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帝国のボタ山

ブルース・スターリング (山形浩生/金沢由子訳)
 
 

 ロシアでは、五十年間の冷戦中に凍結されていたすべてが、破壊的な嵐で吹き飛ばされつつある。ロシア人たちは発狂寸前で、日常生活の機微ですら、エロチックなまでに緊迫してシュールだ。すべてが売り出し中。だれもが虎視眈々。国全体がマフィアの巣窟と化している。
 一方ミラ・プロスペクト通り沿いの経済達成展示会場では、マイクロソフト・ウィンドウズ・エキスポが開催中だ……


 一九九三年十二月四日。ぼくはルツニッキ総合競技場前の、巨大レーニン像の台座に立っている。ここは不成功に終わった一九八〇年モスクワオリンピック会場の一つだ。回りでは十二万五千人の群衆がうごめき、目を血走らせている。オリンピックは遠い昔。スタジアムのグランドは、いまや資本主義ノミの市会場と化している。

 モスクワの現在の共産党官僚は、レーニンのミイラを故郷の母親の隣に埋めようと計画しているが、もったいない。もっといい可能性があるのに。レーニンの頭と足に発電機をとりつければいいのだ。ロシアの現状に激怒して転げ回るレーニンの遺体は、チェルノブイリ級の発電能力を持つにちがいない。

 これは生の、一千万人都市のための、街レベルのガレージセールだ。総合競技場はすりの天国で、何ヘクタールにも広がった売り手・買い手の混沌に何か秩序があるとしても、頭を横に振るモスクワ警察はそれを執行していない。

 ロシアの行列は過去の物だと言われる。だが実は、行列はなくなっていない。形が変わっただけ。有名なロシア人買い物客の長蛇の列はいまでもルツニッキで続いている。ただしずっと高速で、統制は皆無。道ばたの行商人の群れは、折りたたみ式テーブルや安い小型手押し車で品物を商い、買い物客の高速な波に洗われている。足を引きずりよろけるロシア人の、果てしなくもがき苦しむ行列である。 

 モスクワ市警察は複合競技場の高い鉄柵の外に適度に控え、首都エリート暴動鎮圧隊のOMONが援助している。OMON隊員は迷彩服を着て分隊で歩き、自動小銃を背負っているが、やはり施設の中には入らない。ルツニッキ総合競技場には火災安全規則がない。避難の手順も定まっていない。おまけにそこらじゅうで焚き火がたかれ、目のところまで顔をおおったアゼルバイジャン人がラム肉のシシカバブを焼いている。

 気温は氷点下のはるか下だ。恐ろしいまでに使いこまれた総合競技場の公衆便所では、汚水が漏れて手首くらいの太さのつららとなっている。

 モスクワでは雪が降ったあとには道に砂をまく。けれど今日は砂を使わず、大型トラックで何台も灰色の細かい土をまいた。おかげでねばつく多量の黄かっ色のぬかるみができて、靴にはりつき、人が歩く所はどこにでも付いていく。その汚泥が競技場全体を覆い、人々のズボンの折り返しやコートのすそにはね、きしむ手押し車の車輪から滴る。

 大規模な商店は競技場の建物の中である。観客席の下の空洞めいた場所で、北風がさえぎられて少し暖かい。ここは買い物客の混雑がずっと激しく、品ぞろえもいい。間に合わせの二段組金属製ラックには、ツヤだし革ジャン。柄もののナイロン製ストッキングや真っ赤な下着、ビキニ姿のタレントや目つきの悪いヘビメタバンドの派手なポスター。便座、腕時計、ナイトガウン、サインペン、プラスチック製ハンガーの束。白いミンクの女たちが、香水を怖いほどの真剣さで試している。何百もの通行人が繰り返し突いたりひじで押す中、テーブルの自分の場所にしがみついている。詐欺師どもは、分厚い極彩色の超インフレ・エリツィンルーブルの束を数える。彼らはワイシャツや口紅や飛び出しナイフを積み上げたテーブルの後ろに陣取っている。

 大雑踏の中でよろめきながら一生懸命さがすが、ルツニッキではロシア製品をついぞ見かけない。

 競技場の裏手、ひどい雑踏から離れた外には、イタリア、フィンランド、スペイン、ドイツからの空き梱包が、ウッドストック級のゴミの山となっている。疲れた商人たちが西欧の木箱や段ボールをごみ用のドラム缶に詰め込んで燃やし、凍えた手を温めている。
 これは西欧のモールのがらくたによる、消費者のばか騒ぎだ。「火星からの侵略者」バーの勝利である。

 総合競技場の外でも、狂乱は止まらない。再び姿を変えるだけだ。今やいたるところにキヨスクがある。とどまるところを知らない街頭販売の急増にエリツィンが譲歩したのだ。キヨスクは公式には 1991 年に始まり、キノコのように一気に急増し、今はモスクワ中にある。パンのカビのように。プレハブのプラスチック製のキオスクは、アメリカ人の庭の小屋と同じぐらいのサイズと形で、モスクワの歩道に店を構えてコカコーラやハーシーチョコレートやマルボロの名を連呼している。まるで瀕死のロシア経済を、多量のニコチンやカフェインや白砂糖でジャンプ・スタートさせようとしているみたいだ。キヨスクのやり手たちは雑誌、香水、コンドーム、そして無数の輸入酒や海賊版ポップスのテープやビデオやソニーのウォークマン、生テープ、それに宗教のイコンを売っている。

 イコンはまさに不可思議な部分だ。イコンを扱うキヨスクは、光るギリシャ正教の十字架をのせた小さな玉ねぎ型のドーム状の屋根をつけている。聖遺物も売っている。商売は繁盛している。教会が戻ってきたのだ。一九一七年以前のすべてが帰ってきた。宮廷料理の本やロマノフ朝双頭の鷲、ツァーの秘密警察による偽造文書「シオン賢者の議定書」でさえ、母なるロシアで急増しつつある反ユダヤ主義者たちの間で飛ぶように売れている。エリツィンの、赤の広場の建築物への主だった貢献は、スターリンが壊したギリシャ正教教会の再建だ。細部にまでこだわって再建されている。その隣には巨大なキャンディー色の、パッケージから取りだしたばかりのクリスマスのおもちゃみたいなGUMストアがある。

 ロシアでは死者がよみがえった。青白いキリストは墓から現れて、資本主義の金貸しと平和協定を結んだのだ。


 ソフトウェア界のナポレオン、ビル・ゲイツは、ロシア侵略のために十五名の勇敢な部隊を送り込んだ。

 レニングラズキ・プロスペクトにあるマイクロソフト社のオフィスの家具調度は、アメリカのビジネスパークのどこにでもある、出来合いの支店のようだ。この土地のエントロピーに対するマイクロソフト社の勝利の真のすさまじさを認識するには、少し時間がかかる。一、二週間モスクワを観察してからマイクロソフト社本部にもどると、ちょっとした奇跡の中にいるようだ。天井の照明は明るいがやわらかく、ひとつ残らずついている! なかは静かで、本物の防音タイルには傷やヒビもなく、雨もりする屋根からの長い茶色のしみもない! デスクは人間工学採用、がたつき皆無! 椅子はきれいできしまず、モスクワの至る所にある、ばかでかいさびた南京錠も見当たらない。小さくて控えめなカード式のセキュリティボックスが、こぎれいにオフィスのドア枠に付いているだけだ。

 じゅうたんは靴底についたモスクワの黄かっ色の泥で汚れているが、どこにあるどんなオフィスも孤立してはいないのだ。ゲイツの、創造的で毅然としたマイクロソフトロシアのスタッフは、いずれスチーム掃除機を手に入れることにしている。もしもそんなものがモスクワで見つかればだが、見つからなければヘルシンキからヘリで空輸させるだろう。

 十一月二十九日から十二月二日まで、北モスクワのミラ・プロスペクト沿いにある経済達成展示会場2 の第四パビリオンで、マイクロソフト・ウィンドウズ・エキスポが開かれた。何十年間もこの場所は義務的な観光スポットで、政府が西側に対し、共産主義は西側を効率的な科学的社会主義の大量生産で埋め尽くすのだと説得するためにつくった、肥大し過ぎたポチョムキン村のようなものだ。

 この時代錯誤施設に、マイクロソフトロシアとエキスポの協賛社のPCマガジンロシア版は、雑誌の熱狂的な読者も含めた観客に向けて、コンピュータの祭典をもたらした。(PCマガジンロシア版は、扱う内容もアメリカ版より幅広く、発行部数七万三千のほとんどは、ロシアの熱心な非公式手渡しネットワークによって、それぞれ十二人以上に回し読みされている)。

 エキスポは有名なコスモスホールのガガーリンルームを、テクノ・ダンスクラブに変えた。今日CCCPはどこから見ても古代エジプトのイクナアトン王並に死んでいる。その近親たる弱体で病体のCISは、つくり話の美談のようなもので、誰も信じていない。「独立州の共同体」などないのである。「ロシア連邦」でさえ十中八九見せかけだ。真実は、ただのロシアだ――その国民が、史上最大級の失敗の犠牲者でもあり加害者でもあった、苛立つ民族国家――多かれ少なかれ敵意に満ちた旧共産主義諸国に取り囲まれた世界における、唯一の大国である。そして現在、第四パビリオンからの経済達成を一番声高に豪語しているのは、マイクロソフトのビル・ゲイツなのである。

 第四パビリオンの凍った正面玄関からの眺めは、社会主義リアリズム彫刻の叙事的建造物に占拠されている。世界的に有名なその彫刻は、「労働者とコルホージナ」として知られているが3 、コルホージナとは集団農場女性労働者のことだ。二つの像は高さ二十四メートル、重さ七十五トン。大粛正のさ中、一九三七年に建てられた。スターリンが三百万人の市民を皆殺しにした、血も凍る年だった。筋骨たくましい労働者は頭上にハンマーを掲げ、一方健康的なコルホージナはその隣でカマを勇敢に振り回している。二人は三階建ての石の台座から思い切って飛ぼうという体勢をとっている。真っ逆さまに空中を落ちるために。

 ウィンドウズ・エキスポで、六十二の出展者による四十三のブースを歩き回って、ぼくとその同行者は外の巨大な像をもっと近くで見ようと決めた。その同行者とはヴァレリー・ポノマリオフといい、長髪でチェーンスモーカーの十七歳、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンきちがいで、三か国語を話すモスクワ州立大学哲学専攻の学生である。ヴァレリーとはウィンドウズ・エキスポで会った。ヴァレリ−はコンピュータが好きなのだ。

 そのモニュメントの土台の後ろ側にドアがある。ドアはかつて鍵がかかっていたが、その鍵はこわされ、ドア自体にも、錆びによってマンホールのふたの半分ぐらい穴が開いている。そのみすぼらしいドアはまるでアッシャー家に建て付いているかのようにキイッと鳴って開いた。巨大モニュメントの土台の内側はうつろな三階分ぐらいの空洞で、照明がなく完璧に備品もなく、壁はむき出しのモルタルと崩れ掛けたレンガだ。そこはまるで麻薬中毒者のドラッグパーティサロンで、モルタルのくずや、浮浪者が雪からのがれるために広げた、小便のかかった段ボール箱が胸ぐらいの高さになっていた。

