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Infomal-インフォーマル (TOTO 出版) について

(DETAIL Japan 2005年8月号 p. 108)
山形浩生<hiyori13@alum.mit.edu>


 得体の知れないぐにゃぐにゃした現代建築のドローイングを前に、多少なりとも建築の心得がある人なら「これは一体どうやって立つんだろう」と不安になったりもするはずだ。かつてはほとんど一体だった――少なくとも相互に何らかの関連性を持っていた――構造と建築デザインは、近年になってますます分離が進んでいる。そしてそれに伴い、現代の建築デザインの多くは張りぼて的な印象が強くなっている。それが現代建築を取り巻く軽蔑と不信感にもつながっている。

 対応はいくつかある。フォスターの香港上海銀行のように、構造をデザインの核とする手法が一つ。そしてもう一つの手法は、奇矯な形態に対応した奇矯な構造をもってくること。本書の示すのは後者の実践だ。コールハースらのヘンテコなデザインに対し、負けずにヘンテコな構造を提示すること。そして後付で構造を考えるのではなく、デザインと構造を同じ原理から出発させることでデザインと融合した構造を考案すること。

 簡単なスケッチや構成原理から出発して建築デザインとためを張る構造が生まれてくるプロセスは実に刺激的だ。構造を単調でつまらない裏方と思っている多くの人々は、本書を読んで認識を新たにするだろう。大学の建築学科などでは学生にヒエラルキーがあって、頂点がはデザイナー、次いで構造、次いで設備や材料、一番下が建築史なんだよ、とかつて藤森照信が自虐的に述べていた。でも、本書を読めば構造屋さんにも、デザイナーと同じくらいの独創性やデザイン能力発揮の場があることがわかる。やり方次第では、構造設計だってこんなにユニークなものになれるのだもの。

 ただし……ホントにそれが望ましいことだろうか。奇矯なデザインに対し、なぜ無理に奇矯な構造設計をしなくてはならないのか? さらにある空間的な問題を解決するために構造を工夫するなら話はわかる。しかし本書の構造の多くは、抽象的なコンセプトの実験となっている。構造を意匠のお遊びにつきあわせすぎるから、ドゴール空港第三ターミナルの倒壊のような惨事が起きるのではないか?(注:記憶ちがい。正しくは第二ターミナル) やはり構造屋さんは保守的なエンジニアとして質実剛健に徹すべきではないか? 実は著者は、本書に出てくる無理数の定義や自然数の定義や、いくつかの数式を完全にまちがえていた(翻訳時にぼくが直した)。そういう著者が構造設計した建物は、それがどんなに独創的なものでも(いや独創的であるほど)自分の命を預けるほど信用できるだろうか。

 訳しながら、ぼくはこの二つの思いの間を揺れ動いていた。本書には、構造設計で通常は見過ごされている可能性を明るく歌い上げる。本書に充満したその喜びを、多くの人に是非とも読んで体験してほしい。構造で、こんな、思いもよらなかったことができてしまうのか! だがその一方で、疑問は残ってしまう。できてしまうからといって、やるべきなんだろうか? 本書はおそらく著者の意図しなかったところで、構造設計という分野のあり方を考え直させるものでもあるのだ。



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