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週刊金曜日の取材はこんなものだった。


山形浩生



 週刊金曜日に、小谷・山形他裁判について「テクスチャル・ハラスメント」と称する記事が載った。その内容が単に小谷真理の最初の裁判訴状をそのまま述べただけで、山形やメディアワークス側のコメントは一切なし。とても一方的に見えたので、「あれはちゃんと山形のほうの話もきいたのか!」という疑問の声が一部であがっていた

 いやみなさん、ジャーナリストの良心を疑ってはいけません。一応ちゃんと取材はされたのです。ただ、山形の力不足で、ちゃんと採用されるようなまともな説得力あるコメントができなかっただけなのです。というわけで、記事を書いた長谷川清美氏の名誉を守るため、取材の全貌をここに明かしましょう! 彼女はこれだけ手間暇をかけて、うんとこさコメントをとって、その上で、敢えてそのすべてを黙殺し、小谷サイドの言い分だけで記事を書くという高度に政治的かつジャーナリスティックな判断を行ったわけでございます。もちろん、まったく使うつもりのない取材をする、というのはジャーナリストとしてどうかね、というのはあるのだが、彼女だって最初っから使わないつもりではなかったのでしょう。山形としても先方の取材意図を察して、「やっぱ女なんかダメだぁ」的なコメントをもっとたくさんすれば、いくらでも喜んで使っていただけたと思うのです。ひとえに山形の力不足と申せましょう……NOT!(古い)

 中身はほぼそのままだけれど、タグをつかってきれいにしてあげたり、あと、実際にメールを送るときには削除した部分も(ちょっとだけ)復活させてある。さらに個人名と、発行・発売の話のところも削った。なお、以下の内容は実際の記事にはむわったく反映されなかったのである。「記事内容の中立性を保つ上で山形さんのコメントはとても重要」だったはずなんだけれど、もちろん中立性より大事な処世術がこの世にはあるわけだ。

 見所をいくつか指摘しておくと、まず長谷川さんは、山形浩生が何者であるかについて、事前にまったく調べていない。すっごーい。週刊金曜日って、こんな人が書いてるわけだ。本多勝一はこれを知ってるのかな。「『女性』についてどう思いますか?」「共感についてどう思いますか?」とかいう紋切り型の質問や、失言ねらいの「良妻賢母で何をイメージするか」とか「女は楽してずるいと思ったことはあるか」といった質問の出し方があまりに見え見えで芸がないこと、さらにはこの人のきわめて変てこな「オタク」の定義(プロ集団、だって!)や、ネットワークや差別についての理解や考えの浅はかさも、おもしろいところ。

 一方で山形が変にまじめにいちいち答えてるのもおもしろいかも。結果的にはまったくの骨折り損だったけれど、少しはこちらの言い分もきいてくれそうだという淡い期待をもっていたらしい。甘いね。さらには、海馬で神経細胞がつくられているというような、とてもためになる事実もちりばめてあるので、まあ読んで損はしないだろう。

 以下、緑字は長谷川さんからのメール。黒字は山形のメール。あと、正確さを期するために、山形が書いたけど送るのを思いとどまった部分は赤字。これを復活させても、やりとりの模様が大きく変わるわけではないのがご理解いただけるだろう。きつい罵倒を控えただけなのだ。一応これでも、極端に気を悪くされないような配慮はしている……つもりだったけど、こうしてみるとほとんどしてないな。ま、いっか。あと、一括置換したときに、なぜか山形の返事の日付が消えちゃってるのだけれど、だいたい質問メールと同じ日かほぼ翌日には返事をしてるはず。)


From: 長谷川清美(週刊金曜日)
To: 山形浩生(被告人)
Subject: テクスチュアル・ハラスメント訴訟について
Date: Thu, 24 Dec 1998 01:25:16 +0900

山形 浩生様

拝啓、突然ご連絡差し上げるご無礼をお許し下さい。
この訴訟の件を『週間金曜日』で取り上げることになり、私が担当させていただく ことになりました。
暮れのお忙しい中、大変申し訳ありませんが、一時間程度で取材させていただけな いでしょうか?日程ですが、12/25(金)〜28(月)でご検討下されば幸いで すが、いずれにしてもご都合のよろしい日をご一報下さい。

(ぼくのメールが一本ぬけている。会うのはできない、メールで質問をくれれば、回答できる範囲で回答するよ、という返事をしている。この返事は、バングラデシュからの帰国直後だったので、12/27あたりに行っている。)

From: 長谷川清美(週刊金曜日)
To: 山形浩生(被告人)
Subject: ご連絡ありがとうございます
Date: Sun, 27 Dec 1998 11:59:13 +0900

山形様

お忙しい中返信下さり誠にありがとうございます。
それではメールで以下の通り、いくつかご質問させていただきたいと思います。 記事内容の中立性を保つ上で山形さんのコメントはとても重要ですので、何卒ご協 力の程よろしくお願いいたします。

  1. 「性差別主義者」とネットで自称されておりますが、本当にご自身をそう認めて らっしゃるのですか?
  2. 小谷さん、巽さんが築いてこられた領域についてどのように評価し、また山形さ んがお二人の守備範囲と差別化しておられるところは何ですか?
  3. ホームページの掲示板やチャットコーナーでのやりとりでトラブルが生じたこと はありませんか?
  4. 掲示板、チャットコーナーでコメントを発信する際、マスが相手であるということを意識しておられますか?
  5. 『オルタカルチャー日本版』は通常の出版社を通して発売され、読者は一般大衆 です。ご自身がお書きになった内容を真に受ける人がいるということを想定してい ましたか?(私は真に受けました)
  6. 「フェミニズム」についてどのようにお考えですか?
  7. 「良妻賢母」「男勝り」「魔性の女」についてそれぞれイメージすることを書いていただけますか。

以上、ご面倒をおかけしますが、率直なコメントいただきたく思います。
大変申し訳ありませんが、今日、明日中にご返答下さる様お願いいたします。 尚、コメント掲載の際はもちろん山形さんには再度ご連絡いたしますし、ご了承を 得たいと思います。

To: 長谷川清美(週刊金曜日)
From: 山形浩生(被告人)
Subject: Re: ご連絡ありがとうございます

At 11:59 98/12/27 +0900, you wrote:
> 1.「性差別主義者」とネットで自称されておりますが、本当にご自身をそう認めて
> らっしゃるのですか?

 男と女がまったく同じだとは思っていませんよ。ぼくは生理ってのがどんなものか知らないし、今後50年たっても知ることはないでしょうから。

 でもここでおっしゃっているのは「女なんかに……マッチョな性差別主義者」というやつのことでしょう。あの掲示板を読んでいる常連(特にぼくがだいじだと思っている優れた人たち)の多くは、小谷・巽がどんな主張をしているか知っているんです。だからあれは冗談でとおるし、冗談のつもりなのです。ぼくは性差別主義者ではなく、能力差別主義者なんです。

> 2.小谷さん、巽さんが築いてこられた領域についてどのように評価し、また山形さ
> んがお二人の守備範囲と差別化しておられるところは何ですか?

