケーションの操作なんてすぐにわかる。

 みんながパソコンがわからない理由は、たぶんその高い(でも単純な)考え方があるってことすら知らないせいだ。そんなにむずかしい話じゃない。なのにそれを解説しようという本は、少なくとも初心者向けにはほとんどない。いずれなんとかしなきゃね。

 続いてファイナンス。ファイナンスだって同じような話だ。たぶん新聞の見出しなんかのおかげで、実際よりもむずかしいものだと思われちゃっている。でっかい金が動くし、金融屋どもがこけおどしをいろいろやってくれるし。でもファイナンスの基礎にあるのは、とっても単純なアイデアだ。リスクとリターンという考え方、分散投資の理屈、あとオプションくらいでいい。ヘッジファンドとかペイオフとかSPCとか、枝葉の現象ばかりを追っかけても無駄だろう。でも、3日じっくりと基礎のところを勉強すれば、もう何もこわくない。あとはすべてそのちんけな変奏で、新聞程度ならなんでもわかっちゃう。あとはそのためのいい教科書があれば……なんだけど、これはいまぼくが書いているので、あと半年くらい待ってね。

 で、残るのは英語だ。

 英語はむずかしい。人間が工学的、あるいは経済学的につくりあげたものじゃないからだ。ほかの二つは、それを作った人間の考え方があって、その考え方さえおさえれば、いろんな見通しがずっとよくなる。ところが英語はそうはいかない。  そもそも必要なのは英語か、という議論はもちろんある。小渕総理がこしらえた「21世紀の日本」懇談会の提言では、「グローバル・リテラシー(国際対話能力)を確立する」というお題目のもとに、英語の勉強を強化しろだの英語の能力別クラス編成しろだの。他のところでは、学校ではあんまりものを教えずに、教育クーポンやって好きなことやらせれば、という教育を放棄した自堕落な提案がされているのに、英語についてだけずいぶん血走った詰め込みをやろうとしているのはなぁぜ? 英語だけできてもただの英語バカだ、というのはわかっているんだろうか。英語はあくまで言語だ。言語だけじゃなにもできない。表現する中身がいるんだ。

 ただしここでは、あなたにはそれはすでにあるものとしよう。いい歳した大人なんだから、言うべきこと、表現したいこと、一家言あることの一つや二つはあるでしょう。さて、どうしようか。基本的には、場数をこなせ、というだけだ。でもホイホイ場数がこなせるくらいなら苦労はしない。羨望のまなざしを浴びつつペラペラと毛唐とジョークを交わす自分を夢見て英語学校にも通った、簡単そうなペーパーバックも買ってみた、FENも聞いた、でも続かない、三日坊主で終わってばかり、モノにならない。こんな文を読んでいる人の悩みはそういうことだろう。さあどうしようか?

 いま挙げたいろいろな「学習方法」には、多少なりとも成果が出るまでにとりあえずかなり長いこと我慢しなきゃならないという大きな欠点がある。だから続かない。続けるためには、遠い彼方の輝く自分像だけではあまりにつらい。

 まずはいま、ここにいる自分のナルシズムを活用することだ。そしてそのためには、まず書くことだ。そして、それを人に読ませることだ。自分でも読み返すことだ。そして書き直す。他の人のを読んでみる。また書き直す。これを繰り返す。しかもしばらく前までは、一般人が自分の書いたものをまともに人に見せる方法はないに等しかった。でも、最近になって、まったく新しい方法が出てきている。インターネット経由で、英語のウェブページをつくって公開することだ。

 何についてのページか、というのは、すでにいくつか腹づもりがあるという前提だ。最初にやるときは、その中の二番目くらいに自身があるトピックを選ぶのがコツだ。では、それをどうやって英語で表現しようか。よくやるのは、まず普通に日本語を書いて、それを英訳することだ。が、これをあまり考えなしにやるとちょっとまずい。普通の日本語を書くと、非常に英訳しづらくなるからだ。日本語を書く段階から、英語にしやすい文を考えて書くのが重要だ。たとえばこんなふうに:

