山形浩生
トーゴフ『ドラッグ・カルチャー』(清流出版)書評 (図書新聞 没原稿 2008/2)
要約:60 年代以来、サブカル系の人はあれこれクスリをやってました、などという常識をくどくど書き連ねただけの本で、目新しいものはなにもなかった原著だが、かろうじて価値を与えていたドラッグ施策やリハビリ施設などの章を削除することで、原著唯一の取り柄だった網羅性すら殺してしまった邦訳は犯罪的である。
ずいぶんと古い本を、なんで今頃翻訳したんだろうかといぶかりつつ読み進むうちに、原著が 2004 年刊だと知ってぼくは驚いた。1980 年代初頭に書かれたくらいの本にしか思えなかったからだ。ビート文化やヒッピー文化の主要メンツがみんなドラッグ漬けだった、なんて話を今更聞かされましても……
だがこれはまさにそういう本でしかない。何か新しい発見はあるだろうか? 何もない。それを知ったことで新しい示唆は? これもなし。
50 年代以降のアメリカのサブカルチャーは、確かに時代に応じて特定のドラッグと結びついてはいた。ジャズやビート文化は、大麻やバロウズに代表される阿片類が大きかった。60 年代サイケデリック文化は、もちろん LSD をはじめとする幻覚剤だ。70-80 年代のヤッピー文化はコカイン使用と密接に関連し、ギャングスタ文化の成立にはクラックが大きな影響を与えてきた。90 年代レイブ文化はエクスタシーの利用が大きく関与している。本書は一応、いろんな人の話をもとに、そうした時代の雰囲気やドラッグ使用の様子をそこそこ臨場感ある形でまとめてはいる。
でも、どれも聞いた話ばかりなんだ。
もちろんそれは、評者がバロウズやリアリーやトンプソン等をやたらに訳していて、一般読者に比べて無用に知識が多いことも関係しているんだろう。本書を読んで、知らなかったエピソードに遭遇する人も多いだろう。でも……そのエピソードが何にも貢献していない。だれそれはコカインをやって大喜びでしたが、その後リハビリが大変でした。へーえ。それで?
著者は基本的に、中立であろうとする。ある文化の成立と拡散にドラッグが関わっていたことを書きつつ、ドラッグのためにひどいめにあったことも書く。結果的にそれは、単なるディテールの羅列となっている。で? それで? 序文で著者は、ラム・ダスに本書が「答えと同じくらい多くの問いを投げかけることになる」と言われたという。かれは正しかった。確かに本書は、答えと質問を正確に同じ数だけ投げかけている。ずばり、その数は……ゼロだ。
そして本書に答えがないのは、もちろんそもそも何も著者に問うべき質問がないからだ。著者はそれが、自分の公平さのあらわれだと思っているんだが、実は無定見なだけ。本書には、まともな切り口というものがなく、明確な視点もない。だから本書はやたらに長い。無定見なまま、集めたネタをひたすらつめこんでしまったからだ。ちなみにかれは、ドラッグ利用者が過剰摂取で死んだりしたことを書けば、ドラッグの否定的な面を言えたことになると思っている。でも、ジャニス・ジョップリンの死や一部の人々の悲惨な死に方は、一部では文化的な伝説となって神話化されてしまっている。著者はそういう認識すらない。ついでにかれが9章でまつりあげている晩年のリアリーは、アルツハイマーで完全にわけがわからなくなっており、その勇ましげな発言のほとんどはボケ老人のヨタでしかない。それに触れることなくはしゃいでいる著者は、調査力か誠実さのいずれかの点で問題があると思う。
が、原著の多少なりともよいところは、一応現代にいたるまでずっと各種のドラッグと文化の関わりを追いつつけた網羅性だった。ところが。邦訳はそれをわざわざぶち殺している。アメリカの公共的なドラッグ対策、ドラッグ更正施設、80年代のクラックを中心としたギャングスタ系の話題、ゲイ文化などを扱った章を、邦訳ではカットしたそうな。こうした章があれば、ドラッグに関するもう少し長期的な視点のある本になったかもしれないのに。比較的報道されていない話が書かれていることで、多少なりとも現代的な価値が出たはずなのに。
なぜそういう章をカットしたのかは書いていないが、理由はだいたい見当がつく。これらの章には、たぶんそんなにネームバリューのある有名人が出てこなかったのだろう。そして特にこうした章では、おそらくジャンキーたちは、そこではあまりよい描かれ方をしていなかったのだろう。クラックは本当に悲惨だったし、更正施設はたぶん気が滅入るところだっただろうし、警察のドラッグ対応がジャンキーに好意的だったはずはない。
訳者や版元は、それを敢えてカットしてしまった。かれらは(意識してか無意識のうちにか)ドラッグ利用の否定的な部分を隠そうとした。かれらはおそらく、ドラッグ利用が反体制でヒップでかっこよいものだと思っていて、そうした部分だけを温存しようとした。結局残ったのは、60年代のドラッグカルチャー翼賛武勇伝と、その人々の後日談だけ。
原著が大した本だとは思わないが、一応はバランスある書き方をしようという努力はしていた。だが邦訳はその原著の持っていたかすかなバランス感覚と、唯一ほめられる部分だった網羅性まで削り取ってしまった。やれやれ。
残った本は……もともと痛かったアナクロな本をさらに劣化させた、扱いに困る代物だ。もちろん、読んで知らないエピソードに出会うことはあるだろう。その意味で、ディテール集としてはいいのかもしれない。拾い読みにはむいている。60 年代のドラッグ文化の武勇伝を何も知らない人は、ちょっと得るところもあるだろう。いま、そういうネタをまとめて提供してくれる本がかなり絶版になっていることでもあるし。が……いまさらそんなネタを知って、この 21 世紀に生きるあなたに何か益があるとはあまり思えないのだ。
図書新聞の依頼に応じて書いたもの。以前、この手の新聞に寄稿したときに罵倒書評を書いたら、それについて担当編集者が陰口をたたいていたとノアアズサが言っていたので、これを引き受けるときにはそれについては確認した。やりとりは以下の通り:
お返事ありがとうございました。
昨日は一日出張校正で印刷所へ行っていたためにお返事遅れまして失礼いたしました。
> やりましょう。これは誉めなくてはならない書評でしょうか。以前に某紙で罵倒
> 書評を書いたら蔭でいろいろ愚痴を言われていたようなので。提灯持ち書評もや
> りますが、その場合は原稿料を多めにいただかないといやです。原稿料について
> もお知らせください。「誉めなくてはならない書評」ではありません。
で、読み始めたらいやひどい本で、遠慮なく罵倒したら……結局はほめないといけないそうで、これではダメだと言われる。やれやれ。期待はしていなかったがしょせんその程度か。「硬派書評紙」が聞いて呆れる。ウェブページには「媚びない。退かない。甘くない。そのラジカリズムに徹した辛口の本格書評は、知識の修羅場を生き抜く指南の書」って書いてあるけど、しょせんはポーズのようですな。ちなみに、原稿料は(たった)7000 円(税込み)だが、没でも一応くれるとのこと。
この本の邦訳を担当した宮家あゆみという人物は、「アメリカン・ブックジャム」の関係者。この雑誌はいまだに古くさいヒッピー色をずっとひきずってるところで(それはこのウェブサイトのケルアックがどうしたいう話を見れば一目だろう)、ぼくはゴミクズだと思ってる(つーかページの更新も止まってるようだが、雑誌として続いてんのかね)。以前ももめたし。でも、ここまで犯罪的な本の改ざんをするとは思ってなかった。
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