 二人の活動についてはぜんぜん評価していません。まずぼくは「文学」というのは学問だとは思っていないのです。少なくともいま行われているようなかたちでは。それについては
http://www.post1.com/home/hiyori13/cut/cut199807.html
http://www.post1.com/home/hiyori13/books/citylife.html
でちょっと書きましたので、ごらんいただければさいわいです。アニメ評論だののいわゆる「カルチュラル・スタディーズ」と称する代物にいたっては、いますぐ死んでよしって感じですか。問題のオルタカルチャーの文も、後ろ2/3ではそれに類することを書いたつもりです。したがってそこでなにをやろうと、評価もクソもありません。単にひまなのねー、と思うだけです。さらにそこで、少しはおもしろい読み物を提供してくれるならまだ拍手もしましょうが、読んでいてもつまんないです。

さらに、あの二人が特に何かを「築いた」とも思えません。他人がつくったできあいの概念を適当にごたまぜにしてるだけだと思います。まあ日本の外国文学研究と称するものは、大なり小なりそんなものかもしれませんが。

 ぼくはあの二人のいずれの活動とも、やってることはぜんぜん別なんです。ぼくは「文学研究」なんかしたことはありませんから。

> 3.ホームページの掲示板やチャットコーナーでのやりとりでトラブルが生じたこと
> はありませんか?

けんかになるくらいならしょっちゅうですよ。

> 4.掲示板、チャットコーナーでコメントを発信する際、マスが相手であるというこ
> とを意識しておられますか?

いいえ。マスが相手ではないからです。マスが見るかもしれないということは意識しています。しかし掲示板での発言はおおむね、そこでそれまで行われてきた議論や話題をある程度知っている人、というのを想定して行われています。これはぼくに限らず、ほぼあらゆる人が無意識にやっている想定です。そうでなければ、各種の一行コメントなんかは成立しません。

たとえていうなら、それは電車のなかでの会話のようなものだとお考えください。そりゃもちろん、まわりで聴いている人はいるかもしれないので、多少は気をつかう部分はあるでしょうが、基本はその会話をしている相手に向かってすべての発言は行われるんです。

> 5.『オルタカルチャー日本版』は通常の出版社を通して発売され、読者は一般大衆
> です。ご自身がお書きになった内容を真に受ける人がいるということを想定してい
> ましたか?(私は真に受けました)

本気では思っていませんでした。両者の文を読んで知っている人は、「わーきつい嫌み!」と思って喜ぶだろうとは思いました。さらに万が一真に受ける人がいても、まあ二人ともそれなりに名前は売れているので、いずれそういう鈍い人たちにも真相はわかるだろうと思いました(実際、長谷川さんはわかったわけでしょう)。現時点で小谷真理とか巽孝之とかを知らない人は、そういう領域に興味のない人たちがほとんどだろうとから、その人たちが真に受けても、影響は小さいとも思っていました。さらに、ぼくは両者の活動をぜんぜん評価していないので、たとえ誤解する人が出たところで実害はまったくないとおもっていた部分もあるのかもしれません。

> 6.「フェミニズム」についてどのようにお考えですか?

社会運動としてはとってもだいじなものだったと思っています。そして、女の社会進出という面で、かなり大きな成果をあげてきたと思います。日本ですら、雇用平等法みたいなものがまがりなりにもできた、という意味では(はいはい、その実際の運用面での問題はよーくわかってますよ)。
 でも昔からとてもむずかしい立場にたたされていた運動です。一つには、なにも旧体制下で女は一方的に損をしているわけではなくて、自分の生存を確保する手段としてはそれなりに有効だったわけです。さらにたとえば売春反対運動が風紀粛正運動と結びついて、かえって「女は家庭に」みたいな反動的な動きに使われるとか、ややこしい話はいくらでもありました。大きな目標がクリアされつつあるなかで、そういうむずかしさがどんどん大きくなってきていて、いまは運動としてとてもつらいところにきていますね。
 あといろいろな環境変化があって、そろそろ引き際を考えなくてはならない段階にきているんじゃないかと思います。これについては、今出ている『國文學』に書いていますので、お読みいただければさいわいです。

> 7.「良妻賢母」「男勝り」「魔性の女」についてそれぞれイメージすることを書い
> ていただけますか。

?? 特になにもイメージしないんですが。

From: 長谷川清美(週刊金曜日)
To: 山形浩生(被告人)
Subject: 回答ありがとうございます
Date: Mon, 28 Dec 1998 04:42:58 +0900

山形様

お疲れにもかかわらず、とても速やかにお答え下さり誠にありがとうございます。 再度申し訳ありませんが、さらに質問させていただきたいと思います。

  1. 実際に対面し相手の目を見ながらするコミュニケーションとネットでのコミュニ ケーションとでは、どちらが真実を多く語れると思いますか?対面する場合は当然 言語意外の表現も含みます。
  2. 山形さんが心地よいと感じるコミュニケーションのありかたについて
  3. 山形さんは「差別」をどんな風に定義していますか?
    因みに私は個々の違いをふまえ、互いにそれを認め、受け入れることをせず、自分 と異なるという理由で、排除していくことだと思います。と同時にそれに対して否 定的な感情が付随し、したがって「差別」はマイナスのイメージとして形成されて いる、と考えます。
  4. 山形さんにとって「女性」という人間はどんな存在ですか?



To: 長谷川清美(週刊金曜日)
From: 山形浩生(被告人)
At 04:42 98/12/28 +0900, you wrote:
> 1.実際に対面し相手の目を見ながらするコミュニケーションとネットでのコミュニ
> ケーションとでは、どちらが真実を多く語れると思いますか?対面する場合は当然
> 言語意外の表現も含みます。

おやおや、仮にもジャーナリストたる方(なんでしょう?)が「真実」などと いうものを信仰していらっしゃるとは。それにネットでだって、cu-see-meなん かで「目を見ながら」の話はできるんですよ。

しかし「ネット」というのは、長谷川さんは「文字ベースの」という意味でおっ しゃっているんだと愚考します。そりゃ対面して話したほうが落ち着く人もいれ ば、文字のほうが落ち着く人もいます。しかしそれは、27 歩ゆずって「真実」と いうものを認めたとしても、それとは何の関係もないことです。ある人は車が 好きで、ある人は電車が好きだというのと同じことで、慣れと嗜好の問題にすぎ ません。対面が得意な人は、単に演技がうまくてからだでウソをつくのがうまい 人かもしれないし、ネット/文の得意な人は、ぼくみたいに文でウソをつくのが うまいだけかもしれません。あなたのおっしゃる「真実」とは何の関係もないこ とです。

釈迦に説法でしょうが、真実なんかないですし、あるとしてもそれは、受け手の 側にあるのです。The truth is in the eye of the beholder. 人は結局は、自分 のききたい話だけを選択的にきくにすぎないのです。それがどんなメディアを通 してこようとも。ネットがいいとか、対面がいいとかいうのは、偏見であり先入観 にすぎません。

そういうことをマジで質問する人は、たぶんかなりバカなんだろうと思います。 もちろん長谷川さんは、これは冗談できいていらっしゃるんだと確信しております が。

> 2.山形さんが心地よいと感じるコミュニケーションのありかたについて

一方的に話をきいてもらえりゃうれしいですが、しかしコミュニケーションという のがそういうことではないのも知っております。コミュニケーションとは本質的に 不快なものだと思います。

> 3.山形さんは「差別」をどんな風に定義していますか?
> 因みに私は個々の違いをふまえ、互いにそれを認め、受け入れることをせず、自分
> と異なるという理由で、排除していくことだと思います。と同時にそれに対して否
> 定的な感情が付随し、したがって「差別」はマイナスのイメージとして形成されて
> いる、と考えます。

ぜんぜんちがうと思います。ぼくがある人を評して「こいつは仕事ができない、 ごくつぶしだ」といったら、それは相手のちがいを認めていないし受け入れても いないですが、悪い意味での差別ではないと思います。ダメなヤツはだめだし、 無能は無能です。長谷川さんは、それすら否定しようというんですか?

