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書評:「インターネットの思想史」(喜多、青土社 2003)

(「エコノミスト」4月29日・5月6日合併号(2003、毎日新聞社)p.???)

山形浩生

 インターネットが、現代世界における文化経済的な一大イベントであることは今更言うまでもない。本書は、その起源となったARPANETの歴史を探り、従来はパソコン概念の祖の一人と考えられていたリックライダーが、インターネットの起源でも大きな役割を果たしていたことを、入念なインタビューと資料解読によって明らかにした労作である。現在のぼくたちは、パソコンをネットワークにつなぐ、という形のインターネットを当然のものだと思っている。しかしコンピュータの発達にあたり、一人一人にパワフルな個別マシンを与えようとするパソコン的発想と、万人を大きなネットワークにつなごうとするインターネット的発想とは、系譜としてむしろ対立するものとすら言える。本書により、リックライダーはその両方に影響を与えた希有な人物として明確に位置づけられた。そしてかれが方向性のちがう二つの考えの間を行き来するに至った政治・技術・文化的背景の解読過程は、刺激的な読書体験をもたらしてくれる。

 ただし本書で注目されているのは、単に時分割型のネットワークによるリソース共有、というインターネットの発想のごく一部でしかない。そのごく一部の起源について、いわばリックライダー史観が提出されたにとどまる。でもそれでぼくたちのインターネットに対する見方が変わるわけじゃない。アカデミックな研究の中では有意義だろう。でも、その外で価値を持ち得ているか?

 著者はラインゴールド『思考のための道具』におけるリックライダーの扱いを、批判的な参照点として位置づけている。ぼくはラインゴールドが必ずしも好きじゃない。でも、かれの文は世界を広げるビジョンを持っていたことは否定できない。喜多流のリックライダー像には、残念ながらそうした力はない。さらにこれを「インターネットの思想史」と呼ぶべきだろうか? 250 ページにわたる ARPANET の歴史解説は、いまのインターネットを支える思想の中でそんなに重要か? 著者もその点は自信がないらしく、最後の 3 ページほどに押し込まれるインターネットのその後の歴史の記述はずいぶんと欲張りでこじつけがましく、特に最後の 1 段落の開発思想史の役割に関する記述もえらくいいわけがましい。インターネットの細かい歴史に興味がある研究者にはお薦め。それ以外の人は、まあかなり余裕があればどうぞ。

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