(i-D Japan 終刊号、UFO特集)
山形浩生
本物の(と言っていいのかな)UFOが、むしろそれを見たと語る人々の、ある種の精神状態のほうを露骨に描き出すように、SFに描かれたUFOや、あるいは地球人(西洋合理主義文明人)以外の存在は、必ずそれを書いた(そして喜んで読んだ)世界のほうについて物語る。
人は何にでも意味を読み取ってしまう。月の模様にもちつきウサギを見たり、雲の形や星の瞬きに異星人の乗り物を見てしまう。でも、その「意味」ってのは人間の頭の中にしかない。それがただの思い込みなら? この小説でも、人は偶然にキャッチされた宇宙からの信号に、意味を見つけようとする。が、結局はその真相は結局わからないし、そもそも人間にはわかれないのかもしれない。
タルコフスキーの映画で有名。宇宙人が残していった、人間の理解を越えるゴミの山と、それを密輸するストーカー。ここに投影されているのは、旧ソ連の禁制の(謎の)西側文明の製品(理解を越えるくらい先進的なんだけれど、一方で関る人々の人生を不幸にする)に対する漠然とした恐怖だ。同じ「わからないもの」だけど、レムの不可知論よりも、政治経済的な状況の反映だね。宇宙人は、鉄のカーテンの向こうにもいる(いた)。
どうしてUFOだの宇宙人だのと口走るヤツらって、みんな目のつり上がった顔して「救世主だ」だの「使者だ」だの「侵略者だ」だのと叫ぶのか、知りたくもないけど不思議だよね(その意味で完全にシャレでやってる羽咋市って、ホントにえらい。嫌味ぬきで)。UFOがつくれるくらい進歩したら、もっと余裕のある生き方をして欲しいじゃない。この本では、みんなただのひま潰しと見物とイタズラにやってくるんだよ。
日本SF業界とはまったく離れたところで生まれた、発狂した傑作。UFOに乗ってやってくるのは白人帝国主義者たちだけれど、ここでお目にかかる「ヤプー」たちは、われわれ日本人の白人コンプレックスを極限にまでつきつめた、歪んだ自画像だ。UFOは(つまり自分たちでない存在は)、こちらの姿を映しだす鏡でもある。もっとも、この「家畜人ヤプー」みたいな鏡を見たいと思う人は、少なくともUFO信者にはおるまいね。
ギブスンは、「ニューロマンサー」以来、巨大コンピュータ・ネットワークのAIと、ブードゥーの神とが結び付いた、テクノ情報神秘主義を練りあげていった。「モナリザ」のラスト、AIは、ケンタウルス系の彼方に別のAI知性を発見する。このラストにがっかりした人も多い。が、こうした(今はやりの)テクノ神秘主義と、UFO信者のだらしない信仰との共通性を示した点では興味深い。眉にツバつけながら読むべし。
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