「互いに認め」とか「受け入れる」とか、口当たりのいいけれど、まったく無内容 なことばを平気で使える神経にはあきれます。もしよかったら、これを定義して いただけませんか? 世の中にいう「差別」話の多くは、能力のない人が自分の 能力のなさを一方的に認めないとか、受け入れないとかいうことから生じている ものだとぼくは思っています。アメリカで、どっかの不器用なデブが、バーガー キングのコーヒーをこぼしてやけどをして、デブに対する配慮がないからデブへ の差別だと称して訴訟をおこした例なんかまさにそれです。

ぼくは別に、いちいちことばを定義してからつかう習慣はありません。が、否定 的な意味での差別という場合、個体の差やパフォーマンスを無視して、ある集団 に対する社会的な先入観にもとづいて、処遇に差をつけることだと思うんですが。 社会的な先入観というのと、個体ではなく、集団に対する先入観、というのが差 別というのの決定的なポイントだと思います。それはマイナスです。ある集団 (たとえば血液型がA型の人)の知能指数の平均が低いとしても、それは目の前に いるこの個体の知能指数が低いということにはならん、というふうに考えていた だければおわかりだと思います。

ただし、それが具体的にあらわれるときには、個体に対する評価という形で 出てくるしかないのが、差別というはなしのむずかしさでしょう。今回の話でも、 ぼくは小谷真理と巽孝之いう個体に対して茶化しているつもりです。ところが、 先方はそれを、もっと集団的なものだととらえている。そこらへんに議論のずれ があるんじゃないでしょうか。

> 4.山形さんにとって「女性」という人間はどんな存在ですか?

????!!!!!?!?!?!?!ぼくは「女性」という人間なんて代物には 出会ったことはないです。

From: 長谷川清美(週刊金曜日)
To: 山形浩生(被告人)
Subject: メールありがとうございます
Date: Tue, 29 Dec 1998 21:45:16 +0900

山形様

とても具体的にお答え下さり感謝いたします。
山形さんはとても明晰な方で、また言葉を自由に操ることに長けておられる方とお 見受けいたします。辛辣な発言もありますが、とても興味深い内容で大変ありがた く思います。

ところで「差別」のことですが、山形さんは「評価」と「差別」を同じこととして お考えでしょうか。「評価する」=「差別する」、ではないと私は考えております 。
「評価」が「差別」につながるには、この間に別の変数が必要です。 「こいつは仕事ができない、ごくつぶしだ」ということ自体は単に「評価」であっ て「差別」ではありません。これが「差別」となるには、評価される客体に対して 、否定的な感情を抱き、彼なり彼女からこの場合仕事をとりあげるとか、解雇する または心理的にその相手を攻撃して辞職に追いやる、といったこと(私はこれを「 排除」と解釈します)が必要です。
ですから、山形さんがおっしゃる「処遇」の問題であると思いますが、社会的な「 差別問題」となるには、まず個人に対する処遇差が前提になければならないと思い ます。処遇に理不尽な差をつけられた個人が集り、集団を形成することで「処遇差 」が社会的な「差別問題」として認知されるのだと私は考えます。

「認める」「受け入れる」の定義ですが、「差別」の場合に限定して申し上げます 。この世の中に100%同じものなど存在しない、つまり異なるものの集まりです 。差異があることを前提に、人は他者と関係を築いていかなくてはならない。しか し、人間自分と異なるものと関係を築くには、まず相手の存在を肯定することから 始めなければならないはずです。逆に否定することは、関係性の構築を遮断し、「 排除」していくことにつながり、「差別」が生まれます。
相手の存在を肯定することが、「認める」ことであり「受け入れる」ことで、人と 関係性を築く上での要件だと私は思っています。

それでは、私からまた伺いますので、よろしくお願いいたします。

  1. 山形さんは人とのコミュニケーションは不快だとおっしゃておりますが、なぜで すか?
  2. 自分がいう言葉が相手にどう解釈されるか、ということを意識して人とコミュニ ケーションをとっていますか?
  3. 山形さんが「大事だと思っておられる優れた人達」とは、どのような方たちです か?またそこには生物学的な「女性」はいらっしゃいますか?
  4. 上記の方たちと山形さんとの共通理解や接点があればお聞かせ下さい。

To: 長谷川清美(週刊金曜日)
From: 山形浩生(被告人)
Subject: Re: メールありがとうございます

At 21:45 98/12/29 +0900, you wrote:
> ところで「差別」のことですが、山形さんは「評価」と「差別」を同じこととして
> お考えでしょうか。「評価する」=「差別する」、ではないと私は考えております。
> 「こいつは仕事ができない、ごくつぶしだ」ということ自体は単に「評価」であっ
> て「差別」ではありません。これが「差別」となるには、評価される客体に対し
> て 、否定的な感情を抱き、彼なり彼女からこの場合仕事をとりあげるとか、解雇す
> る または心理的にその相手を攻撃して辞職に追いやる、といったこと(私はこれ
> を「 排除」と解釈します)が必要です。
> ですから、山形さんがおっしゃる「処遇」の問題であると思いますが、社会的な「
> 差別問題」となるには、まず個人に対する処遇差が前提になければならないと思い
> ます。処遇に理不尽な差をつけられた個人が集り、集団を形成することで「処遇差
> 」が社会的な「差別問題」として認知されるのだと私は考えます。

いや、そこで「仕事ができないからこの業者は切るぞ」と思ったところで、それは 評価ですが差別だとは思いません。さらにその業者の仕事を切ったって、差別なんかじゃないです。使えない業者を切るのが、どうして差別なんですか。ばかばかしい。パフォーマンスのわるいやつを排除したって、差別でも何でもありません。そしてそいつらが徒党を組んだところで、社会的な差別問題なんかにゃなりません。ただの負け犬の遠吠えです(世の「自称」差別の多くはこれですが)。長谷川さん、ちゃんと考えてないでしょう。「排除」とかいうことばに過敏に反応してるだけでしょう。

 前のメールにも書いたように、差別というののには、個体 そのもののパフォーマンスを無視して、なにかその個体が属している集団に対する 先入観があること、さらにはその先入観が個人への評価より先に社会的に根付いている必要があると思い ます。この点は前のメールにも書いたとおりです。

たとえばぼくが、なんらかの理由で「納豆の好きなやつは人間じゃない、そんな やつとは仕事したくない」と思っていたとします。それは個人的な偏見と評価ですが、 差別というかどうかは議論のわかれるところではないでしょうか。それが社会的 に「女はどうだ」とか「外国人はどうだ」とかいう偏見になって、はじめて差別 とかいう話になるんだと思います。

したがって、社会的でない差別はありません。ぼくはそう理解しています。社会の マジョリティが行使する力が関係していないと、どんなものでも差別とはいいにく いんじゃないでしょうか。

ちなみに、ぼくは現実的な処遇の差につながらない評価なんかないと思っています。 評価しっぱなしでそれがなににも影響しないなんてことは、星占いでもない限りあり えないと思います。したがって、上で書いたようなポイントがなければ、評価と差別とを区別する境界はないと思います。

> 1.山形さんは人とのコミュニケーションは不快だとおっしゃておりますが、なぜで
> すか?