 「Smells like teen spirit(ティーン精神みたいな匂いだ)」(訳注:もちろんニルヴァーナ)とヴァレリーは顔をしかめて言った。なまりのある英語が墓のようなレンガの内側で反響した。この若きポノマリオフ氏、ヒップな若者なのだ。タータンチェックのシャツにはき古しのブーツ、引きずるようなダスターコートを着て、見かけはシアトルのグランジ・ロッカーと区別がつかない。

 狭くて長い鉄の階段が二本、レンガの土台の内側から像本体の足元に伸びている。階段はさびにやられて手すりがなくなっている。むろんぼくらはそれを登らずにはいられない。
 新鮮で凍るような風の中、モニュメントの雪をかぶった台座に出る。そこは巨大な社会主義合理性の見本のような靴の間で、そこにたくさん落書きが好き勝手に塗りたくられている。

 近くで見ると、輝く像は古ぼけたブリキを鋲で止めた継ぎはぎで、「オズの魔法使い」のブリキ男と大差ない。コルホージナのスカートのちょうど下の、戸惑うほどの位置に巨大な穴がある。内側のさびた桟が、婦人科的にのぞき見できるのだ。

 労働者とコルホージナはスターリンのおかかえ芸術家であるヴェラ・ムキーナの作品だ。後で大型で体裁の良い、同志ムキーナの公式作品集をモスクワの古本屋で見つけた。アメリカドルで八十セントという途方もない値段だった。この安い値段であっても、この本は興味本位ですら持っていたくない。ヴェラ・ムキーナの創造したアートは、すさまじく入念なまでに醜悪で、真の恐怖を喚起する。彫刻家自身は二重あごで目が近くて、彼女は、刑務所の女看守の替え玉みたいな女だった。

 アメリカ人にとって、ここの崩壊のひどさを十分に理解するのは難しい。けれどもこの像の運命は、しっかりとした手がかりを与えてくれる。この物体は神よりも大きく、この場所に六十年もあるが、全然誰も修繕をしていない。KGBの屠殺屋フェリックス・ザージンスキー像を嫌って自発的に取り壊したのとは大違いで、この像を取り壊そうとさえしていない。誰も気にしていない。過ぎたことなのだ。

 ロシアは内部からの自己嫌悪だけによって崩壊した国なのだ。占領軍という贅沢すら与えられずに占領された国だ。ソビエト連邦は撃ち殺されなかったし、爆撃されたり焼かれたりして降伏したのではない。自身の鉄の壁の内側から腐食していったのだ。今やソビエト連邦のなごりといえば、乾いた腐敗とモルタルのくず、そしてひどい悪臭のみ。


 第四パビリオンの内側にもどると、六十二の出展者が猛烈な産業取り引きを行っている。新しい、まだ発達段階のロシアの無数のソフトウェア会社やハードウェアのジョイントベンチャーや関連デジタル企業は、ロシアでのウィンドウズ登場を望んでいる。理由は二つある。第一にウィンドウズのユーザーは高価で高性能なマシンを持っていて、であるからかれらのソフトに実際に金を払ってくれるだけの懐があること。現在にいたるまで、ロシアではソフトに金を払うほうが珍しいのだ。第二に、この国の現在のコンピュータの基本OS――海賊版のDOS――は、少なくとも八百種のウィルスでぼろぼろなのである。

 エキスポの初日は入場者わずか四千人だったが、その中にモスクワテレビの一団がいた。次の日には一万人になり、汚い雪を踏み締めてきて、明るく照らされた広い通路の、初期的な産業の最良の部分の間をうろついた。そこには地元企業とジョイントベンチャーがある。1C、エイサー、オートグラッド、コンベルガ、インターコムサービス、カミ、メガコム、パラグラフ、スティープラー、ストイク、ヴィリタス、ジーマソフトがある。そして洗練された、商売のうまい外国の派遣団がいる。オートデスク、ボーランド、コンパック、ディジタル、インテル、ロータス、マイクロソフト、ゼロックス、サン。

 そしてアップルだ。強気のアップルは、マイクロソフト・ウィンドウズ・エキスポに飛び込み、永遠のライバルに戦争をしかけている。アップルはフーディニOSのデモを行なっている。相手は毛皮の帽子をかぶったロシアのハッカーや、超インフレのためルーブルの価値が急速に目減りして焦っている、こざっぱりとしたロシアの新米資本主義者たちから成る、大勢の熱心な観衆だ。アップルはロシアでは微々たる消え入りそうなシェアしかないが、地元のスタッフは若くで「なんでもできます」的クパティーノ精神5 にあふれている。彼らはアップルの「一九八四年」コマーシャル6 をロシア語吹き替えで流したばかりで、トラックの荷台から下ろすマッキントッシュはその場で飛ぶように売れてゆく。

 ラジオ101 のブースには、ジーンズ姿の野郎が二人。モスクワでは数少ない、私企業経営ラジオ局のひとつだ。ラジオ 101はロックを流している。ほとんどが西側のロックで、REM、ニルヴァーナ、U2などだが、忠実にも毎時間ごとに、ロシアのバンドも割り込ませる。アクアリアム、ブリガーダC、ノーチラス・ポンピリウス、マキーナ・ブレミーヤ、アリカ、キノなどだ。

 ヴァレリーのちょっと雑な通訳で、ぼくらはラジオ101のDJ兼トップ事件リポーターのキリル・カルヤンと言葉をかわす。キリルの番組はカーラジオで大ヒットしている。キリルはぶっきらぼうで心の暖かい一八〇センチ強の巨漢で、マイクを持ちレコーダーを腰に下げ、サギ師や闇商人や売り出し中のマフィアたちと闇酒場に出入りするのが好きなのだ。キリルの持っている紫のリュックには、予備のテープや放送リストや、事がやばくなった時用に、鋭い幅広の、木の柄の二十センチの狩猟ナイフが入っている。とは言っても、キリル・カルヤンにとって事がやばくなることはめったにない。キリルは街では有名人だし、それにとても口がたつ。それにキリルが喜々として話してくれたところでは、ロシアのギャングは自慢が大好きなのだ。ラジオ犯罪をおおっぴらに自慢するのはよくないとわかっているが、でもみんなが聞いているということで、つい話してしまうのだという。

 キリルに、モスクワのギャングでコンピュータを使っているやつがいるか尋ねる。いない。でも、ポケベルや携帯電話の大ファンだという。なぜラジオ101がウィンドウズ・エキスポにブースを出しているのか尋ねる。宣伝だよ、とかれ。コンピュータの広告主はたくさんお金を持っていて気前がよく、そしてラジオ101のマーケット――若者や流行に敏感な連中や新進気鋭(いろんな意味で)の連中――に関心があるのだ。

 キリルに、ウィンドウズ・エキスポ入場者に対する個人的見解を聞いてみる。キリルは喜々として肩をすぼめ、こんな無邪気で軟弱で金がありあまっていそうなヤッピー・オタクの群れは見たことがないとか、そんな意味のことを言った。とにかくいったんロシアの街のスラングが出てくると、われらが通訳の細いかけ橋は、すぐに曲がったりこわれたりしてしまうのだ。

 エキスポの裏手の講堂では、エスファー、エスマー、エスターそしてエステル・ダイソン等いろいろの名前で知られる比類なき著名人が、ロシア産業関係者とパネル討論会を行なっている。エスファー(ロシア人は外国の摩擦音「th」があまり得意でない)は見事に単純で直接的な、「ロシアでウィンドウズ・アプリケーションを開拓して売ってお金をもける方法」というようなトピックでパネルを開催するのが好みのようだ。

 彼女はロシア語をりゅうちょうに話すがあまり口を開かない。口調は激しくないし、よくあるカリスマ的でもなく、まして聴衆に熱弁も振るわない。でもよく耳を傾け、知的でポイントをついた質問をする。そしてパネリストたちをやさしく目下の話題に立ち返らせる。いったん興奮してスポットライトを浴びると、エスファーのロシア人パネリストたちはウィンドウズのマーケティングの秘訣からつい脱線してしまい、いきなり身振り手振りや、手を振ったり、形而上的な早口のおしゃべりに陥りがちだ。けれども、聴衆――六十名ほどだが、とても熱心で注意深い六十人――は、最後には有意義なことを学ぶ。

 ここの産業人はエスター・ダイソンを崇拝している。彼らは聖母のイコンのように、彼女の写真をオフィスの壁に飾っている。エステル・ダイソンがロシアで何をしているのか、正確に説明するのはむずかしいが、何にせよ、それが非常に有り難がられているのは確かだ。エスターは単にネットワークを作っているように見える。彼女は糸口を見つけて毛糸玉の中に戻して編みこみ、全体を満足させて啓蒙を行なっている。エスター・ダイソンは触媒的な人間だ。彼女自身は全然変わらないが、時間と熱さえあれば、彼女のまわりすべては完全に変える。

 エキスポが終りに近づき、人込みが引いて、人々がうなりをあげる多容量コンピュータをパビリオンの信じられないほど原始的で汚く気険な電源系から引き抜くころ、ぼくはデータベースを売るロシア企業1Cのブースの裏にいた。創設者で代表経営者ボリス・ヌラリエフ博士と、延々とおしゃべりをする。

 ヌラリエフ博士は英語がうまく、アルメニア産のましなブランデーを持っている。ぼくは予備のティーカップで、フロッピーの山とルーブルの札束に囲まれてブランデーをすする。そしてヌラリエフ博士は、いかにこの中年の数学者とソビエト政府官僚がソフトウェアビジネスに参入するに到ったのか説明してくれる。

 ヌラリエフ博士は以前、中央国家経済計画統計機関であるゴスコムスタットで働いていた。彼はデータベース設計をしていた。優れたデータベース、最先端のデータベース、プログラマーたちの無数の拍手喝采を浴び、革新的設計の役に立つデータベース。かれは誉め讃えられた。尊敬を集めた。そして誰も彼のデータベースを使わなかった。誰も。どこの機関も、だれ一人として。一度たりとも。

 この恐ろしい程の無視のため、ボリス・ヌラリエフ博士のプログラマー魂はブチ切れた。名誉のビロードに包まれたまま生殺しにされるような無益さには、もう耐えられなくなったのだ。かれは機関を辞職した。というより、機関を内側からねこそぎえぐり出したのだ。その機関の同僚や設備を用いて、副業企業をつくりあげ、最終的にそれを半民営企業としたのである。ヌラリエフ博士は自分のデータベースのひとつを書き換え、ロシア市場向けパソコン経理ソフトとして売り出した。

 製品は爆発的大成功をおさめた。今、かれの会社1Cは大繁盛しており、ロシアのコンピュータ企業のスターである。ヌラリエフ博士は一見不可能なことをやりとげた。中年の、決まり切った仕事のソビエト官僚から、生産的で成功した1990年代のソフトウェア界の大立て者に変身した。複雑な経理の分野を征服したかれは、小売りの分野に進出して、オンライン・データベースのサービスを提供しつつある。このエレクトロニクス市場を使えば、コンピュータを持っている小売業者や流通業者は、機能麻痺したロシア郵便や古くて雑音だらけの電話回線をバイパスして無視できるのだ。

