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ことばをもみ消せ:ブライオン・ガイシンのテープ実験

山形浩生



 ブライオン・ガイシンは、一応は画家である。日本の書道とアラブの書道を組み合わせたと称する独特の絵はそれなりに面白く、最近はやりの3Dステレオグラムに似ていなくもない。近年では音楽よりも刺青で有名なジェネシス・P・オーリッジはガイシンの大ファンで、いつぞや来日の折りも「ブライオンの絵は、観ていると、そのまますっと中に入って行けるんだ」と、3Dステレオグラムで交差視ができる人の自慢話のようなことを言っていたから、案外両者の共通性は根深いのかもしれない。

 しかし大半の人間がかれを知っているのは、ウィリアム・バロウズに「文章は絵より五十年遅れている」と言って、カットアップを教えた人物としてであろう。また、もとローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズをモロッコのジャジュカ音楽に引き合わせたのもかれだ。ガイシンの音的な活動は、この「カットアップ」テープ版とモロッコのジャジュカ音楽の二本が柱である。ただし後者は、聴衆兼仲介者として関わっただけだが。

 一九五〇年、ガイシンは耳にしたジャジュカ音楽にほれこんで、モロッコに二十年以上住み続けた。かれの関心は、音楽自体と同時に、その魔術的な意味にもあった。ジャジュカ音楽は牧神信仰から発したものであり、悪魔払いにも使用されていたという。また、ジャジュカの村では、強い兄弟愛に結ばれた楽士(男)たちと家を守る女たちの間に断絶が存在した。彼女らは独自の隠語体系を持ち、独自の牧神向けの儀式をも持っていた。ホモであり、非常な女嫌いだったガイシンは、男たちの友愛と、男に隠れて何やら企む女たち、という考えに非常に説得力を感じたらしい。

 ジャジュカ音楽を録音したくてテープレコーダをいじるようになったのが、次のカットアップへのきっかけとなった。六〇年、パリに移ったガイシンはバロウズと再会し、同棲を始める。紙とハサミを使ったカットアップは、この頃ガイシンがバロウズに教えたものだ。もともと詩も音楽の一種であるべきだ、と考えていたガイシンは、モロッコとその音楽についての文を書きつつ、それをそのまま音楽化したくてカットアップしていったのだという。また、アフリカの語りや歌の持つ魔術性に惹かれていたかれは、それを西洋言語でも実践してみたかったらしい。やがて、これにテープレコーダをが応用される。

 カットアップ以外に、ガイシン考案の技法として「並べ替え詩」がある。n語の文の単語を並べ替えて別の文章をつくる、というものだ。同じ単語が複数使われていない限り、全部でn!通りの文(文法も何もないが)ができる(n=2なら2通り、n=3なら6通り、n=4なら24通り、n=5なら120通り……)。ガイシンは、これを全部並べたてる。正常な人間なら、3つめ以降は読む気もおこらない。これを他の音源と切り刻む(あるいはテープレコーダでこの並べ替えを行なう)というのが、ガイシンの試みである。

 ご想像の通り、これは聞かされて嬉しい代物ではない。かれのこの作品がBBCラジオで放送されたときは、史上二番目の不評をかったというが、まあ当然だろう。しかし、これによってかれは、「サウンド・ポエトリーの父」と呼ばれるようになった、という。「バロウズが紙とハサミを使ってやったことを、おれはテープレコーダで行なった」というのがガイシンの主張である。「こうすると、今まで聞いたこともないような音やことばが出てくるんだ」と。技術的な面では、バロウズのボーイフレンドだったイアン・サマーヴィルという技術者の貢献も大きかった。

 ガイシンの理論は、バロウズと非常によく似ている。人間の原罪とは、コミュニケーションである。コミュニケーション能力が発達しすぎたため、人間は自然から疎外されて、現在の八方塞がりに状況に陥ってしまった。コミュニケーションとはことばであり、しかも時間をこえてコミュニケートする能力、すなわち書きことばである。それはイブ(女)が創造されたときに始まった。したがって、ことばは女であり、女は罪であり、諸悪の根源である、と。テープによるカットアップで、ことばはもみ消される。並べ替えで、ことばが生の形であらわになってくる。新しい結びつきによって、新しいことばが生まれ、ことばが新しい世界の中に産み落とされるのだ、と。抽象絵画が絵の具そのものをオブジェ化したように、この試みはことばそのものをオブジェ化するのだ、と。

 で、これは有効だったのだろうか? ガイシンはそう思っていたし、バロウズも当時はそう考えていたようだ。しかし八十年代に入って、バロウズのほうは「テープレコーダなんか、作家にとっては何の役にも立たない。少なくともわたしにとっては」と述べている。これをかれの成長と見るか、単なるもうろくと見るかは意見がわかれる。

 一方のガイシンは、機械によることばの並べ替えの有効性を疑わなかった。もっとも、その実践はかなり以前に放棄していたが。終生女嫌いを通したかれが固執していたのは「コミュニケーション(=女)が原罪である」という考えだった。もちろんこれは、正しくも間違ってもいない。何を規範とするかで、罪の概念は変わってくるのだから。だが、コミュニケーションの否定によって、かれはますます厭世感を強めてゆく。愛もない、友情もない、あらゆる人間関係が否定され、一人虚空に取り残されるような、そんな世界観をつのらせてゆく。「自分はこの惑星に間違って配達されてきた」「この地球にわれわれがいるのは、さっさと立ち去るためだ」というガイシン。結局、自分のテープの試みによっても、ことば(運命)はもみ消されることもなく、世界はどうしようもないところまできてしまった。晩年のインタビューはそんな悲哀を漂わせている。かれが死んだのは八五年だったろうか、八七年だったろうか。ぼくはよく覚えていない。

参考文献)
Gysin, B. & Willson, T Here to Go: Planet R-101 (San Francisco: Re/Search, 1982)
Gysin, B. Brion Gysin Let The Mice In(West Glover, Vermont: Something Else Press, 1973)
Gysin, B., Burroughs, W. et al. Minutes to Go (Paris: 1960)
Gysin, B. & Burroughs, W. The Third Mind (New York: Viking,1975)

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