同じ意見の人が「そうですねー」「だよねー」「やっぱりねー」と言い合っている のは、コミュニケーションでもなんでもないんです。コミュニケーションは、自分 が最終的には変わることです。自分がいままで認めていなかったことを、認めざる をえない立場に追い込まれたりする体験がないものは、コミュニケーションではな いと思っています。
 これはいやなものです。不愉快です。ぼくだって完全にオープンじゃないし、 思いこみもあるんです。自分が正しいと思っていたいんです。口ではみんな、自分 に思いこみがなくてフェアであるかのような口をききますが、だれだってそうだと 思います。でも、そんなことはありません。ぼくにはぼくの偏見も思いこみもある んでしょう。だから「この野郎、なにいってやがる」と思いつつ、でもいろ いろ考えると反論の余地があまりなくて、なにもいえなくてひたすら悔しい、そ ういうものだと思います。
 でも、そういう場面こそ、ぼくが本当になにかわかったといえるときです。 半年たつと、あのとき本当におれは何かを新しく理解したんだな、とわかります。 やっぱり自分はまちがっていて、わかっていなかったんだな、と思います。それは 決して愉快な気分じゃないです。できれば、そんな体験は避けたいし、自分がず っと正しいと思っていたいです。
 でも、そうはいかないんです。だから、真の意味でのコミュニケーションは 不快だと思います。特に、その人にとって重要な分野であればあるほど、コミュニケーションは不愉快でしょう。経済の専門家に、ぼくが主張するような経済がらみの 論点を納得させるのは本当にむずかしいですし、ぼくにフリーソフトとかの分野でなにかを新たに納得させるのは、お互いにとてもフラストレーションのたまることだと思います。でも、だからといってそれを避けろってことではまったくありません。それに耐えられない人は、まあ長生きすればいいのです。

> 2.自分がいう言葉が相手にどう解釈されるか、ということを意識して人とコミュニ
> ケーションをとっていますか?

前のメールにも書いたとおり、人は自分の理解したいとおりにしか理解しないと 思います。だから、あまりそういうことは意識しません。というか、相手がどう いう人間かある程度わかっていれば、それにあわせてことばは選びますが、そう でない場合には、なにか特定の読者を想定してコミュニケーションを考えます。 それ以外の人がなにをどう解釈するかは、まったく意識していません。意識しよ うもないとおもいます。

ちなみに今回のネタについては、すでに小谷・巽の文を知っている人、特にかつて のSFファンダム時代から知っている人、というのがメインの想定読者でした。その 人たちは、ほぼこちらの想定どおりの理解をしています。それ以外の人については、 あまり真剣には考えていませんし、考えようもないと思っています。しかしそうい う人については、大した実害はないと思っていた、というのは前回書いたとおりで す。

> 3.山形さんが「大事だと思っておられる優れた人達」とは、どのような方たちです
> か?またそこには生物学的な「女性」はいらっしゃいますか?

山形のいっていることはおかしい、わからない、といってくれる人。ぼくのまったく 考えなかった視点を提供してくれる人。こっちが向こうの論点についてケチをつけた り、質問したりしたときにも、ちゃんと説明できる人。そして、考えがまとまらなか ったり、わかんなかったりするときに、ちゃんとそう認める勇気のある人たち。

 生物学的なメスはいます。三上晴子とか四方幸子、渡辺佐智恵なんかは、ほぼまち がいなくメスでしょう。ただし確認はしてませんが。
 ネット上の多くの人たちは、実際の生物学的な性別はわかりません。男っぽい名前 を使っている人も、実際はわかんないのです。ぼくだって、女性ペンネームを使う ことはよくあるんですよ。だから、女らしい名前だからって、女だろうとは思って ないのです。

> 4. 上記の方たちと山形さんとの共通理解や接点があればお聞かせ下さい。

前提と、そこから導かれることと、自分の思いこみとがきちんと区別できている こと、さらには自分と意見のちがう人がいても(そしてその矛先が自分に向けられ ても)すぐには怒らないこと、かもしれません。そして、つねに反証可能性を 意識していること、かな。「こういうことが証明されれば、自分がまちがっていた ことは認めよう」というのが常時あることでしょうかね。

From: 長谷川清美(週刊金曜日)
To: 山形浩生(被告人)
Subject: よいお年を
Date: Thu, 31 Dec 1998 00:49:10 +0900

山形様

なるほど、「社会的でない差別など存在しない」、確かにそうだと思います。 ただ集団に対する先入観は、その集団に属するの成員の共通特性に対する「評価」 がなければ形成されないと思います。そしてその集団に属さない人が、その集団を 「評価」する上で大きく作用してくるのが、社会的な規範なのではないでしょうか 。つまり個人に刷り込まれた社会的規範が先入観だと私は考えます。ではその社会 的規範は一体どのようにしてつくられるのか。それはその社会の教育、政治、文化 、あるいは優勢とされるイデオロギーに依拠している様に思います。

さて、また問いです。

  1. 山形さんは人と「共感する」ことに対してどうお考えですか?
  2. 山形さんは自分はいつも「正しい」と思っていたいとありましたが、確かにこれ は誰でも思うことかもしれませんし、私も同感です。ただここで山形さんがおっし ゃるコミュニケーションは「議論」のことでしょうか?だとすればコミュニケーシ ョンはいつも「勝ち」「負け」になりますよね。「勝ち」=「正しい」とする場合 、山形さんにとってコミュニケーションは常に「勝ち」続けなければいけないこと なのでしょうか?
  3. 山形さんが認める「優れた人たち」は、山形さんがおっしゃることの誤りを指摘 し、新たな視点を提供してくれる人、と解釈しましたが、これは山形さんにとって こういった方たちとのコミュニケーションは不快なことではないのですか?