 ヌラリエフ博士は商業的大成功をおさめている。かれは話の途中でため息をつき、灰色の口ひげをひねってブランデーをまた飲む。身なりのいい熱心な若手従業員が二人、ルーブルの束を持って現れ、ロシア語で短く激しい打ち合わせが行なわれる。スタッフの一人が乱雑な裏手でティーバッグかインスタントコーヒーを捜す。カフェインは残っていない。四日間のエキスポで、スタッフと大きな肩書きの客とでみんな飲んでしまったのだ。ぼくたちはブランデーの追加で我慢する。

 ヌラリエフ博士は突然アポロソユーズ計画の思い出話を始める。一九七〇年代の宇宙飛行士たちの顔合わせは、超大国の宇宙騎士たちが、無重力という同じ足場で平和に握手していて、ロシアにとっては象徴的な意味で根源的な重要性をもっていた。ロシア人はアポロソユーズ計画を非常に真剣に受け止めていたようだ。一種の確認、つまり普段はロシアをあからさまに嫌い恐れ、軽蔑している超大敵国からのめったにない勇敢なあいさつとして。

 アポロソユーズはロシアにとって圧倒的な文化的事件だった。アポロソユーズという名の公営たばこまである。この出来事は公営テレビで派手に放送された。ヌラリエフ博士はリポーターが宇宙飛行士たちに「人生で一番大切なことは何か」と尋ねた時の答えをはっきり覚えている。人間として、ソ連の宇宙飛行士たちは自分たちがパイロットだと言った。飛ぶために生まれてきた男、高性能の宇宙船や航空機の挑戦に応えるべく生きる人間だと明言した。

 けれどもアメリカの宇宙飛行士たちは、人生で一番大切なものは家族だと言った。

 ヌラリエフ博士は、その時はこの発言にとても当惑したそうだが、今はちがう。かれは市場が人を変えるのを、友人たちを変えるのを、その人生や心を変えるのを見てきた。もっと集中力を増し、競争力を高め、強気で計算高くなった。人生は今は戦いとなってしまった。商業的優位に立つための果てしない戦いだ。かつてヌラリエフ博士は、自分を第一に数学者でプログラマーだと思っていた。今は、家族が確かに人生で一番大切なものになったと言う。家族はヌラリエフ博士が、市場の恐ろしいプレッシャーから逃れる場所なのである。


 モスクワ中央北のペトロフスキー通りで、ぼくはバレエダンサーの家族と暮らしている。ミハイル“ミーシャ”アレクシーズとその十八歳の妻アンナ、二人のおばあちゃんのアイダとマダム・マリー。二人の都市放牧犬グレム、丸い目をしたならず者のザイカという年寄り猫。一家の母親ルドミラもバレリーナで、ポーランドにツアー中だ。
 アレクシーズ家には空き部屋がある。一家はツァー時代の貴族のタウンハウスを仕切り直したアパートに住んでいる。通りの二、三軒先は、チャイコフフスキーが昔作曲していたところだ。
 ミーシャはボリショイで下っ端だ。アンナは児童劇場で踊っていて、時々少人数だが鑑賞力のある観客であるモスコヴィット・ソフトウェアの幹部のために、御前舞台を行なう。アレクシーズ家はぼくを引き受けて二週間泊めてくれているが、それはぼくがお金を払っているではなく、ぼくがコネのある人々とコネがあるからだ。
 アンナとミーシャはプロのダンサーで、すばらしい姿勢の驚くほどに魅力的な夫婦だが、ぜんぜんわざとらしくなくて気取りがない。古ぼけたガスレンジでスープとソーセージを料理して、夜にはチェーンスモーカーのおばあちゃんとカラーテレビを見て、朝はパンとチーズを食べ、雪の中バレエ場に出かけ、そこで心ゆくまで踊る。
 知れば知るほど好きになる。そんな人たちなのだ。
 ミーシャとアンナは英語を話せない。ぼくはロシア語を話せない。ある夜遅く、キャベツの匂いのするストーブのそばで、ぼくらはロシアやアメリカの作家や作曲者の名前ばかりからなる、長い啓蒙的な会話をした。「スクリャービン!」「デューク・エリントン」「ジャック・ロンドン!」「ドフトエフスキー」「セオドア・ドライサー」「アンナ・アクマトヴァ!」
 ぼくは運よくアンナのバレエ団の、非公開演技を見た。円熟したプロが、その芸を目と鼻の先で披露するのを観るのは、驚くほど強烈な体験だ。
 演技は苦しみに満ちている。ある女が瀕死の白鳥を演じ、その青白い腕や手首が苦痛で羽ばたき、そして彼女が舞台に沈むと、美しくエロティックな背中には重量挙げの選手のように張り詰めた筋肉の束が見えた。モスコヴィット・ソフトウェアの人々――総勢十一人――は、激しく拍手かっさいした。
 一方、ドム・ロシイスコイ中央陸軍劇場のみすぼらしい飾りの外で、ロシアのお化けグマが見世物となってモスクワの通りを沸かせる。そのコンクリート製の爪はハイテクのセラミックへとわかれ、腐った黄色のキバは、割れにくいプラスチックへと変形し、パニックででかすんだ目は、企業のハーフミラーへと変わる。そして、その傷だらけの汚い古い毛皮は、光ファイバー毛皮のテカテカしたネットワークを生やすのだ。


 ある夜更け――十二月のロシアの夜はいつも更けているようだ。日没が四時半ぐらいで、しかも陽が沈むとすぐ真っ暗になるからだ――二人の見知らぬ人がペトロフスキー通りにあらわれる。口ひげをはやした二人のギャンブラーは、一人はマジックテープ留めアディダスをはき、もうひとりはへこんだ毛皮の帽子をかぶって、テリー・ギリアムの「未来世紀ブラジル」のセットから抜け出したかのようだ。この家の不調の湯沸かし器を直しにきたのだ。ミーシャは台所の椅子に登って、ぶら下がり電灯を問題の湯沸かしのほうに向けている。その間、ぼくは隅で野菜スープをすすっている。
 言葉が話せないと、人は静かで用心深く、ひどく頼りない、いわば六歳の大人になってしまう。ヒーターの古ぼけた栓からガスがもれる音が聞こえ、自称配管工は、お化けのような鋳物のペンチをつぶれた皮の小型かばんから出してそろえる。アンナとアイダとマダム・マリイは、それを楽しそうに興味深く見つめて勝手なアドバイスをする。バレエ一族が突如としてしろうとの天然ガスハッカーになったかのようだ。
 今にもあたりが炎に包まれるのではないかと思う。家庭内チェルノブイリ。
 でもそうはならなかった。少なくとも今回は。
 アメリカ人は、何もかもがちゃんと動くので、時間がありあまっている。アメリカ人は細かいことにこだわりすぎるのだ。


 モスクワの基本的都市インフラの荒廃の著しさと規模は、容易には信じ難い。まるでこの街は何十年もゼネストに苦しんできたかのようだ。そのゼネストと言っても、一部は非暴力闘争だが、しかし全面的ガンジー主義的社会主義非協力の、極端に断固としたキャンペーンだ。この衰退ぶりは、単なる無とんちゃくや無精や官僚的無能さをはるかに越えている。ほとんど衝動的な行動を偏執狂的に続けると、こうなるかもしれない。
 たとえば、廃棄ガスをもうもうと吐きだす巨大な旧軍用トラックが、モロにモスクワのビルに突っ込んだとしよう(よくあることだ)。そこそこのうちに誰かがやってきて、砕けた壁を直し、しっくいをぬり直す。しかもかなりまともな仕事をする。

 けれどの次のペンキ屋が来ない。もしくはすぐに来ても、なぜか自分の手持ちの色が間違っていると決めて、なぜか仕事を引き伸ばす。いつまでも。手直しの道具は全部その場所に残され、ポンペイのれんが工場のように後世に委ねられることとなる。

 モスクワは不完全な修理の仕事が、はしかのように無数に散在している。何かがいつの日かまともに動くかもしれないという、何千もの空約束だらけだが、実際には何もまともに動くことを許されていない。モスクワで角をちょっと曲がれば、「仮設」の足場が恒常的な足場と化して、くもの巣だらけで薄気味悪い姿をさらしている。一千万人都市の誰もが、何年間もいちべつもくれずにそこを通り過ぎる。だれの問題でもなく、神だけの問題だといわんばかり。その神も、他所で忙しい。

 この国では何十年もの間、現実の物質的充足を享受していた人々は四種類しかいなかった。第一のグループには時々本物の見返りがあった。魂皆無、公式声明を繰り返すだけの、党の忠実なアンドロイドとなって恥じることを知らないウジムシども。第二階層は本当の力や影響力を持っていた。軍やKGB、その他国家の犯罪の直接的共犯者たちだ。ブレジネフ時代には闇市商人もかなり儲けた。そして大胆な娼婦たちにも、それなりに派手な物品のわけまえがあった。

 けれども物質的ぜいたくは、そこどまりなのである。結果としてモスクワ市民は、貧困やむさくるしさこそがまっとうな人間性の証しであると考えるに到っている。ひび割れた天井、水もれする蛇口やうめいてきしむ蒸気暖房装置は、道徳的な完全さを示しているのだ。

 一方そのモスクワは、旧ソ連の他地域の人々のあこがれの都市なのだ。セント・ペテルブルグは例外かもしれないが、ロシアではモスクワ程度ですら最高の部類なのだ。しかも、モスクワで良いものは、結構ましだったりする。モスクワでは何もかもが腐食や衰退の傷跡を残しているし、それはあの鳴り物入りの地下鉄も例外ではないのだが、モスクワのどこをとっても、たとえばニューヨークのサウスブロンクスのような完全な荒廃ぶりからはほど遠い。同時にモスクワの多くの部分には、元気で魅力的な、ベッドメイクする前のような気楽さがある。基本的に学生の下宿屋や大学のきたない寮のようだ――ロマンティックで無頓着な若者世代が、身の回りの環境など気にかけずに生活した場所。モスクワのある部分は奥深く安っぽい魅力を持っているし、ある部分には本物の建築的な特色があり、ある部分には没落にむかう上流の甘い雰囲気がある。

 モスクワでは、何とかやっていけるのだ。その手段は必ずしも正式ではないかもしれないし、合法ですらないかもしれない。みんな大目に見てくれる。お金がなくても、誰かたばこをくれたりソーセージの固まりをくれたりするやつが必ずいる。

 べろべろに酔っ払うにはすばらしい都市だ。何かをひっくり返したり、ゲロをかけたりしても、みんな本気で怒ったりしない。損害はすぐに風景の一部となって溶け込んでしまう。
 その一方で、ホテル・メトロポールのように確かに違う所もある。豪華なレストランや動くエレベーターがあって、背の高いこざっぱりとした、小さな軍隊のようなガードマンがいる。メトロポールは清潔でエレガントで居心地がよく、外国の裕福さや外国的ふるまいにとっての要塞だ。メトロポールのドル商売の売春婦たちはきれいで7 、七〇年代アメリカの、コカイン好きのパーティガールのようだ。けれどもモスクワでは、メトロポールはひどく疎遠な場所だ。メトロポールは古い格式あるホテルなのだが、まるで清潔星人の宇宙船でモスクワに空輸され、ここに落ちてきたような感じだ。