(原文)
 賃料は下がり続けている。回復見通しもたっていない。だから、相変わらずオフィス市場は冴えない。不景気で、企業は新規雇用を控えた。だから床の新規需要は低迷している。供給側では、竣工は前年から30%下がった。それでも68.8万平米という高い水準だ。結果として賃料は、94年比で20%低下した。

(英訳)
Rent fell further, and there is little prospect for recovery. So, the market remained low. Because of the bad economy, firms were holding out new employment. So, demand for floor space was low. On the supply side, completion dropped 30% from the former year. But it still remained high at 688,000 m2. As a result, rents fell 20% from 1994.

 日本語を読むと、「AはBです」「だからXはYです」という短い断定的な文章が続いている。通常の日本語の文章なら、「長期化する不況を背景として企業の雇用も低迷傾向が見られ、オフィス市場も弱含みとなっている」とかいった含みをもたせた長い文が好まれる。でも英語にしやすいのはこういう文だ。文章が短く単純だから、複雑な構文を使う必要なし。直訳で十分に対応可能。そして大事なのは、これがかなりよい英文だってこと。よい英語の文章は、短く、形容詞が少なく、論理が貫徹したものなのだ。ポイントは以下の通り。

 特にこの最後がポイント。上の例でも、最初の部分で結論が出ている。あとはそれを詳しく説明しているだけ。英語の実用文章では、各段落の頭には、ほぼ必ずその段落を要約する文を持ってくる。だから英語の新聞雑誌や報告書は全部読まなくても、各段落の頭の一文だけ拾って読んでいけば、内容はほぼわかる。欧米圏の人々はほとんど無意識にそういう読み方をする。それにあわせた書き方をすると、自然にわかられやすくなる。さらに、こういう書き方は、しゃべりかたにも応用がきくのだ。

 Webページのいいところは、恥ずかしかったら匿名でやればいいってことだ。さらに一回つくって公開すると、自分で何度も読み直すことになる。気になるから関連したページも見ることになる。最初からうまくはいかない。でも自分のつくったものだから見せたい。人に自分のものを読ませるにはどうしたらいいか? それは英語の問題だろうか、それともそれ以外の要因か? ほかの人はどうやっているだろう。いやでもそういうことを考えてしまう。そしてそれをもとに改善や追加を加えて、うまくいけば何らかの反応もきて、だんだん使える言い回しや語彙も増えて……というサイクルができれば万々歳。

 そしてダメな場合でも、まずあなたは、プレゼンテーションということを真摯に考える機会ができた。これを意識的にやれる日本人は少ない。絶対に損にはならない。さらに、上で挙げたような英語の書き方は、ホームページが失敗しても他で十分に通用する。さらに、テーマが悪かったのかもしれないけれど、でもあなたの選んだトピックは、手持ちの二番目のトピックだったのをお忘れなく。あなたにゃまだとっておきのネタがある。いつかそれで勝負をかけよう。そう思えば自尊心も傷つかない。そういう逃げ道をあらかじめ用意しておくのも、大人の知恵ってやつだ。

 さて。ここまでの大前提は、あなたは英語が使えるようになったときに、何かそれで表現することがある、ということだった。でも実は、言いたいこと、やりたいことがある人は、言われなくても努力する。問題はそれがない人たちだ。日本人の多くは、なにか表現しろ、主張しろ、と言われてもその中身がない。日本人の生徒は何か質問すれば、イエス、ノーは言うけれど、自分からは何も言わない、と言われる。あなたはどうだろう。

 というわけで問題は、自分が(ひいては他人が)おもしろがれるものをどう見つけるかってことだ。おもしろい、話したい、伝えたい、と思えば英語だってコンピュータだってすぐにこなせる。が、ぼくはどうも、最近多くの人は、単純な感覚刺激以上の「おもしろい」というときめきをおぼえる能力がなくなってきているんじゃないか、という気がしてならない。どうしよう。さすがにそこまでは、ぼくにも案がない。まだ。



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