ついに今年も今日限りとなってしまいました。暮れのお忙しい中、私におつきあい 下さり心よりお礼申し上げます。

To: 長谷川清美(週刊金曜日)
From: 山形浩生(被告人)
Subject: Re: よいお年を

At 00:49 98/12/31 +0900, you wrote:
> なるほど、「社会的でない差別など存在しない」、確かにそうだと思います。
> ただ集団に対する先入観は、その集団に属するの成員の共通特性に対する「評価」
> がなければ形成されないと思います。そしてその集団に属さない人が、その集団を
> 「評価」する上で大きく作用してくるのが、社会的な規範なのではないでしょうか
> 。つまり個人に刷り込まれた社会的規範が先入観だと私は考えます。ではその社会
> 的規範は一体どのようにしてつくられるのか。それはその社会の教育、政治、文化
> 、あるいは優勢とされるイデオロギーに依拠している様に思います。

ここでおっしゃっていることが堂々巡りになっていることにはお気づきでしょうか。

1)先入観は評価がないと存在しない。
2)評価は規範によってつくられる
3)社会的規範が先入観となる

したがってあまり意味のある文じゃないです。結局なにをおっしゃりたいのでしょうか。差別が社会的に優勢とされるイデオロギーから出てくるというだけなら、ぼくが前回までにお話しした差別に対する考えかたと、ほとんど同じだと思います。

ただし、それだけだとなにも言っていないに等しいと思います。たいがいの価値観ってのは、社会的に優勢とされるイデオロギーに影響されてますから。そして「差別」という考え方自体、別のイデオロギーの産物だというのはお忘れなく。

> 1.山形さんは人と「共感する」ことに対してどうお考えですか?

人との共感。それは、ぼくにとっては、光であり、同時に、闇である。 はたまた、登るべき高き山であり、同時に、落ちてはならない深い穴でもあります。 たとえていうならそれは、脳において密やかに神経細胞を産み出し続ける海馬のようなものかもしれませんし、あるいはこの世のすべてを結びつける瞬間接着剤にも似た存在といえましょう。大いなる神秘に対してぼくは言うべきことばをなにも持っていないというのが真相ではありますが、ただし最近はかなり市場も安定化してきておやすく手に入るようになってきたのも事実ですね。そろそろ来年あたり買い時だと思います。

> 2.山形さんは自分はいつも「正しい」と思っていたいとありましたが、確かにこれ
> は誰でも思うことかもしれませんし、私も同感です。ただここで山形さんがおっし
> ゃるコミュニケーションは「議論」のことでしょうか?だとすればコミュニケーシ
> ョンはいつも「勝ち」「負け」になりますよね。「勝ち」=「正しい」とする場合
> 、山形さんにとってコミュニケーションは常に「勝ち」続けなければいけないこと
> なのでしょうか?

なんでそうなるんですか。議論は勝ち負けでするもんじゃない。勝ちと正しいも ちがいます。そして、自分が正しいと思ってはいたいけれど、現実には自分が つねに正しくなんかないことだって知っています。

 あと、別にコミュニケーションがすべて議論だとは思ってないですよ。そりゃ「駅はどっちですか」「そこの角を右にいったところです」みたいな会話では、そんなことを考える必要もないんでしょうが、その程度では「コミュニケーションとはなんぞや」なんて気張ることもないでしょう。グルーミング的なコミュニケーションがあることも承知しているし、それが世の中のコミュニケーションの大半であることもわかっていますしてもいいですけど、そうなるとこんなメールでちょろちょろ書くくらいではすまなくなりますので。

> 3.山形さんが認める「優れた人たち」は、山形さんがおっしゃることの誤りを指摘
> し、新たな視点を提供してくれる人、と解釈しましたが、これは山形さんにとって
> こういった方たちとのコミュニケーションは不快なことではないのですか?

 不快なことも多いですよ。自分が正しくないことをあからさまに指摘されると 悔しいですもん。でも、その代償で得られるものも多いのです。
 もちろんこの連中とする話の多くは、「最近の『週刊金曜日』はトンデモオカルト化していてどうしようもないねえ」「そうだそうだ」的なものですから、いちいち不快になったりはしませんが。

From: 長谷川清美(週刊金曜日)
To: 山形浩生(被告人)
Subject: あけましておめでとうございます
Date: Sat, 2 Jan 1999 01:15:24 +0900

的確なご指摘ありがとうございます。新年早々から裁判がらみのメールになってし まいますが、どうかお許し下さい。
正直申し上げて、私としてはやはり実際にお会いしてお話を伺いたいところですが 、裁判中ゆえそうもいかないのはやむを得ないことかもしれません。
ご面倒をおかけしますが、引き続きよろしくお願いいたします。

  1. 山形さんご自身の翻訳や文筆業でのプロフィールをお聞かせ下さい。
  2. オンライン・コミュニティにおける公共圏についてどのようにお考えですか?
  3. 加藤秀一氏がネットで訴訟のコメントに「オタク共同体的馴れ合い根性の誘惑に一瞬でも甘えてしまった時点で、山形氏は物書きとしての失点も免れない」とありますが 、このコメントについてどう思いますか?またご自身を「オタク」だとお思いですか?


To: 長谷川清美(週刊金曜日)
From: 山形浩生(被告人)
Subject: Re: あけましておめでとうございます

At 01:15 99/01/02 +0900, you wrote:
> 1.山形さんご自身の翻訳や文筆業でのプロフィールをお聞かせ下さい。

………よくそれでジャーナリストがつとまりますねえ。これぐらい調べてください よー。いま出ている「クルーグマン教授の経済入門」(メディアワークス) の訳者紹介でも見てください。ぼくのホームページでだって、書いたものは いくらでも出ていますし。

> 2.オンライン・コミュニティにおける公共圏についてどのようにお考えですか?

頭で考えます。

……いや、この一連のメールでも何回か出てきましたが、「xxxについてどう 思いますか」だけでは、あまりに漠然としてなんとも答えられないのですわ。 いったいジャーナリストの方というのは、なにを期待してこういう質問をする のでしょうか。

> 3.加藤
> 秀一氏がネットで訴訟のコメントに「オタク共同体的馴れ合い根性の誘惑に一瞬で
> も甘えてしまった時点で、山形氏は物書きとしての失点も免れない」とありますが
> 、このコメントについてどう思いますか?またご自身を「オタク」だとお思いです
> か?

なるほどと思います。ぼくが想定読者をある程度しぼっているのを、ちゃんと 理解してくれていますね。あとは、その想定外の部分についてどこまで配慮す べきか、という話でしょう。加藤さんは、もっと配慮しろという立場ですね。

ぼくは加藤さんほどにはそう思っていないのです(が、いまは昔よりはそう 思っているかもしれませんけど)。お釈迦さんの蓮の花の説法(でしたっけ) みたいなもんです。摩か迦葉だけわかる、というのもあるのです。

おたくということばは人によっていろんな意味に使うのでなんとも言えません。 まあぼくにもいわゆるおたくっぽい部分もあるんじゃないですか。よくも悪くも。 「オタク」ってなんですか?