 今日のロシア人の一部は、ロシアがアメリカの植民地と化しつつあると信じ、それを遺憾に思っている。でもそれはうそだ。ロシア人はそんなに幸運ではないのである。

 今日アメリカの街を歩いても、アメリカが冷戦に勝ったかとはわかるまい。だがモスクワの街では、十歩もいかないうちに、ロシア人が大戦争に負けたのだとわかる。それも派手に負けたのだと。

 もしアメリカの海軍憲兵があらゆる街角に立っていたら、ダクラス・マッカーサー将軍がロシア人戦犯を絞首刑にして、新憲法を口述したなら、この敗北はもっと個人的でわかりやすかっただろう。今、ロシア人が耐え忍んでいる、文化と経済の入念かつ完全な敗北過程よりずっと恐ろしくなかっただろう。

 五十年間の冷戦で固く凍りついていたロシアのすべてのものが、コカコーラやハンバーガーやポップスやチョコレートの圧倒的な嵐で、こなごなに吹き飛んでしまった。すべてが売り物。だれもが虎視眈々。犯罪と不正は道徳的不名誉など蹴倒して、日常生活に不可欠なものになっている。経済全体が、舞い散るほこりやウィルス細胞のように細かく壊れてしまった。その結果が、キヨスクや歩道に広げた毛布や、ビニールの買い物袋や車のトランクでの商売だ。余禄や裏での影響力に基づいて動いている経済であり、それがやっと、実際の交易手段として変化を遂げようとしているのだ。

 巨大公営企業はすべて崩壊しつつある。なぜなら、公営企業内で多少なりともまともな事業の才のある人間は、一人残らず国家経済の死体から私営商業領地を自分のために確保しつつあるからだ。巨大公営企業はエリツィンの超インフレの主原因である。ロシア通貨を大増刷して貨幣価値を暴落させずには、この絶望的銭うしないを、存命中だと偽装することすらできないのだ。

 いわゆるタクシーのサービスはもうない。乗車をしたいなら親指を歩道でつき出す。信用できそうな誰かがラダを止めてくれるたら、金の交渉をする。するとそいつは、行きたい所につれいていってくれる。そいつがマフィアでなければだが。マフィアだったら、連れ去られて突然車を止められ、ぶちのめされてポケットをくまなく捜されて、ドブに血まみれで置き去りにされる。

 今のロシア経済は、コネがすべてだ。取引の制限下における陰謀や、裏口配達からなるフラクタル風景、お忍び愛人手配を行なう大陸規模の売春宿なのである。国家権力は露骨にバカにされている。新しい法令や制限がお上から毎日のように発行され、現実の組織からは何の反対も受けぬまま、庶民の頭上を飛びこえていく。何でもありだ。ただし、すべての法律に従いながら生きのびるのは無理だけれど。不正は絶対免れられない。マフィアにとっては、これ以上ないくらい居心地いいお膳立てだ。

 この国全体が、基本的にマフィアの巣窟である。かつてのマルクス主義の上流階級ノーメンクラツーラと、現在のロシアの発生期の資本主義企業家と、本当のロシアマフィアの差は、威嚇と強制と権力をどれだけ喜々として使うかという程度の差でしかない。

 マフィアは東西南北、上から下までどこにでもいる。モスクワではマフィアは事件でも変わったものでも、不自然な一時的な迷惑でもない。マフィアは、社会で何かが行なわれるための必要条件なのだ。マフィアはまだ洗練されてはいないが、その必要もない。経済自体が洗練されていないからだ。モスクワのマフィアは、大体が単純な安全保証の自警団のようなものだ。アフガン帰りの兵を手下に使って、キヨスクでいっぱいの街区から上前一割をはねれば、ポケベルや携帯電話やメルセデスベンツが買えるわけだ。モスクワぐらいの大きさの都市だと、マフィア職員の車は疫病のでき物のように続々と発生する。

 モスクワのマフィアは普通の人々に恐怖心を吹き込む仕事をしている。そしてそれに成功している。大量殺人の必要はない。お互いに時々殺しあうが、サツや詐欺師だと儀礼的にさらしものにするのだ。レストランに飛び込んで、そいつの妻にワインをかけて、本人を外に引っ張り出し、血まみれになるまで顔を凍ったれんがにたたき付ける。たぶんそいつは後で金を払うのだろう。そして、傷が消えるまで何とかよい世間体を保とうとする。

 モスクワの職業的運転手やおかかえ運転手は、世界中のタクシーの運転手と同じく、情報通でコネがある。かれらはギャングによくゆすられている。もしも運転手が金を出さないと、殴られてトランクをこじ開けられ、中味を道にぶちまけられる。モスクワのほとんどすべてのドライバーは、トランクで闇商売をやっている。だからトランクをやるのは、キヨスクを略奪して火をつけるに等しい。これまたマフィアのお気に入りの手口だ。

 マフィアは当分ここにいるだろう。かれらには長期計画がある。最近マフィアの上層階級、つまり真の執行者たちが、銀行家たちを殺しに出ている一九九三年にロシア人銀行家三十七人が殺された。計画的な通りでの狙撃で、銀行家たちは自分のアパートの戸口で撃たれた。

 滞在中、銀行員たちは警察の保護の欠如に抗議して一日ストを行なった。銀行家のストライキなんて、あまり効果がない。ロシア警察は銀行家を心底嫌っている。ロシア警察は資本主義の狂気のど真ん中に生きている。しかしかれらは、それにゴマをすらなくてもいいのだ。アメリカでコカインが合法化されたとしたら、アメリカ警察は金持ちでこずるい麻薬ディーラーをどのくらい気に入るだろうか。ロシア警察の、金持ちでこずるいロシアの銀行家に対する好意もその程度のものだ。だからロシアマフィアはおおっぴらに銀行家を殺すのである。特に比較的正直な、マフィアの巨額なマネーロンダリングの企てをじゃまする銀行家を。

 これはロシア経済の基本的かつ根本的な支配権をめぐる、命掛けの争いなのだ。勝っているのはマフィアのようだ。多数の銀行家がすでにマフィアに加っている。マフィアの重鎮は、街角でマルボロをふかすチンピラではない。真のマフィアの重鎮はかつてのノーメンクラツーラや、元国家安全保障関係者で、「正当な利益」など考えたこともなく、金や服従を得る他の方法がある以上、考えるつもりすらない権力者たちである。

 モスクワの通りではまだいくつかの行列が見られる。ほとんどの行列は「オブメン・ヴァルータ」という奇妙な企業、もしくは通貨両替所の前だ。モスクワには二つの通貨がある。事実上の通貨であるアメリカドルと、エリツィンの取るに足りない変な金、ロシアルーブル。後者は月に 100パーセントの割合でインフレを起こしている。

 二重貨幣は二重経済を産む。外貨ショップは、ルーブルで買えるのと同じ品の値段を猛烈につり上げて、外国人に売りつけて搾取しようとしている。だからオブメン・ヴァルーラでは、ドルのみで買える輸入品を買うである。そしてまた戻って、ドルをルーブルに替え、食べ物やその他の政府補助金付きやロシア製の生活必需品を買う。このぜんぶの過程を、何百万のモスクワ市民が毎日いったり来たりしてどうにか切り抜ける。経済全体がくり返し、針の目のようなオブメン・ヴァルーラを通り抜ける。いったり来たりする量も増加し、恐ろしいスピードで政府の印刷機械はジャイロスコープのようにめまぐるしく回り、そして不自然な二重経済は内破する。

 全てまっさかさまに地獄に落ちるだろう。固い床板以外は。今日のロシア経済を支えているその固い床とは、アメリカ経済だ。ドル――勝ち誇る資本主義の敵の、全能の通貨――に対し、ロシア人の能力ではどうあがいても何の影響を及ぼすことができない。これは厳然たる事実だ。
 ロシアではドルは神で、その持ち主は王候貴族のように暮らせる。キャビアサンドイッチは一ドルで買える。ドルは完全武装のホテルや、野生のイノシシやチョウザメのローストの上を弦楽四重奏が流れる高価なレストランのドアを開けさせる。売春は蔓延している。そっちの方面が好きなら、アメリカの小物をボストンバッグに詰めておけば、美女が買い放題だ。

 モスクワ女にとっては、とんでもない時代だ。男女平等は旧体制の合言葉のひとつだった。実際にはろくに実行されていなかったのだが、ポストモダンのロシアでは、それが完全に否定されるに到った。今のロシアの女は、トラックの荷台に乗ってきた西洋の安い化粧品を買って、セックスアピールが自分の性に唯一残されたあてにできる物であるかのように化粧をする。モスクワはミンクやセーブルや、扇情的な下着や細いハイヒールやミニスカートや、太ももまであるビニール製ブーツであふれている。雑誌の棚にはエルやコスモスや西欧ファッション誌が輝いている。

 モスクワ女は死ぬほど着飾っている。モスクワで見た最初の本当に長い行列は、GUMストア(この名前はある不思議なキリル文字の頭文字を隠しているが)の前だった。ここには不思議で奇妙な行列ができており、殴られて踏み付けにされてもいいくらいの死ぬほどゴージャスな女が、少なくとも四十人は並んでいた。彼女たちはファッションショーでのモデルのウォーキングを見るべく、辛抱強く待っていたのだった。

 伝統的なニーナ・フルシチェヴァ的ファッションは、しゃがんでいてやぼったく、頭はスカーフでしばり、足首のあたりに国産ソーセージを詰め込んだ網の袋をぶら下げている、というものだがこれは過去のものだ。ニーナタイプがいなくなったのではなく、ただ変化したのだ。ニーナはパーマをかけてウールのベレーをかぶり、ベネトンのバッグを持ちきれいなサーモンピンクのオーバーを着て、突然、ニーナはバーバラ・ブッシュも真っ青の装いとなったのである。

 今のモスクワ女たちはパリジェンヌのようだ。ただ、本物より不安げで、もっと必死である。今日のモスクワ女は文句なく、十一世紀にわたるロシアの文化史上で一番セクシーかつ情熱的な女の子たちだ。しかし同時に、ロシアの人口増加率は一九九二年に十二パーセントも落ち込んだ。ロシアの女性の出生率は女性一人当たり1.4 人。2.16人だと、人口増加率 0なのである。この新しいヴィクトリアズ・シークレットの派手な衣装で、ロシアの女は将来に対して静かに大量な数の投票をしているのだ。

 現在ロシアでは人口千人につき出生率は10.7人だが、死亡率は12.2人である。保険衛生システムが崩れて、結核やジフテリアが驚異的に増えた。モスクワの水道には大腸菌が発生している。伝染しやすい原生動物で、腹痛や下痢の原因になる。

