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巻頭エッセイ:ウェブ 2.0と著作権

(「『経 (Kei)』2006年12月号)

山形浩生

要約: 著作権延長の動きがあるけれど、あれはウェブ2.0もダメにしかねない動きだから考えた方がいい。


 ウェブ 2.0 という用語ばかりが最近は一人歩きしていて、人によって意味がちがっているのでだんだんわけがわからなくなってはいるのだけれど、基本的には個々の利用者が利用することそれ自体がコンテンツの充実につながる、そんなサービスを想定すればいいようだ。人々がお互いの書いたことに対して相互にコメントを残しあい、そのコメントが議論としてコンテンツ化するようなブログ、あるいは人々が自分の映像コンテンツを提供しあう YouTubeやflickr、人々が自分の人間関係を小出しにしあう mixi など。

 そして、そこで重要になってくるのが、著作権の問題だ。こうした新コンテンツは、いろんな人々が提供した情報を集めたものになる。どれが使ってよくて、どれが使っていけないのか? それを細かく調べるのはきわめて面倒なことだし、これをあまり厳密にやろうとすると、そうした新しいサービスは自由度と魅力を失い、死んでしまう。

 動画共有サイトYouTubeでは、人々がテレビで録画したおもしろい映像を、著作権を無視してたくさんアップロードしていた。でも、それはこれまで不可能だった各種のハプニング、政治家の発言などをみんなが裏付けある形で共有することを可能にしていたし、これまで映したもの勝ちでかなりいい加減なことをしていたテレビに対して非常に容易なチェック機能も提供していた。

 が、最近では知財立国なるお題目のもとに、とにかく各種の知的財産権をひたすら強化しようとする動きが強い。その一貫として、著作権の期限を、著作者の死後 50 年から死後 70 年にのばそうとする動きがある。さて、これに何か意味があるだろうか。

 いまお読みのこの文章は、ぼくが死んだ後 50 年権利が続く。つまりぼくが二〇五〇年に死ぬとして、二一〇〇年まで続くわけだ。それを二一二〇年までのばすと、ぼくは創作意欲がわいて、どんどん創作活動をするようになる、という理屈なんだが……本当かいな。いったい二一〇〇年だの二一二〇年だのの世界がどうなっているかなんて見当つく? その頃までに権利があるとかないとか、本気で心配する?

 新しい創作への影響をうたいつつ、実はこれは過去のコンテンツに寄生している人たちのための延長になっている。もとの作者の孫とか、その財団とか、あるいは著作権を管理することで手数料を稼いでいる団体とか。そしてそのために何が起きるかといえば、人々がたとえばウェブ 2.0 などの各種新サービスで自由に使えるコンテンツが減る。それはそうした新しいサービスの普及を疎外し、それを殺してしまうことだってある。

 さて、それでいいんだろうか。ぼくはダメだと思う。権利は多ければいいってもんじゃない。それが何を可能にし、何を阻害するか、きちんと考えなければならない。本当に豊かな知財立国を可能にしてくれるのは、そうした慎重な検討なのだ。

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YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
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