From: 長谷川清美(週刊金曜日)
To: 山形浩生(被告人)
Subject: 失礼いたしました
Date: Sun, 3 Jan 1999 17:44:09 +0900

山形さんが以前お送り下さったメールの中にあったホームページを見落としており ました。大変失礼いたしました。

「公共圏」についてお伺いしたのは、掲示板やチャットコーナーが「公共的」な言 論空間であるかどうか疑問を抱いていたからです。18世紀ヨーロッパにおけるコ ーヒーハウスやサロン、カフェが市民社会の世論を形成したように、今後インタネ ットメディアがコミュニケーションの場として、この機能を果たすのかどうか山形 さんのご意見をお聞きしたいと思います。また掲示板、チャットコーナーが「公的 空間」とするか、あるいは「私的空間」と捉えるかによって、インターネットメデ ィアでの言論活動の世論に与える影響力も大きく変わってくるはずです。今回の訴 訟も若干この問題に関与してくる様に思います。「公共圏」については、さらに議 論がなされるべき問題ではないでしょうか。

「オタク」の定義は難しいところでしょう。が、すっかり市民権を得ている言葉で す。山形さんが考える「オタク」とは何ですか?私からも聞きたいところですが、 先にあえていわせていただければ、「オタク」とは「プロフェッショナル」集団、 いわば「職人」 集団と私は認識しています。しかし「ミウチ」意識が強く排他的で閉鎖的、つまり 外に開かれておらず、その「ミウチ」にのみ安住しているプライドの高い人たちと 考えます。加藤秀一氏がコメントされていた「オタク共同体」、私も同感でまさに 「ムラ」的色彩が濃いです。山形さんが「想定読者を絞っている」という点で「ム ラ」社会の不文律を了解している人にだけわかればいい、あとの人は関係ないと解 釈でき、そこにメディアを通して発した言葉に対する責任感のなさと閉鎖性を感じ ました。また小谷・巽両氏に対して反論を表明したかったのであれば、あのような 諧謔的表現ではなく正面きった批評を書くことが、文筆家としてとるべき方法だっ たのではないでしょうか。

To: 長谷川清美(週刊金曜日)
From: 山形浩生(被告人)
Subject: Re: 失礼いたしました

At 17:44 99/01/03 +0900, you wrote:
> 山形さんが以前お送り下さったメールの中にあったホームページを見落としてお
> りました。

 そういう問題ですかぁ? ホームページなんかなくても、調べる手段はいくらだってあるではないですか。事前にぼくのことをいっさい調べてらっしゃらないわけですね。こういう取材をはじめる段階で、相手について少しリサーチしようとか思いつかないんですか? そんな手間すら惜しむとは、なんともお手軽でお気楽な商売ですね。いい気なもんだと思います。が、まあその程度の人が集う、その程度の世界もあるんでしょう。

> ットメディアがコミュニケーションの場として、この機能を果たすのかどうか山形
> さんのご意見をお聞きしたいと思います。また掲示板、チャットコーナーが「公的
> 空間」とするか、あるいは「私的空間」と捉えるかによって、インターネットメデ
> ィアでの言論活動の世論に与える影響力も大きく変わってくるはずです。

機能を果たすかどうかはわかりません。果たす部分も出てくるでしょう。

さらに、公的空間ととらえるか、私的空間ととらえるかは評論家やマスコ ミのただのレッテル貼りです。「世論」が、いちいち「これは公共かな、 私的かな」なんてことを考えたうえで形成されるとでも思っているんですか? 長谷川さん、あるいはぼくがそれをどう「とらえ」ようとも、世論に与える 影響力には何の差も起きません。

> 今回の訴
> 訟も若干この問題に関与してくる様に思います。「公共圏」については、さらに議
> 論がなされるべき問題ではないでしょうか。

訴訟とはまったく関係ないと思います。後者については、議論してどうするんです? なされなくても一向にかまわないと思います。個人的にはしないでほしいと思います。 そういう「議論」ってのは、どう転んでも「管理を強化しろ」という話にしかならな いのは見えてますから。

> 「ムラ」的色彩が濃いです。山形さんが「想定読者を絞っている」という点で「ム
> ラ」社会の不文律を了解している人にだけわかればいい、あとの人は関係ないと解
> 釈でき、そこにメディアを通して発した言葉に対する責任感のなさと閉鎖性を感じ
> ました。また小谷・巽両氏に対して反論を表明したかったのであれば、あのような
> 諧謔的表現ではなく正面きった批評を書くことが、文筆家としてとるべき方法だっ
> たのではないでしょうか。

あの文は別に小谷・巽についてどうこう言いたい文ではないのです。かれらは 前振りとして便利だっただけです。別に反論したいなんて思っちゃいませんよ。 文の導入部で冗談をいって読者を引き込みたかっただけです。

また、あらゆる文は想定読者を絞っているのですよ。長谷川さんはまさか、ご自分 の書いた文が老若男女ありとあらゆる人物にわけへだてなく読まれ、理解される とでも思ってるんですか? どんな文だって一定以上の予備知識を要求します。 ちがいますか? それは無責任でもなければ閉鎖的でもないです。

たとえていうなら、ぼくが料理の本を買わないからといって、料理の本は無責任 で「ムラ」的で閉鎖的ですか? 長谷川さんがウルドゥ語の本を読めないからと いって、ウルドゥ語の文を書くのは閉鎖的で無責任ですか? 納豆は閉鎖的で 無責任ですか?

もしそうだとおっしゃるのであれば、読者をしぼるぼくのやりかたも無責任 だとはいえるでしょう。が、その場合はなにが責任あるんですか?

あの本の場合、かなり明確に読者層はわかるのです。もとの英語の本があるし、 とりあげてる項目を見ても、どの年齢層のどんな関心を持った、どんな文に いちばん反応するかはわかります。そこにしぼった文章を書くのは、当然の ことです。むしろ、それをやらないことこそ、無責任でしょう。読者に対して も、そしてそのメディアに対しても。

 さらに、わかるだけが文章ではないのです。知らない人が読んで、とりあえず わかんなくてもおもしろがれる――そういう部分だって、特にああいう本では 必要なんです。それはまた、商品として売れる文、ということでもあります。 きまじめな「反論」だの「批評」だの「報道」だのをこむずかしく書いてみせ るだけがえらいわけじゃないんですよ。

したがってぼくのやり方は、特に無責任ではないと思います。また、長谷川さん がおっしゃっている「文筆家としてのあるべき方法」というのも見当はずれだ と思います。そんな目的の文ではないという意味でも、あの場の性格に対する 配慮という意味でも。

さて、おたくということばは、一応みんな使いますが、みんな言ってる意味が ちがいます。ただのマニアという意味で使う人もいるし、商品性ってことがわ かんないやつ、という意味で使う人もいるし、ある種のファッションスタイル をさして使う人もいるし、何かに熱中している人、という意味で使う人もいて、 誤解のもとなので、ぼくは滅多に使いません(たぶんこれまでいろいろ書いて きた中で、8回以上は使っていないと思いますし、使ったときもほかの人の引 用がほとんどだったと思います)。したがって定義もしていません。ことばは、 使う人が定義するものじゃないです。用途がそれを定義するんです。

しかし「プロフェッショナル集団」とはね。アイドルのパンチラ写真撮りに 熱中してるカメラ小僧どもは典型的な「おたく」ですが、あれがプロ、ですか? 長谷川さんの定義は、世間のいろんな使われ方から、ものすごぉぉぉぉぉく ずれていて、ほとんどまちがっていると言っていいと思います。

From: 長谷川清美(週刊金曜日)
To: 山形浩生(被告人)
Subject: 引き続きお願いいたします
Date: Mon, 4 Jan 1999 22:43:12 +0900