 年を取ったロシアの女性は特にすさまじく困窮している。年金の定額収入では、おままごとさえまかなえない。むごいマフィアの手口が最近登場してきた。詐欺師たちは賃貸のアパートに修理屋に変装して現れ、か弱く老いた女たちを「修理のため」追い立てるのだが、実は永久に追い出すのである。マフィアたちは鍵を換え、すぐに家賃を法外につり上げて仲間のチンピラに貴重なアパートを貸す。そして老女たちは、街頭のお慈悲に任されるのだ。

 警察は最近この手口を見破った。それでマフィアたちは目撃者を黙らせるために、単純に手のかかる老女たちを殺すようになった。誇張された怪談のようだが、人々はそれが実話だと言う。ペトロフスキー通りのおばあちゃんたちは、本気でアパート強盗をこわがっていて、知らない人には鉄のかんぬきつきのドアを絶対に開けなかった。

 年をとって身寄りのない者の生活において、確実なものはすべて崩壊してしまった。かれらは変化するには老い過ぎており、このポストモダンのロシアで果たすべき何の役割も残っていない。かれらが真剣に、三種類の国営産ソーセージや 5コペイクの補助金付トローリーや、共産党政策の不可侵の確実さを懐かしがるのも無理はない。保守派の好きなせりふだが、「スターリンは変わったこともしたが、死んだ時にはポケットには一銭だってなかったんだぜ」というわけ。

 スターリンはもちろん、金など特に必要なかった。かれは全国民を血まみれでポケットに突っ込んでいたからだ。しかし、金のない人々や、収入の見込みがない人々にとって、金に対する絶対的な必要性はそれ自体で大暴君なのである。


 オルタナティブのロシアにはおもしろい時である。モスクワのさまざまなボヘミアン連中は、西欧のヒッピータイプに対して確固たる優位に立っている。つまりかれらは、ここの国家体制によるグロテスクなまでの残酷さや、その完璧な崩壊とまったく関連していないので、西側の同世代の仲間たちよりも、道徳的政治的に真剣に受けとめられているのだ。

 レニングラードのスーパーグループ、アクアリウムのリードシンガーであるボリス・グレベンシコフのような人は、もしヒッピーが実際にペンタゴンを転覆させていたらボブ・ディランが担っていたはずの、道徳的な権威を持っている。モスクワの夜の軍団は、アルバット通りに生ギターと安いポートワインのびんを持って群れており、どこにでもいるヒッピーに似ているが、エリツィンはかれらに借りがある。モスクワのヒッピーたちは、一九九一年の不成功に終わったクーデターの時に、バリケードを作ったりかがり火をたいたりしたのだ。

 最近の議会との撃ちあいで、街のヒッピーたちはどちらの側にもつかなかった。大人数で集まったかれらは「戦争を見る」だけで、ポートワインヤウォッカをがぶ飲みしながらウクライナ産のハシシを吸い、エリツィンの戦車が反逆者を整然とつぶしていくのを見ていたが、あえて邪魔しようとはしなかった。

 モスクワには二つのアルバット通りがある。古いアルバットは古典的なつまらない通りで、半分は通貨両替所で半分は不法占居者向けの安食堂だ。そして新しくてもっと大きいアルバットはノヴィ・アルバットといって、かつてはカリーニナ・プロスペクトと呼ばれていた。
 ミハイル・カリーニンは、一九二三年から一九四六年までスターリン国家の名ばかりの指導者だった。カリーニンは臆病者で、妻をスターリンの粛正から守ることができず、だから不幸なカリーニン夫人は、目撃者の証言によると矯正収容所の奥深くで、「割れたメガネのレンズのかけらで、囚人服の縫い目からしらみを掻き出していた」そうだ。イェフトゥシェンコの忘れられない言葉である。カリーニン通りは今はなくなり、カリーニンを懐かしむ人はいない。一方で族たちは、毎年仲間を増し、態度も大きくなり、警察はかれらを逮捕したり、眼鏡を割ったりできなくなってきている。

 ボヘミアンの族たちにはさまざまな種類がある。まず「古株」たち。七〇年代初期の、いまや死に絶えたヤッピーである元祖ヒッピーだ。長髪でゆったりとジーンズをはき、マスコミやポップスで幅をきかせている。かなりの古株たちは金を持っている――少なくとも「ピオニール」という弟妹たちに比べるとであるが。これは公式の共産主義青年同盟のピオニールに対する嘲笑的パロディでつけた名だ。

 古株たちが地下でキヨスクに卸すポップスのテープをダビングしているので、街では幅をきかせているのは、ゴルバチョフ以降の子供たちであるピオニールたちだ。かれらは黒いインクで落書きをしたベルボトムジーンズ――クレーシャと呼ばれる――をはいている。またフェネチカという安っぽいトレードマークの、ガラスとプラスチックでできたバングルをしている。そしてたぶん西側の人間の目には一番奇妙なのが、首から下げたひもつきな小さな皮製貴重品袋だ。クシブニクといい、パスポート入れなのである。

 女ピオニールたちは、男仲間たちとお揃いの手縫いのヘッドバンドをして、ビートルズを生ギターで合唱したがる趣味もお揃いだが、黒いマニキュアで、大きな変な靴をはき、長くてかすかに異教的なイヤリングをつけている。

 ロシア人によるカウンターカルチャーへのユニークな貢献としては「システム・ヒッピー」がある。J・R・R・トールキンの熱狂的ファンたちで、いわばロシアの血とロシアの大地への自然回帰の神秘的イデオロギーを信奉している。ラスプーチンとホビットのニューエイジ版混血みたいなものだ。

 それから「ロケッツ」がいる。バイク少年たちで、でかい指輪とジッパーのついたジャケット、刺青にコンバットブーツ姿で、メタリカやアンスラックスやクリエーターなどヘヴィメタルマニアだ。メタリカがロシアのポップミュージック「市場」から正式に支払いを受けたことがあるのかは疑問だ。ロシアの「市場」とは、要するにうなりをあげる巨大な盗賊の巣窟のようなものだからだ。でも、ロシアの若い世代にたくさんのファンがいて、メタリカに仕え、あがめひれ伏しているのを知れば、メタリカも悪い気はするまい。キュアーやデペッシュモードや、そして小規模ながら、ロシアのテクノキッズたちの一派も同様だ。

 それから国産のロシアポップスファンがいる。グレベンシコフとそのバンドは古株たちの支持を受け、パンクは「アリカ」というバンド、それから最近死亡した「キノ」というバンドのビクター・ソイに対するパワフルなデスカルト。ソイは交通事故で死んだのだが、ニック・ケイヴのハードロック版みたいな陰気な男だった。かれは今やレノンやモリソンと共に、死んだポップスターによるロシア三聖人イコンの重要な一員だ。三人のうち、ソイのファンが一番熱狂的で、かれらはアルバットの横丁の壁二つを、自発的落書きによる記念碑に仕立ててしまった。

 残る大きなモスクワの若者のグループは「ゴポタ」といい、単数では「ゴプニック」だ。若きゴプニックはすぐ見分けがつく。好んで西側のプロスポーツジャケットを着ていて、特にシカゴ・ブルズのバスケットボールジャケットが好まれ、合わせて派手なしまの入った暗いナイロンスポーツパンツをはいている。そしてアディダスやリーボックのランニング・シューズをはく。夏には、つばのある野球帽をかぶり、いつも短くてこぎれいな切りそろえた髪をしている。

 ゴプニックは群れて歩く。犯罪者だからだ。ゴポタはギャング見習いなのだ。ゴプニックは普通ポケベルを持ち、アルバット通りのマリファナ漬けの、ロック歌詞朗読連中とは違い、いつもどこに行くのか分かっているようだ。

 ゴプニックのボスは同じ髪型で、ぱりっとしたビジネススーツを着て、派手な色の絹のネクタイをきっちり結び、革靴とロレックスを身につけている。時々金の指輪の指の下やロレックスの下の手首に刺青がある。外の歩道にメルセデスを止め、オートロックにセキュリティー警報付きの鍵をつけている。
 マフィアのボスのための若いゴポタの使いっぱしりは、最高におたくっぽい犯罪者たちだ。アメリカ人の感覚では、ボウリング好きの白人の少年の集団が、ナンパするためにバスケットボールの試合に出かけるところみたいだ。けれどモスクワのマクドナルドで(札束から金を払って)ダブルチーズバーガーをがつがつ食べているかれらを見ると、スポーツパンツに運動靴のこの男たちは、誰かを死ぬほどぶちのめしてすばやく現場を離れるのに、なかなか効率的な格好をしているのだとわかる。地下鉄で一人でいるとき、ゴポタ四、五人(たいてい四、五人なのだ)には会いたくないものだ。


 モスクワは、非公式団体やひそひそ話の秘密結社や裏取引の街である。そしてまた、ユーザグループの都市だ。公式団体はすべて国に登録されることになっていたので、政府と関係ない団体は、未だにちょっと非合法の香りがある。それにもかかわらず人々は集う。個人的に、そしてとても熱心に。何十年も、満足に食っていくためにはそうするしかなかったのだ。
 一番上にクレムリンの秘密主義勢力グループがある。その下にノーメンクラツーラ。続いてマフィアたち。そして反抗的グループだ。
 コンピュータの世界も同じこと。モスクワには「ソフトウェアマーケット協会」や、それよりもっと格式ばった「ロシアコンピューターシステム・ソフトウェア製造企業協会」のような初期的産業団体がある。最近ARFMCSSが設立され、これはスティーパー、エグザミナー、インターマイクロ、スティンズ・コーマン、テクノサーブ、カミ、クラスナヤ、ヴォルナなどの新生の急成長企業で構成され、「情報技術の文明的な市場を確立するという、共通の理念で組織され」ている。つまりはまともに機能するロシアのコンピュータやソフトウェアの市場、ということだ。本当に安全で予想できて、合法的な生活を営める市場だ。いつかそのリーダたちが、運さえよければ、王のように暮らせる市場だ。もしかれらが矯正収容所の中で、ラップトップスクリーンの破片でで服の縫い目からしらみを掻き出して終わらなかったら、である。
 それから「毛糸玉」連中がいる。かれらは「クラブOK (Club OK)」という場所に集まるが、これは中央モスクワ北のロシュデストベンスキー通りにある子供のコンピュータクラブだ。「クルボック(ClubOK)」はロシア語で「毛糸玉」で、アングロ系ロシア人のだじゃれが入っている。毎年約七十人のロシア人の子供がクラブOKに来て、年季の入ったアタリのコンピュータ群で、プログラミングの基礎を学んでいる。奉仕的精神のチェスチャンピオンのクレイ・カスパロフが寄付したマシンだ。この非営利企業は何年も続いていて、パラグラフ・コーポレーションとその経営者である社長のステファン・パチコフと、その精力的なやり手の弟ゲオルギー・“ジョージ”・パチコフに引き継がれた。ジョージは実践的で明解なビジョンを持ったカリスマ的な人物で、パラグラフ社の教育関連とマルチメディア・ソフト担当の副社長だ。ジョージは英語がうまく、カリフォルニアのサニーヴェールにあるパラグラフ社のオフィスに入り浸っている。

