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開発モデルと商売モデル:フリーソフト/オープンソースをめぐる文献たち

『日経コンピュータ』1999年6月(に出た号)に、ちょっと削られて掲載

山形浩生



 1998年は、オープンソース元年とも言うべき年だった。ネットスケープ社やアップル社が自社ソフトのオープンソース化を発表し、さらに Linux の爆発的といっていいほどの普及ぶりによって、フリーソフトやオープンソースへの関心ががぜん高まっている。ここでは、この運動を理解するための各種文献を駆け足に見ていこう。

開発モデルと商売モデルをわける

 フリーソフトやオープンソースについて考えるときに、いちばんだいじなことは、開発モデルと商売モデルをきちんとわけることだ。フリーソフト、オープンソース方式では、開発者たちに直接経済的なメリットがいくことはない。フリーソフトの主流ライセンスであるGPLやBSD式ライセンスなどをみれば、これは明白。しかしながら、そうしてできたソフトウェアをもとにして、それに付加価値をつけて商売することはできる。そして開発モデルの行動原理がわかれば、この両者が補いあうようにすることも不可能ではない。フリーソフト・オープンソースをめぐる話は、実はこれだけのことだ。しかし実際には金子郁容『シェアウェア』(NTT出版)をはじめ、この区別ができていない混乱した議論が多々おこなわれている。

伽藍とバザール

 これに対して、フリーソフトの実際の開発を実際に行ってきた立場から、ずっと深い掘り下げを行ったのがエリック・レイモンドによる「伽藍とバザール」「ノウアスフィアの開墾」だった。

 この2論文は、フリーソフトの開発モデルについて述べた論文である。不特定多数の人間が好き勝手に集まって大規模で緻密なソフトをつくってしまうというLinuxに代表される開発がなぜ可能なのか、これを分析したのが「伽藍とバザール」であり、これを読んでネットスケープ社がソース公開にふみきったのはすでに旧聞に属する。一方、ハッカーたちを律する行動原理として、喰うに困らない人たちの非市場的な「贈与の経済」があることを指摘する。どちらの論文も、フリーソフト、オープンソースについてのほとんど唯一のまともな論考であり、必読。

 ただし最初に強調したとおり、これはいずれも開発モデルの話であり、商売モデルと混同してはならない。「伽藍とバザール」に対し「でもバザールモデルでは金がとれない」といった見当ちがいな批判が出てくるのは、この混乱が原因である。

先人たち

 レイモンドが贈与の経済という視点を持ち込んだため、フリーソフトをめぐる思考は一挙に広がりが出てきている。贈与経済について様々な研究を行ったカール・ポランニーの著作には非常に示唆的な部分が多い。またジョルジュ・バタイユが『呪われた部分』『エロティシズム』(いずれも二見書房)などで「過剰の処理」と称して分析しているのも、これに近い概念であろう。ソースティン・ヴェブレンが名著『有閑階級の理論』(ちくま文庫)で分析したのも、衣食足りた暇な上流階級人たちが、市場を無視して見栄の張り合いに精を出すさまである。ただし、その中でハッカーだけがなぜ集団として、ここまでの高い生産性を保持できるのかを分析したのは、やはりエリック・レイモンドの功績だ。

 フリーソフトをめぐるもう一つの流れとして、共産主義的な指向は指摘できる。これはフリーソフト財団のリチャード・ストールマンの発言にとても顕著に見られる。かれがGNUプロジェクトの誕生と理念を語ったストックホルムでの講演でも、それが雄弁に述べられている。

商売モデル

 ときどき誤解されているが、XX社が、YYソフトのLinux対応版を出すのは、オープンソースのビジネスモデルなんかではぜんぜんない。ある程度のユーザがいて市場が見込めるので、そこに製品を投入しただけの、いままでとまったく同じ商売モデルである。こうしたモデルについてはすでに有益で実用的な分析が多数行われている。Carl Shapiro & Hal Varian Information Rules(1999 Harvard Business School Press) をおすすめしておこう。この本には驚くべきことにフリーソフトやオープンソースの話は一言もない。が、ソフトや情報という商品の特徴とそれに関わるさまざまな商売上の考え方については、ほぼ網羅されている。多くの人がlinuxビジネスモデルと称するものは、すでにほとんどがこの本で言い尽くされてしまっている。ただし、ここでの主張は従来型の分析にとどまっており、新しさはない。