私の個人的な意見ですが、インターネットでのホームページも通常の出版物も公共 的であり、社会的なメディアだと思っています。
つまりそこで発する言葉は社会的倫理を常に問われることになります。
「倫理」という非常に抽象的で曖昧な言葉を使うと、もはや出口のない議論になっ てしまいますが、主観的にいわせていただくと、山形さんの表現は倫理に反したも のだと思います。

想定読者を絞って、そこに向けて言葉を発することは確かに無責任な行為ではあり ません。私がいいたいのは、その時に発する言葉の内容が重要で、倫理を問われる ものだということです。読者におもしろがられる文、売れる文だからといって倫理 を踏み外してしまったら、それに対する過失責任が問われてきましょう。

「オタク」に関しては私は職業を持つ人という、限定付きの説明です。 それを明示しなかったのは私の手落ちでした。

To: 長谷川清美(週刊金曜日)
From: 山形浩生(被告人)
Subject: Re: 引き続きお願いいたします

At 22:43 99/01/04 +0900, you wrote:
> 想定読者を絞って、そこに向けて言葉を発することは確かに無責任な行為ではあり
> ません。私がいいたいのは、その時に発する言葉の内容が重要で、倫理を問われる
> ものだということです。読者におもしろがられる文、売れる文だからといって倫理
> を踏み外してしまったら、それに対する過失責任が問われてきましょう。

 過失と認めていただけるのはうれしいです。先方はずっと、あれは過失じゃなくて 根深い周到な数千年にわたる女性差別の陰謀に基づく意図的なものだと主張なさって いるもので。

 さて今回のは、倫理まで持ち出してくるほどご大層な話なんでしょうか? もとの文に書いたことがほんとうか、と言われれば、はい、あれは確かにほんとうじゃ ないです。冗談だとしても、あまり感心しないことですね、といわれれば、まあその とおりです。そんだけのことでしょ? ただ、あまり感心しなくても、極悪非道の 人倫にもとるほどすごい話でしょうか。ぼくは、太っ腹な人なら笑って(あるいは まあ仏頂面くらいはするにしても)見逃すか、文句の電話の一本くらいですむ話だ ろうと思ってました。

 話が変にでかくなってますが、結局のところ問題になっているのは、2万部弱しか 出ていない、1600円の本(380ページほど)の、ほんの1行ほどの記述ですよ。経済波 及効果というものを考えると、本なんて乗数効果はぜんぜんないので、まあ大まけ にまけて仮に問題のページ全部が問題だとしても、1,600/380 x 20,000 で、影響は 8万円分くらいでしょう。もちろん、これだけで話ができるとは思っていませんが、 それでも社会的な影響のオーダー(桁数という意味での)を考えるとき、こういう 客観的な指標はだいじだと思います。しょせん、世間的な影響はこの程度のものな のです。

 それと、ときどきこの件についてみなさん誤解なさってることですが、別にこっち はその点についてまったく認めてないわけじゃないし、全面的に争おうとしてるわけ でもないんですよ。ページの差し替えはしたし(お金がかかるんですよ、あれは)、 謝罪文は出したし、何度も何度も和解の申し入れはしているですよ。上であげたよ うな社会的影響の分に、先方がおもしろくない思いをした分で、その数倍くらいと いうのが、常識的な線じゃないでしょうか。が、これは裁判で判断されることです。

 それに対して、それをまったく聞いてもくれず、「あの謝罪文も名誉毀損だ」と か「あれは女性差別だから、いままでの日本における女性差別の責任を山形たちが すべて負え」とかいう話が出てきて、それはさすがにおかしいんじゃない、という ことでこちらも反論しています。名誉毀損の部分だって、かれらは別に手も足も出 ない一方的にやられっぱなしでいるしかない立場じゃなくて、自分のメディアもも っていて、言いたいことは言える立場にあります。

> 「オタク」に関しては私は職業を持つ人という、限定付きの説明です。

まったく意味不明です。文法的にもめちゃくちゃだし、意味内容を好意的に 解釈しても、なにをいわんとしているのかわけわからんです。

From: 長谷川清美(週刊金曜日)
To: 山形浩生(被告人)
Subject: さらに続きます Date: Tue, 5 Jan 1999 23:55:38 +0900

「オタク」についてですが、「プロフェッショナル」集団、「職人」集団といった のは、仕事に対するプロ意識の高い人達のことを表したかったのです。ですから、 ここでいう「オタク」は、ある仕事をして、その対価としてお金をもらっている人 のみを対象にしています。

最後に伺います。
山形さんが過去あるいは現在で「どうして男だけこんなことさせられ、女はしなく ていいなんて不公平だ」と思ったことがおありですか。またそれはどんなことです か?

To: 長谷川清美(週刊金曜日)
From: 山形浩生(被告人)
Subject: Re: さらに続きます

At 23:55 99/01/05 +0900, you wrote:
> 「オタク」についてですが、「プロフェッショナル」集団、「職人」集団といった
> のは、仕事に対するプロ意識の高い人達のことを表したかったのです。ですから、
> ここでいう「オタク」は、ある仕事をして、その対価としてお金をもらっている人
> のみを対象にしています。

おたくをそんなふうなかたちで定義するような用例は見たことがありません。それ に近いような用法すら思い当たりません。記事中にこのことばをお使いになるのは やめておかれたほうが得策だと思いますよ。まったく読む人には理解されないと 思います。老婆心ながら。

> 最後に伺います。
> 山形さんが過去あるいは現在で「どうして男だけこんなことさせられ、女はしなく
> ていいなんて不公平だ」と思ったことがおありですか。またそれはどんなことです
> か?

やっと最後ですか。ありがたいです。で、特にありません。出産には興味あります。 生理は面倒そうでいやです。でも男だけ、というと、思いつきません。

というか、こんな質問って(これまでもいくつかありましたが)あまりに見え見え じゃないですか。まともにぼくが、期待なさってるような女性差別的な返事を書く とは、まさか思ってないんでしょう?

From: 長谷川清美(週刊金曜日)
To: 山形浩生(被告人)
Subject: またお願いです
Date: Wed, 6 Jan 1999 22:43:43 +0900

執拗なインタビューにもかかわらずお答え下さり、心よりお礼申し上げます。 本業である研究員と副業としての文筆家というダブルフェイスをあえて貫いていら っしゃるのは、何か理由があるのでしょうか?いずれにしてもずっとエリートを通 してこられ、これといった挫折体験もおありでないように思います。でもそれは第 三者にはわからないものかもしれませんが。

ところでもし差し支えなければ、そちらの弁護士の方へもインタビューさせていた だきたいのですが、ご連絡先をおしえて下さいませんでしょうか?

To: 長谷川清美(週刊金曜日)
From: 山形浩生(被告人)
Subject: Re: またお願いです

At 22:43 99/01/06 +0900, you wrote:
> 本業である研究員と副業としての文筆家というダブルフェイスをあえて貫いていら
> っしゃるのは、何か理由があるのでしょうか?いずれにしてもずっとエリートを通
> してこられ、これといった挫折体験もおありでないように思います。でもそれは第
> 三者にはわからないものかもしれませんが。

なりゆきで、ひまだから、というのがいちばん正確なお答えになるでしょうか。世の中にはテレビを見るよりおもしろいことがいっぱいあるのです。が、別にそれについて信念やポリシーがあるわけではないですよ。逆に長谷川さんはひまでひまで死にそうになったりしないんですか?