 子供たちは機械と長大な時間を過ごし、その経験には一ルーブルも払わなくていい。モスクワのコンピュータ産業の次世代のリーダーが出現するとすれば、それはたぶんここの子供たちの中から出るだろう。一方、クラブOKには、それ以外にもジョージの友人たちがいる。大人たちだ。毛糸玉のクラブは木曜の夜に集まってうわさ話をしてネットワークを作り、未来へと己れたちを起動させる。そして時々酒を飲む。

 毛糸玉に「リーダー」がいるとしたらたぶんジョージだが、議長の槌の音はないし、巡査の治安規則も、クラブメンバーの元気な糾弾による議員質問もない。毛糸玉のメンバーは産業ジャーナリストやプログラマーや、マーケッターや広報職で、全部で四〇名ほどだ。会に入る唯一の方法はコネで、そしてモスクワの産業界では、毛糸玉は知る価値のある人は全部知っている。たとえばかれらは全員エステル・ダイソンを知っているようだ。

 毛糸玉はクラブの中で、テーブル大の内輪のブックストアを開いている。プログラミング・マニュアルや、ビジネス書やSF雑誌を置いている。1ドル以下で、ぼくは一九九一年モスクワ発行の、「マーケティング」という便利な英露専門辞典を買った。この重い小冊子は次のような外国語に対応するロシア語を教えてくれる。"distributor"(distribyutor) 販売者、"dividend"(dividend)配当、"document"(dokyument) 文書、"dumping"(demping)ダンピング、などである。この調子で二百二十二ページ続く。

訳注:これはローマ字を単に同じ発音のロシア語っぽい表記に置き換えただけなので、実質的にはほとんどなんの意味もないわけ。

 モスクワには確かにハッカーの伝統がある。モスクワ人は金儲けは得意ではない。そういうのに必要な技能は、これまであまり需要がなかったからだ。だがモスクワの街には、風変わりな技術発明の例がいろいろある。たとえば五〇年代から六〇年代には、ロックやジャズのファンは、使い古しのレントゲンフィルムのセルロイドを使ってブートレッグレコードを作った。ラジオ・フリー・ヨーロッパの愛聴者たちは、公衆電話の受話器を切断して、盗んだマイクを違法のラジオ受信機に使っていた。地下出版物、もしくは個人印刷はもっとも抑圧的な状況で考えられるかぎり繁栄した。同様にそれより知られていない親戚筋の技術、magnitizdatまたは朗読テープの出版も。
 毛糸玉はハッカー集団と考えられている。正式なコンピュータ教育は受けていないが、実経験と事業家ネットワークを重視する連中。やり手で未来志向の産業パイオニアグループの企業家ネットワークで、アメリカでなら「統制貿易下の陰謀集団」とでも呼ばれるだろう。毛糸玉がロシアのハッカー文化の明るい面なら、陰の面はウィルスマニアだ。現在までのロシアのコンピュータ文化は、公然の著作権侵害、つまりフロッピーを通してマシンからマシンへデジタルの輸血をして生きのびてきた。最近パソコン通信サービスがたくさん出てきたが、電話のサービスはひいき目に見ても危なっかしく、長距離電話にはよほどの覚悟が必要だ。だから地方ではロシア人は、ごたまぜの供給元からバケツリレー式にまわってくる海賊版フロッピーを、一枚、また一枚と使いながら、デスクトップをコツコツと作り上げてゆく。そしてその結果、すばらしいほどたくさんのウィルスを繁殖させることとなる。
 ぼくはロシアのMS-DOSウィルスのフロッピーリストを見つけた。それぞれに簡潔な一行の説明がついていて、ウィンドウズ・エキスポでディアローグという会社が配っていた。PCマガジンロシア版のジョイントベンチャーであるジフ・デイビス社のコンピュータジャーナリストたちが、リストをプリントしてくれた。シングルスペースのキリル文字で、レーザープリンタを使って。六十四ページ目で紙が切れた。
 ウィルスは今のロシアにはものすごい量、たくさんの種類で存在する。ウィルスはロシアの内と外、世界中からやって来る。ウィーンというウィルスがあり、それの変種はロシア産と外国産をあわせて十九種類ある。カスケード(滝)は、スクリーン上の文字を滝のように落とし、スクリーンの下段に積み上げてしまう。エルサレムはイスラエルから到着する。そしてエディは、黒い復讐者という名で知られるへヴィメタファンの少年ブルガリア人ウィルス制作者の、邪悪な頭脳の産物である。ストーンド、サンデー、V-512、VRN-1536、ラブチャイルドがあり、ラブチャイルドはみずから「ソフトを盗むごほうびにラブチャイルド」と名のる。
 賛歌というウィルスは、今はなきソ連の公式国家を演奏する。SVCはニジニー・ノボゴロドというロシアの都市から来て、テューメンはテューメンから、キエフはキエフから、ミンスクはミンスクから、E-ブルグはエカテリンブルグから、スベルドロフはスベルドロフから、アンドリューシュカはペルムから、エストニアは新生独立エストニアからやって来た。
 アメーバは、どういうわけだかウィリアム・ブレイクを引用する。エイロニムは本当に奇妙で、ラテン語で聖ジェロームの神学論文を表示する。ディガーはスクリーンを逆さまにしてしまう。イーオンはドライブAの入り口から十ルーブル入れろと料金を請求する。十ルーブルは、最近では一セントの十分の八だが、イーオンはそれでも増え続けて、死にゆく通貨で狂ったようにジョークのわいろを要求し続ける。 
 そして単なる経済の衰弱では他のウィルスも止めることができない。ミュータント、データ犯罪、問題(これはあなたの問題)、フェニックス(死んでも生きろ!)、アドルフ、プラヴダ、テクノ−ラット1(「オデッサのブレイズ王」から)、ビール、やぎ、ファックス、ドラッグ、キゥイもしくは少女、ファイルを破壊するとっても悪い女の子。そしてもっとたくさん他にもある。
 ディミトリー・ニコラエヴィッチ・ロジンスキーは毛糸玉の友人だ。ウィルスを破壊して生計をたてている。彼はディアローグ・サイエンス社で働いている。ロシア語では「ディアローグ・ナウカ」。ロジンスキーはディアローグのためにエイズテストというプログラムを作った。ぼくがウィンドウズ・エキスポで見つけた、ロシアののウィルス八百種の解説も、かれが作ったものだ。
 十二月八日水曜日、ぼくと友人のヴァレリーはバビロバ通りのディアローグ・サイエンスに赴いた。ロジンスキー氏インタビューのためだ。


 ディミトリー・ロジンスキーはロシア最高のアンチ・ウィルス・エキスパートだ。アンダーグラウンドからは陰険なあいさつとして、かれの名前にちなんだウィルスがいくつか登場した。「ロジンスキー・ウィルス」のクローン変種たちだ。特にいやな性格の「損害」ウィルスは、「ロジンスキーこれでも食らえ!」と宣言する。ディアローグ・サイエンスは、このウィルスのアンダーグラウンドに対する明確な回答として、「コンピュータ世界をウィルスの攻撃から守る!」という断固とした決意を発表している。そして「我々のアンチ・ウィルス製品は、ロシアと旧ソ連のほとんどすべてのコンピュータでまちがいなく使用されている(ただし海賊版が多いが)」と公然と断言している。

 エイズテストは「ウィルス・ハンター」もしくは「V−ハンター」とも言われ、サブスクリプション・ウェアである。プログラム本体はただだが、定期アップデートは金を払った加入者に最初に送られる。もっと特殊な「ディアローグ・サイエンス アンチ・ウィルスセット」は市販されていて、「エイズテスト」や「高度ディスク情報観察」つまり「ADinf」が含まれている。エイズテストとADinfユーティリティはロシアでもっとも広く使われているアンチ・ウィルス・プログラムだ。大蔵省、モクスワ公立大学、国会事務局、それにコンピュータのなんたるかを知っている、ロシア警察の消えいりそうなほど小さな部分ですら、みんなエイズテストを使っている。

 そしてロジンスキーはその制作者である。

 ディミトリー・ロジンスキーは一九三九年モスクワに生まれた。グレーのパンツに茶色の靴をはき、ふかふかした学者っぽいセーターを着ている。髪はちぢれ毛で後退しかけ、悲しげで、すべてを見通すような茶色の目が金ぶちのメガネの奥にある。かれはディアローグ・ナウカビルに落ち着いたオフィスを持っている。そのビルはロシア国立科学アカデミーから企業が借りたもので、科学アカデミー自体はディアローグのジョイントベンチャーのスポンサーである。

 ロジンスキーは、ウィルス潰しの努力や困難について話す時、派手な誇張や無用な警鐘を一切行なわない。柔和な態度の学者で、数学者とてキャリアがあり、名刺の肩書きは単に「プログラマー」となっている。そして敵であるウィルスのアンダーグラウンドについての語り口は、怒りというより悲しみに満ちている。ロジンスキーは個人的に七百七十のウィルスを相手にしてきた。ロシアのコンピュータ企業カミのアンチ・ウィルス仲間たちは、約二千のウィルスをリストにしたそうだ。でも残りの千三百の変種はロシアのコンピュータ界にほとんど知られていなくて、学術的興味の対象にとどまる。

 一番悪質で破壊的なウィルスは、ロジンスキーに言わせるとあまり巧妙ではなく、一番プログラムしやすく、見つけるのも一番簡単だそうだ。巧みなウィルスはもっと始末が悪い。一般的に、一番の破壊的要素はウィルスが起こす直接的損害ではないとロジンスキーは言う。ウィルスの起こす一番の問題は、ウィルスが絶えず戻ってくることである。ウィルスはバックアップから、アーカイブから、スタッフがまったく気がつかずに持ちこむ感染ディスクから戻ってきて、数週間か何か月後にまたひょっこり顔を出す。そうなると、本当の仕事は停止してしまい、その感染源の追跡が何度も何度も繰り返されることとなる。きつくて疲れ、ストレスのたまる仕事だ。

 ロジンスキーは、ロシア国立科学アカデミーの間接的な援助を除いては、警察や他の政府組織からまるで援助を受けていない。産業内務省がホワイトカラー犯罪と脅迫を調べているが、ウィルス制作者を逮捕したり起訴したことは一度もない。

 五年間このいやな仕事をした後、ロジンスキーは明らかに(かつ公然と)飽きてしまった。もっと他のプログラミング、もっと革新的でやり甲斐があって創造的な仕事がしたいのだ。でもこの仕事は絶対に必要なのだ。そしてロジンスキーは疲れたようにほほえんで、ウィルスは絶えず増殖しているようなので、この戦いでの自分の役割は引退するまで続くだろうと言う。

 ロジンスキーは、ウィルス問題はロシアでは落ち着いたと思っている。ひどいし、この状態が続くだろうが、これ以上悪くはならない。ディミトリー・ニコレヴィッチ・ロジンスキーは砦を守っている。人生は続く。

 ディミトリー・ニコレヴィッチに、アメリカのコンピュータのユーザたちに何かメッセージはないかと尋ねた。ちょっと考えてから、かれは大まじめでこう言った。アメリカのプログラマーはいい仕事のチャンスがたくさんあって、時間と技術をいろいろ有効に使える。だからアメリカのプログラマーは、だれも貴重な時間をウィルスを作るのに費やしたりしないでほしい。