 また、これより進んだ(と言うべきかな)立場として、情報は本質的に商売にならないのだから、いずれそれはフリーになる、そしてその周辺分野で商売が行われるという見通しを、今をときめく経済学者ポール・クルーグマンが述べている。目下の最新作『グローバル経済を動かす愚かな人々』(早川書房)のいちばん最後におさめられたエッセイがそれ。軽い読み物仕立てだが、中身は深い。同じ物のもう少し読みやすい訳が、 http://cruel.org/krugman/lookbackj.htmlにある。

OpenSources

 おそらくいちばん興味深いのは、開発モデルと商売モデルをどう組み合わせるかという部分だろう。残念ながらそれをきちんと分析したものは、まだ存在していない。開発モデル、商売モデル、そして実際の導入にあたっての問題点などは、現在すべて同時に展開が進んでおり、まだ整理がついていないからだ。そのなかで、さまざまなポジションの主要な論客たちの文章を要領よくまとめた本が、DiBona et al ed. OpenSources (1999 O'Reilly、邦訳予定あり)である。レイモンドにストールマンなどの開発者、RedHatのボブ・ヤングにティム・オライリーなど商売側の人物による論考をバランスよく集めている。技術的な話に徹したリーヌス・トーヴァルズによる Linux の解説は、巻末補遺のリーヌス VS タネンバウムのカーネル論争とあわせて非常に示唆的。またPerl の父ラリー・ウォールの文はいつもながら、冗談としか思えない口調で、えーと、えーと、コレはいったいなにが書いてあるのやら、よく考えるとさっぱりわからないのだが、でも無法におもしろい。現時点では、出版物としていちばん優れた本だろう。(付記:ただし実際の翻訳には不安が残る

オープンソースの現実

 一方、オープンソースでなんでもホイホイうまくいくわけではない。ネットスケープによるブラウザ公開の「失敗」を内部から語った『追悼そして回顧;mozilla.org顛末記』は、オープンソース必読文献の一つ。Netscape主要開発者であり、mozillaの名付け親でもあるザウィンスキーが、オープンソース化後の状況とその失敗について、当事者として非常にストレートに語っている。

 エリック・レイモンドは、「MSのブラウザ支配をくい止めたという意味ではmozilla.orgは成功だった」と述べているが、これは苦しい言い逃れだろう。mozillaの最初の期待は、これでみんながソースコードをハックして、次々に改善・拡張をやって、それがまたネットスケープ社のほうにもフィードバックしてすばらしいソフトができあがる、というものだった。それが実現されていないのは事実。皮肉なことにハロウィーン文書の中では、当のレイモンドの「ノウアスフィア」概念に基づいてmozilla失敗が預言されている。もっとも、最近になって独自のmozillaが少しずつ出てきており、この状況も変わるかもしれない。が、いったいどういう条件があればオープンソースは成功するのか、という点で示唆的な部分が多い。

今後の注目作と留意点

 エリック・レイモンドの「ノウアスフィアの開墾」に続く第三作が、まもなく発表される予定となっている(付記:990625に発表された「魔法のおなべ」。内容としてはオープンソース・フリーソフトの経済学をゲーム理論的に分析したものとのこと。もしこれが前作までの水準を保っているなら、開発モデルと商売モデルをつなぐ非常に重要な論文となる可能性が高い。RedHatのボブ・ヤングの著書もこの秋に出るという。これは商売モデルの成功例として重要な記録になるはずだ。

 ただしまだオープンソースの本格的な展開ははじまったばかり。今後益々目が離せない分野であるのはまちがいないし、見るべき本も続々と登場するはず。数年後には、ここに挙げた分析や論考も一挙に陳腐化して、まったく新しい視点が登場しているかもしれない。すべてが現在進行形――それがこの世界の魅力なのだ。

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