だいたいぼくの挫折に何の関係があるんですか? 「エリート」「挫折を知らない」――いやぁ、あきれるほどにできあいのお題目にのっかったおっしゃりよう。見も知らぬ(しかもどうせ自分のことを悪く書くであろう)ブンヤさんにホイホイ話すようなお気楽な挫折は、ええございませんとも。

> ところでもし差し支えなければ、そちらの弁護士の方へもインタビューさせて
> いただきたいのですが、ご連絡先をおしえて下さいませんでしょうか?

連絡をこちらからとることはめったにないので、わかりません。答弁書に書いてあるでしょうに。

From: 長谷川清美(週刊金曜日)
To: 山形浩生(被告人)
Subject: おはようございます Date: Sun, 10 Jan 1999 11:38:14 +0900

「最後」といっておきながら取材が続き誠に申し訳ありません。前言撤回させていただきます。
山形さんは『聖母エヴァンゲリオン』は裏で巽さんが手直ししていたと思っており ますか?
また巽さんのお書きになったものについて、なんでもよろしいので何かコメントを お聞かせ下さい。(以前メールで巽さん小谷さんのやっていらっしゃることは全く 評価していない、とのことでしたが)

それから「小谷真理という男の・・・・」で「男」という表現をとっていますが、 これについて小谷さんは主体を否定された女性差別的表現だと文学史の事例をあげ ておしゃっていますが、山形さんが女性差別的表現でないとする根拠は何でしょう か?
ただご理解いただきたいのは小谷さんは山形さんがこの表現をとったからといって 、山形さんの人格にまで及んで女性差別主義者だとはいっておりません。あくまで この一文に限定した言及です。

山形さんに伺うのもなんですが、メディアワークスの担当者は小谷さんが女性で あることはご存知だったのでしょうか?

ところでご質問についてですが、「ひまでひまでしょうがない時はありません。基 本的に起きている時はなにかしているか、何か考えているか、のどちらかで(ボー とするのも思索の時間と私は考えております。)そうでなければ寝ています。した がって「ひま」と認知することはないのです。

To: 長谷川清美(週刊金曜日)
From: 山形浩生(被告人)
Subject: Re: おはようございます

At 11:38 99/01/10 +0900, you wrote:
> 山形さんは『聖母エヴァンゲリオン』は裏で巽さんが手直ししていたと思っており
> ますか?

特にどうとも思ってないです。

> また巽さんのお書きになったものについて、なんでもよろしいので何かコメントを
> お聞かせ下さい。(以前メールで巽さん小谷さんのやっていらっしゃることは全く
> 評価していない、とのことでしたが)

前のメールのとおりですが。文学研究というとってもせまい、学問かどうかもわからない領域に閉じこもった文章だと思います。

> それから「小谷真理という男の・・・・」で「男」という表現をとっていますが、
> これについて小谷さんは主体を否定された女性差別的表現だと文学史の事例をあげ
> ておしゃっていますが、山形さんが女性差別的表現でないとする根拠は何でしょう
> か?

 ぼくがそう思って書いてないからです。
さらに人の主体は、だれかがどっかで一言書いたくらいで「否定」なんかされるもんじゃないです(金日成にききなさい)

文学史の事例ねえ。ビクトリア朝イギリスやウーマンリブ以前のアメリカでの事例 が、いまの日本の状況を裏付ける事例といえるのかどうか。昔は強い女性差別 的な環境があって、そのあらわれとして各種の発言があったわけです。主体が 否定されていたとしたら、それは社会環境がそれを全体として否定していたんで あって、一つの発言や記述がポンッと出てきて、それだけで主体が否定された わけじゃないです。

いまは、当時よりは各種のフェミニズム活動などのおかげで、女性差別は弱く なっています。そりゃまだまだ差別ははあります。しかし少しはましに なっている、というのはだれにも否定できないでしょう。

したがって、仮にいままったく同じ発言をしても、それはかつてとは社会的な 意味がちがうと思います。まして今回のは、女だから どうとか男だからどうとか言ってるわけではありません。

バックとなる環境の差を無視して、同じような発言だからビクトリア朝イギリス と同じ意味を持つ、といわんばかりの主張は、おかしいと思います。いずれ 完全な男女平等が実現されたとしたら、あんな表現は個人の嗜好レベルでしか 問題にならなくなるでしょう。環境がちがえば、ことばの意味合いもちがいます。

> ただご理解いただきたいのは小谷さんは山形さんがこの表現をとったからといって
> 、山形さんの人格にまで及んで女性差別主義者だとはいっておりません。あくまで
> この一文に限定した言及です。

 それはおかしいなあ。彼女のいままでの裁判での質問書や論点を見ると、 山形は女性差別主義者だ、というのを主張したがってるんですが。最初のご質問 の「マッチョな女性差別主義者」という記述がどうのとか、どっかで売春ページ を紹介したとか、そんな話をいっしょうけんめいしたがるのは、あの一文に限定 した話とは思えません。が、まあ法廷闘争の戦術というものもあるのでしょう。

> 山形さんに伺うのもなんですが、メディアワークスのご担当は小谷さんが女性で
> あることはご存知だったのでしょうか?

わかんないですよぅ、そんなことは。ぼくにきいてどうすんですか。でも編集者としてライターにはお詳しいので、知ってたんじゃないですか。

> ところでご質問についてですが、「ひまでひまでしょうがない時」はありません。

……いや、ご高説まことに感服つかまつりますが、あれはレトリック上のものでしかない質問でして、ぼくに限らずだれも別に本気で長谷川さんなどの時間の処し方に興味があるわけではありませんで、敢えて答えていただくには及ばなかったのですが。同じ答えるにしても、ぼくの挫折の話なんかきいてどうすんだ、などの、この取材の意図にかかわるほうをこたえていだだけんものでしたでしょうか。まあいいや。


……が、もちろん「つづく」なのである。


 さて、これで取材がすんで、2月半ばに問題の記事が出ました。まあ、一方的ではあるが、目新しさがまったくなくて無難な線だったとは思う。長谷川さんはお仕事がちゃんとすんだ。原稿料も(たぶん)もらった。小谷真理は、自分の主張だけがとりあげられて、とても満足だっただろう。そしてこの文書が出ることで、いろいろ誤解をなさっていた方たちも「そういうことか。ちゃんと取材はされてたんだね。でもこれじゃ山形の回答が反映されなくて当然だ」と理解してくれただろう。ぼくはまあ、他人の立場に理解を示さない偏屈ぶりが暴露されてアレだけれど、まあ社会勉強だ。というわけで八方めでたしめでたし……のはずだった。

 が、もちろんそうはならなかったのだ。ほっほっほ、世間を(週刊金曜日を)甘くみてはいけないよ。というわけで次回作「13日の金曜日 Part Deux: Jason's Revenge」に向けて、みんな怒濤のようになだれこむがよいのだ! See ya!

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