 ディアローグ・サイエンスのサイバネティクス研究所を離れて南モスクワのぬかるんだ通りに出ると、ヴァレリー・ポノマリオフはロジンスキーに会って大変心を動かされているようだった。この哲学専攻の学生は目を輝かせ、ロジンスキーは真のロシア科学インテリゲンツィアの見事な例だと言った。共産党員でもビジネスマンでもない。本当の学者だと。知的な人間。単なる雇われ人ではない。金や権力のためではなく、文明、文化のために仕事をしている男だと。

 ヴァレリーといた一週間は本当に勉強になった。なるほどアメリカ人の目から見れば、ヴァレリーはちょっと風変わりだった。たとえば百円ライターを逆さにしてテーブルにこすりつけ、火花を散らすのが好きだった。西側式の食堂では、コーヒー用ミルクの容器に穴をあけて中身を吸うのが好きだった10 。それに十七才の男の子でパンク・バンドでドラムをたたいているくせに、ロラン・バルトやフーコーやデリダに対し、高尚で完全に健康的とはいえない興味を示し、同様に手に入れにくく高価な「モンド2000」を、本当に熱狂的に信仰していた。

 でも、知的センスはよかった。いつかロジンスキーのような人になりたいと言ったかれには、ひたすらに幸運を祈りたい。


 ディミトリ・ニッコレヴィッチ・ロジンスキーが勤めるディアローグ・サイエンスは、アメリカ人から見て大変変わった企業である。「ディアローグ・サイエンス」とは何か、もしくは何をする会社なのか、どんなに尋ねてみても、だれも説明できないのだ。所在地はすぐに調べがついたが、けれど「ロシアとアメリカのジョイントベンチャーの系列組織」という以外には、「ダイアローグ・サイエンス」とは何なのだろう。事業計画は何か、何を売っているのか、どうやって経営をなりたたせているのか、尋ねる。だが質問自体、まるでピンとこないようだった。みんなたいへん親切で、明らかにプログラミングにはとても長けていた。そして協力してくれようとはするのだが、かれらの企業――というか何というか――は、なんだか知らないが、要するに、とにかく「ある」のだ。

 だがパラグラフ・インターナショナルでは、そんな概念的難しさは感じなかった。ぼくはパラグラフの、目だって見識の広い広報官のレオニード・マルコフにきびきびと社内を説明してもらった。マルコフは毛糸玉のメンバーで、かれの会社はアップル・ニュートンの手書き認識ソフトを作った。ニュートンの手書き認識は、ゲーリー・トルデューが漫画「ドゥーンズベリー」」で茶化したような、イマイチの出来ではあったが、ニュートン用のパラグラフのソフトは、手書き文書を既存のどのプログラムよりもよく認識することは否定できない。おまけに、このロシア製ソフトは外国語の文書も認識できるのだ。

 パラグラフの人々はアイディアとプロジェクトで沸き立っている。一九八八年に社長CEOステファン・パチコフが設立し、現在百十人がモスクワオフィスにおり、そしてカリフォルニアのサニービルの支社に三十人がいる。パラグラフはリアルタイム手書き認識ファックス、オフィスの壁規模の、電話回線につながった黒板を計画している。ボイスメール、音声認識、石油探索ソフト、そして巨大データベース。レーザープリンタ用キリル文字フォントで商売繁盛しており、そしてアラビア文字とヘブライ文字のフォントと手書き認識を手がけようとしている。インターネット、MCIメール、アップルリンクのアドレスも持っている。教材用ソフトやコンピュータゲームも扱っている。訪問者用襟バッジをホールで配っているパラグラフの警備員でさえ、みんな博士号を持っている。

 パラグラフは最近モスクワの高層ビルの上階に入った。モスクワのましな高層ビルのひとつだ。とはいえ、パラグラフは一流企業で大変上昇志向の会社だが、そこがモスクワ企業の哀しさである。パラグラフより二階階下の部屋が最近火事になり、ビルの外壁に大きな黒い跡が残ってしまった。それにビルの一階のロビーには、即席の菓子やたばこの小売店や、小規模の素人肉屋が集まっている。肉はかなりよさそうで、モスクワで見かけた肉の中では一番いい部類だったが、アルミの皿に載ったポークチョップや毛をむしった丸まんまの鳥やラムの足を見ながら、ロビーのソファに座っているのはちょっと居心地が悪い。

 パラグラフでぼくはアントン・チーゾフと会った。かれはロシアで初めてウィルスを作ったと称する人物だ。一九八六年、KGBはウィルス問題について調べるようにとチーゾフに依頼した。国防省が、KGBのコンピュータがウィルスの被害に会うかもしれないと心配したからだ。チーゾフは実験的なPCウィルスを作った。それはフロッピーの.comファイルを通じて増殖し、一年後に自動的に消滅するものだった。そのウィルスは害はなく、ただ増殖するだけだった。けれども一か月後チーゾフは、アクセスできるモスクワの四十五のすべてのPCを、自家製ウィルスが攻撃して征服しているのを発見し、びっくりした。かれはKGBに、確かにウィルスは大きな問題になりかねないと告げた。

 チーゾフはそれ以来ウィルスを作っていない。かれはアンチ・ウィルスの専門家として知られているが最近はその分野では活躍していない。チーゾフにはパラグラフで本物の仕事があるのだ。先進的なアルゴリズムをつくったり、プロジェクトに知恵を出し合ったり、金を稼いだりしなくてはならない。それに、ウィルス除去にはエイズテストがあって、これが立派に機能するではないか。

 パラグラフの人々は一生懸命働いている。きちんと食事をとっている。自分たちの仕事を信じ、またそうできる機会に感謝しているようだ。いい社員がいて、そのなかには最高で一番切れるトップランクのロシアの頭脳力がいる。マルクス主義のシンクタンクと国家アカデミーの経済的ブラックホールからついに現れた頭脳だ。かれらは他のロシアの創業者がうらやむような、世界的ソフトウェア市場と接触がある。かれらは一生懸命考えている。コードを書いている。いつか、多少の運さえあれば、大儲けするだろう。かれらも、その共同所有者であるコロラド州ボウルダー出身のアメリカ人不動産業者のロン・カッツも。


 アレクサンダー・カンはPCマガジンロシア版の出版者であり、この雑誌はウィンドウズ・エキスポ協賛だった。アメリカ版のPCマガジンが素っ気ない技術的な雑誌なのに対し、ロシア版は守備範囲がずっと広く、基本的にロシアの新生コンピュータ産業のすべてをカバーしている。

 カンはハンサムでこざっぱりとした黒髪の三十三才のペテルブルグ出身の男で、ニューヨーク市にある工科大学のコンピュータ科学の学位を持っている。毛糸玉の常連で、普通は「サーシャ」と呼ばれている。

 かれはコンサルタントや会議のスポンサー、ジャーナリスト、小売業、卸業、ロシアソフトウェア出版協会の委員を経て、今は出版者だ。だが「出版者」では、この業界でかれの果たしている役割の説明として不適説きわまりない。その活動範囲から見て、デジタル社会の活動家とでも理解したほうがいいかもしれない。ロシアの産業導師だ。

 サーシャ・カンと会ったのは、モスクワ中心部ゲルツェン通りのPCマガジンのオフィスでだった。狭くて古かったが、こぎれいでペンキを塗り替えたばかりで、すべてが作動していて、新しいパソコンや最新鋭ファックスや、ピカピカのPCマガジン最新号の山でびっしりだった。ソヴァム・テレポート・データネットワークと接続しており、以前はKGB専用だったイスクラ・データ・音声サービスとも接続している。通常の勤務時間をかなりまわっていたが、ネクタイにシャツ姿のPCマガジンの従業員はまだ働き回っていて、電話も鳴り止まなかった。

 カン自身のオフィスは、かれの雑誌の小売店を表す赤と白のPCマガジンのロゴがたくさん散らばった、旧ソ連の大きな地図が占領していた。

 サーシャ・カンに、ロシアのコンピュータ産業は、かれが見てきた過去三年でどう発展したか尋ねた。

 かれは完璧な英語で、業界は「より文明化」してきたと答えた。闇市場は下り坂だ。海賊版の問題は、人々がパッケージ・ソフトや登録や技術サポートの長所を理解してきたので、薄れつつある。ジョイントベンチャーが増えて、ロシア内外でのかれらの活動は前よりもよくかみ合っている。

 次の三年間の期待は? かれは顔を曇らせた。企業間の協力はもっと進み、一方新しい企業家や労働力がこの業界に参入し、急成長をとげる。けれどもそれに従って、初期のロシアコンピュータ産業はほぼ完全につぶれる。ロシアの国内コンピュータ製造企業があり(というか、あった)、国の援助で巨大なDECのクローンをつくっていた。もはや国のお化けPC VAX互換機もどきに対する消費者需要などないので、製造企業は完全に解体され、閉鎖され、無数の労働者は、解雇されるか、よくても人々が本当に欲しがっている機械を作っている工場のラインに再就職するのだ。

 よい面は、市場に対する理解が深まり、輸出入が自由化し関税戦略が生まれ、そして(たぶん)流通やテレコミュニケーション基盤が広がるだろう。現時点では、流通の未発達が産業発展の最大の障害だとサシャ・カンは考えている。
 現在ロシアでコンピュータが欲しいなら、メールオーダーはできない。無くなったり盗まれたりするのが怖いから、絶対に送らせるわけにはいかない。モスクワやペテルブルグやエカテリンブルグに行ってコンピュータを買い、自分でバッグに入れて持ち帰らなくてはならない。これではいけない。

 サーシャは、今世紀に残された数年における大きな問題として、グルビンカ、つまりロシアの奥地、辺境を挙げる。モスクワやペテルブルグでのコンピュータは、すでに白熱状態だ。何年間も学者の給料であくせくしていた技術層が、一夜にして億万長者になっている。事態はエカテリンブルグやノボシリビスクやキエフやアルマ・アタでも沸騰しつつある。
 けれどもロシアには十一もの標準時間帯があるのだ。成功したい人や、頭が良くて古いちりの上に新しい世界を作りたい人にとっては、ロシアはたくさんの余地がある。余地の他には何もない。すでにマイクロソフトやボーランドやロータスやシマンテックは、ロシアの最初のソフトウェア市場を作っている。ハードウェア分野では、エイサー、コンパック、ヒューレット・パッカード、それにIBMが活動しだした。カンはロシア企業のスティーパーやパースペクティブ・テクノロジーに注目している。

 ロシアには、大儲けの可能性がある。ばく大な、大陸サイズの大儲けだ。ロシアは冷戦で負けたが、世界制服の夢を、敗戦によって後の資本主義の繁栄と交換せざるを得なかった、終戦時のヨーロッパや日本の経済よりずっとよい状態だ。ロシアだって、資本主義的繁栄はまだまだ十分可能なのだ。でも、黙っていて実現されるわけではない。

