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現実の違和感とネットの自然

William Gibson IDORU書評

(American Book Jam 没原稿、1997 年)

山形浩生

要約: ギブスン新作『あいどる』は日本のおたく文化を味付けに、ガジェットをちりばめてネットと現実との相互浸食を描いた作品なのだが、あまりに謎のまま残されている部分が多すぎて、小説としてどうよ、という部分はかなりある。



 あの新しくも古ぼけた未来社会のイメージ、ハイテクが日常化して肉体化してしまった世界像の衝撃。それはこの『IDORU』への(あきらめまじりの)期待でもあった。凡百のSFの中で、ネットが単なる電話ごっこ以上の、一つの環境として説得力を持って描かれた作品はギブスンの処女長編『ニューロマンサー』が初めてだった。異様な管理社会、人工知能とコングロマリット企業群が人間など一切意に介さずに蠢く世界。もはや世界の主役が人間ではなくなってしまった世界。そういう新しい世界像よ再び、という期待。これは技術屋の期待でもあって、だから前作『バーチャルライト』の最初の書評をのせたのはコンピュータ雑誌 BYTE だった。インターネットがすでに先が見えてしまい、新しい可能性が見えてこない現在、だれしも次のビジョンを求めているのだ。

 が、この新作『IDORU』でギブスンはふたたび妙な形で期待を裏切ってくれたのだった。

 ガジェットは相変わらずいくらも登場する。仮想空間内に構築される、ネット版九龍城砦Hak Nam。ナノテクによる建築技術。日本趣味も相変わらず健在。登校拒否のおたく。官僚的ファンクラブ。タイトルが日本語の「アイドル」だというのは言うまでもない。が、そうしたテクノロジーやガジェットが、目新しいものとしては提出されない。薄汚れた日常の中の風景としてのみ存在しているのだ。

 本書で読むべきはそれだけである。ストーリーなどないも同然。ロックバンドLo/RezのメンバーRezが、実体のない電脳idoruレイと結婚を発表。 Rezのボディガードはこれを何かの陰謀だと考え、ネットをブラウズして何となく意味のある情報を拾い出せるレイニーを雇い、東京に招く。一方、ことの真相を確認すべく、シアトルのLo/Rezファンクラブからチアが東京に送り込まれる。そして偶然に空港で非合法ナノテクユニットを託され、おたく少年を通じてHak Namに入り込む。Rez、idoru、チア、レイニー、ナノテクユニット、それを求めるロシア人コンビナート、その全員が最後に東京湾岸のラブホテルに集結する。それだけ。集まってどうなるわけでもない。結婚の意思が確認され、ナノテクユニットで東京湾の人工島に何かを築くことが決まって終わり。

 わからない部分はあまりに多い。結局Rezは、idoruはなにを考えているのか。二人の「結婚」って何なのか。ロシア人コンビナートはどうなっているのか。偶然要素も多すぎる。チアが東京にきたのも偶然、ナノテクを手にしたのも偶然、 Hak Namに入れたのも偶然。クライマックスでは、主要登場人物が全員顔をあわせるけれど、なぜ? 全体を結びあわせる必然性はあまりに少ない。

 終わり方も物足りない。とりあえず何かが始まるお膳立てが整ったところで、この小説は終わってしまう。Rezとidoruが東京湾につくるという島とそこでの「生活」とはいかなるものなのか?  Hak Namの未来は? それにともなって人間世界はどうなるのか? 本当に読みたいのは、この先なのだ。

 だが、それは(まだ)問題にすべきではない。

 ギブスンは、時空間の雰囲気を体で感じさせる異様な才能を持っている。『ニューロマンサー』の電脳空間なども、テクノロジー云々よりはその空間的な感覚のために存在していた。今回描かれるのは、大震災を経てナノテクで急造された東京である。時差ボケの、奇妙な感覚。体の外側一枚から中に、麻痺した眠っているような、変な熱のこもった体が宿っていて、自分がその界面を漂っているような感じ。眠気と同時に、半日前には自分が地球の裏側を歩いていたことが実感として納得できず、まわりの光景や環境が変な非現実間をもって迫ってくる感じ。夜中に銀行のATMが閉まっているとか、まわりの人間が全部黒い髪をしているとか、妙なディテールが意識にひっかかかる感じ。それがすべて動員されて、この場所の違和感をもり立てる。

 そしてそれと対比される、懐かしく落ちつけるネットワーク内の世界。かつての電脳空間は、選民だけの世界だった。それがここでは、社会一般に浸透した風景となっている。仮想領域を「現実」として生きる人々、その世界の行動律と風景、そこでの機械と情報と人間のありかたについて、ギブスンは奇をてらうことなく、日常の風景として描き切っている。インターネット中毒とか「おたく」とかいうゴシップマスコミ式おもしろ半分の見下した書き方ではなく、自然であたりまえの世界として。

 現実が違和感を持ち、バーチャル空間が自然となる世界。しかもそれが万人にとってそうであるような世界。ギブスンがそのような世界を見事に描ききった。本書では、まだ何も始まっていない。すべてはこれから。そしてこれを読むわれわれにとっても、すべてはこれからだ。うまくいけば、この本はネットとあなたの関係を変える。それがいつか、この現実をも浸食せんことを。『あいどる』は(そしてギブスンは)そう語る。

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YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
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