 サーシャは、今一番必要なのは金でもベンチャー資本でもないと信じている。金はある。問題はその使い方だ。本当に欲しいのは基本的なノウハウだ。マーケティングの技術。新しいコンピュータ産業をうち建てるのに必要な基本的認識。カンはロシアでたくさんのアメリカ人と会いたがっている。もっとたくさん。誰にとっても、やりがいのあるいい仕事がたくさんある。


 サーシャ・カンは頭が良く、有能で適切でてきぱきとした、ロシアのサイバーヤッピーだ。十年前なら、サーシャのような人は単なる変人ではすまなかっただろう。そういうやつは化け物扱いされただろう。

 ロシアは化け物の生産に関しては非常に優秀である。ロシア人は奥深い創造力や素晴らしくほとばしる想像力に長け、またひどく極悪だったりする。

 そして一九九四年、ロシア人は落ちぶれている。ロシア人は自尊心を傷つけられている。自分たちの苦境を自分たち以外の誰のせいにもできないので、その恥はもっと痛烈で徹底的になっている。醜い秘密はすべて公表された。かれらは――敢えて見ようとする者は――自分たちの悪事のぞっとするような話を、何もかも知っている。レーニンの飢餓政策、スターリンの粛清や肉を砕く矯正収容所、ヒトラーとの恥ずべき協定、恐ろしいほどの規模の公害や農業破壊、原子力の恐怖、チェコスロバキア、アフガニスタン。魔女狩り、人非人、粛正、写真改変、そして歴史抹消。失われた歴史の信じがたい全貌が明るみに出された。もしアメリカで、カルヴィン・クーリッジ大統領の就任以降のすべてが耐えがたい一大犯罪だったということが暴露されたなら、たぶんこれに匹敵するものとなるだろう。

 ロシア人は、自分たちの政府が気難しく専制的で殺人好きだったのを知っていた。自分たちが働くときは、悪い結果をもたらすために働いているのであり、働くのを拒否して国が衰退するままにしておけば、一番困るのが自分たちとその子供だということもわかっていた。そして冷戦に負けたのも知っている。そして中には、もし万が一冷戦に勝っていたら、地球全体が自分たちの現状のように絶望的になっていたろうとわかっている人もいる。

 かれらはここ数年プライドを取り戻している。たとえば一九九一年のクーデターに対する勝利を誇りにしている。民衆として、銃口に屈してモスクワの通りにひざまずき、舗装上のブレジネフ主義凍ったヘドを食べるを拒否したことが誇らしいのだ。
 けれどもこれは回復中のアル中のようにもろいプライドだ。ロシアは七十年間にわたり、アル中の意識不明の暴行状態に等しい政治状況下にあった国家である。そして壁やカーテンが音をたてて崩れ、ポストモダンの資本主義が、かれらのふらついく文化めがけて二百万の口紅ギトギトピクセル化色彩の、高帯域メタル絶叫幻惑の一斉射撃を浴びせたわけだ。ロシア人たちは発狂寸前で、日常生活の機微ですら、エロチックなまでに緊迫してシュールだ。

 こんなことが続くわけがない。

 不可能である。それなのにこの国家――その名称は何であれ――は一九八六年以来、公式には「危機」と「過渡期」状態におかれてきたのだ。改革、開放は、手に負えず止められない。モスクワの日常生活の構造が、西側の技術と西側のポップ・カルチャーでとてつもない二重の衝撃をうけて、もがき変異するのを見ているのは極度に素晴らしい。不思議でこっけいで見苦しい、ポストモダン最大の見世物である。リップ・バン・ウィンクル11 がたたき起こされてほこりを落とされ、コロンの中に飛び込み、パソコンとビデオを与えられ、エイズ予防したフェラチオをされるのを見ているようだ。考えられるほとんどの社会は、このすさまじいレベルの未来の衝撃とストレスの下ではこわれてしまう。けれどもロシア人はもうすでに道を外れまくっているので、単に選択の余地がないのだ。今のロシア人のほとんどは、ロシアが「普通の国」になりさえしてくれれば、と思っているのだが、現在は千年期の終わりであり、誰にとっても「普通」などというものは残されていない。特にロシア人には。

 次に来るものを予想するのはむずかしい。二つの基本的なシナリオがあるようだ。まずひとつは、ロシア人は何とかうまく切り抜け、追いついてくるというものだ。頭のいいキヨスクの主人は雑貨屋チェーンを始めてる。石油輸出による現金収入は道路や橋やまともに動く電話のようなものに投資される。マフィアのマラリアのような霧は、社会のきたない部分に退却し、そして安定した資本主義の中流階級が確立する。その階層は、ウクライナ人を殺したり「投機家」や「暴利獲得者」壊滅をわめきたてる過激論者よりも、都市開発のような役に立つ活動に興味のある人間に投票するような層だ。ロシアの文学、音楽、映画、テレビは、弾丸ショックにあったようなタコ壺から徐々に復活。そしてロシアの人々はある種の合意に基づく現実を回復してくる。自分たちや国に何が起きているのかについての筋道の通った見解、危機は過ぎて人生は続き、再び子供を持って大丈夫という認識が身にしみてくる。過去の忌まわしい極悪非道とも折り合いを何とかつける。なんとか自分たちにとって意味のある未来を見つける。

 もうひとつのシナリオは、大陸規模でのユーゴスラビアだ。そしてこれも十分にありうるのである。少しでもロシアを去る可能性のあったロシア系ユダヤ人は、ほとんど全て国を出て久しい。残っているユダヤ人は理解しがたい献身的ロシア愛国者だ。というのはこの国には病的な反ユダヤ主義がはびこっているからだ。二〇世紀の一番激しい戦争で、反スラブ人種差別主義者の大量虐殺によって壊滅しかけたこの国に、今はスラブ人ネオナチがいる。人々がここまであっさり自己破壊的行動に走れるとは信じ難い。でもロシア人には、もはや信じるべきものがほとんど残されていないので、何かを信じずにはいられないだまされやすい人間は、有害思想を山ほど信じるなど朝飯前なのである。共産主義は失墜、社会主義は失墜、政府そのものが失墜、政治は失墜、正義も失墜、法と秩序も失墜、仕事や子供は失墜、そしていたるところ騒ぎばかり。人々は文無しでおびえ、完全に抑制のきかない大うず巻きの中に暮らしている。

 この事態をロシア人以外の誰かのせいにできたら、何とせいせいすることか。たとえばアゼルバイジャン人とかアルメニア人に。この二つの民族は最近、パスポート管理という見え透いた口実でモスクワから追い出されつつある。要するに、体のいいモスクワ版民族浄化だ。ロシア連邦は現在八割がロシア民族だ。民族的にきれいな「連邦」のひとつで、けれども残りの二割は心配する正当な理由がある。

 かれらはアメリカ人には手を出すまい。いまやそうする理由がないからだ。ロシア人にとって、アメリカ人と争うべき理由はない。そもそも、ロシア人とアメリカ人は、実際に戦ったことはほとんどなかった。五十年間、お互いを丸焼きにしてやると脅しあうだけで満足していたのだ。ロシア人とアメリカ人の間には感情的憎悪はない。民族的な深い恨みもない。資本主義対共産主義は思想的経済的闘争で、ポグロム(ユダヤ人虐殺)は思想的でも経済的でもない。虐殺はリンチ殺人や村を取りつぶしたりkrisitalnachtや外国人の女子供の謀殺を含む感情的な喜びだ。「ポグロム」(ユダヤ人虐殺)という言葉はロシア語から英語への贈り物のひとつだ。そして「民族浄化」を辞書に載せたセルビア人は、ロシアでは公然と賛美されている。ウラジミール・ジリノフスキーは、ぼくがロシアを離れてすぐ議会に選ばれたが、ただちにセルビア人を「正統なる同胞」と宣言した。セルビア人は、かれらが忙しくモルタルで塗り込めつつある、小うるさい少数民族どもから断固として守られるべきだ、と言うのである。

 ジリノフスキーの言い回し――アラスカを併合しろとか、「犯罪者」を千人単位で銃殺しろとか、新聞を休刊させ、金髪碧眼のスラブ人以外をロシアのテレビに出すなとか――はみんなたちの悪い風刺のようだ。しかしながら、ジリノフスキーこそはたぶんロシア人がロシアの権力の座につけたい人間なのだろう。普通のロシア人がつぶやくだけのことを、ジリノフスキーは広言するのだ。みんなジリノフスキーが好きで、かれの度胸に感服している。かれは大衆を動かせるし、刺激的だ。たとえばイゴール・ガイダールよりずっと刺激的だ。ガイダールはエリツィンの驚くべき自爆経済の前立案者で、カリスマ性なしの不気味なテクノクラートであり、誰にも理解できない話し方をしていた。

 エリツィン自身、議会に対する行動の後では、好かれるよりもずっと恐れられている。かれはエイハブ船長のような陰気な人間になり、変化の嵐が船員たちを途方に暮れさせ、吐き気を催させる中で、舵輪に縛りつけられている。

 このまま続くわけはない。しかし、続くしかない。もう数年もすれば、人々を黙らせるのは現在より一桁も二桁も難しくなる。「新聞を休刊する」しても、人が知るのを止められなくなる。地下鉄で足元の箱からテレビのアンテナを売っている男は、その頃までには欲しい人みんなにテレビアンテナを売り終えているだろう。高級アパート群の壁から生えている逆さまのキノコのような衛星アンテナは、全員のアパートから生えだすだろう。半ば犯罪の資本主義経済は、あまりに広範化し、誰もがその共犯者となるだろう。年老いた人々は、なくなった5コペイクのバス賃に涙しつつ、失意のうちに続々と死に、共産主義とは何も知らず、学ぶ興味もなかいピオニールの子供たちは、自分で物事を切り回し始めるだろう。

 これだけの恐怖にもかかわらず――そして恐怖は確実にあるのだ、洞穴の奥からの湿った腐乱臭のように――モスクワは美しい都市だ。モスクワの毎日は生き生きとした冒険のようだ。ぼくはモスクワで、ここ数年間他の場所で驚かされたよりもっと驚かされた。まるでおとぎ話だ。そこでは、ストライプのあめみたいな、荒廃しつつある宮殿は、子供たちの骨を粉にする巨人の死体に必要な付属品なのである。

 ぼくは冷戦中に生まれ、聖なるアンドレイ・サハロフの作った何万ものソビエト水爆の邪悪な影の中で一生を過ごしてきた。でも、本当にモスクワは気に入った。この場所に魅力を感じ、深く感動し、恍惚となった。すぐにも戻りたい。モスクワになら住める。あの恐ろしい首都に住み、変なイカレた中毒性の危なっかしい生活を送れる。そしてほんの少しの幸運があれば、幸せに暮らすことだってできる。

 なぜか、幸せなロシアというのは一番ありそうにないシナリオのように思える。豊かで幸せで創造的なロシア。解放的で世界に偉大な貢献をする、繁栄して創意に富むロシア。幸せなクマ。でも、そのすべてにもかかわらず、長く醜い今世紀の教えのまっとうさを無視してでも、われわれは幸福なロシアを想像してみなくてはならない。■ ■ ■

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