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内なるネコに包まれ

(「翻訳の世界」1996? わたしの訳した本)

山形浩生

 群がるネコどもを屠殺しつつ進むと、何もない不思議な場所に出た。

 擦り寄ってくる媚びネコ。毛のないヌードネコ。うまく着地するか見たくて、五階建てアパートの屋上から放り投げたら死んじゃったネコ。ニヤニヤ笑いを置き忘れたチェシャ猫。グシャリともヌラリともつかない感触をハンドルに残して潰れたネコ。いつの日か人間になるつもりのネコ。泳げるかどうか、ためしに多摩川に投げこんだら溺れたネコ。まつわりつくのを踏み潰した。逆立てた背中の毛が針になったトガリネコ。とびかかってくるのをバットで殴り殺した。日本人形に変身するネコ。じゃれつく前足をつかんで、壁に叩き突けた。実験用ラットのように、しっぽを引っ張って脊椎を折ろうとしたがうまくいかず、しょうがないので背中をなぐりつけたら、内臓破裂を起こした。電子レンジに入れたら三分で破裂した。カッターでのどに切れ目を入れ、皮だけ剥いだ。目玉を針でつつきだしても死なないので、手足だけへし折ってうっちゃった。子ネコは定石通り川に沈め、アブクを吐いて沈むのを眺めた。母ネコは川岸に生き埋めにした。灯油をかけて焼き殺した。注射器でガソリンを注射し、火を点けようとしたが、ガソリンを注射した時点であっさり死んだ。疲れてきたので、あとは千枚通しを三本右手に持って、片端から首につきたて、頭ごとむしり取った。妙に塩気の薄いネコの血が降り注ぎ、あたり一面がドス茶色となっていた。それとも、目に入ったネコの血のせいか。それがふととぎれて、いきなりネコも血もない白い場所に出た。

 ふりかえると死にきれないネコどもがまだうごめいている。ふと人の気配がして、目の前をスーツ姿の爺さんがスローモーションで走っていた。

 走りながら、爺さんもふりかえっていた。でも、からだはまっすぐ前を向き、腕を差し伸べている。頭だけが、エクソシストのように真後ろを向き、声もなく号泣している。

 頭が見つめる先には、頭にシャンペングラスを乗せた女が額から血を流して死んでいた。でぶの息子が恨めしく死んでいた。一生スネをかじられ続けた両親が、不肖の息子を嘆きつつ死んでいた。親の世話を押しつけられた爺さんの兄が死んでいた。恋人らしき青年たちが、惨めに、あるいは幸せに死んでいた。爺さんは、必死でそこに戻ろうとしているらしい。でも戻ろうとするほど、百八十度ねじれたからだは全速力でそこから遠ざかる。それで爺さんは、一層号泣する。涙もスローモーションでちぎれ落ち、三十秒もかけて地面に滴るのだった。

 スーツの懐ではぼんやりしたシュレーディンガー猫が、前足をのばしては後ろ向きの爺さんの首筋にじゃれていた。その時だけ、爺さんの涙が少し減る。

 そのネコに狙いを定めて引き金を引いた。三回。弾は確実にネコを撃ち抜いた。白い空間の中を、赤い飛沫が散る……と思った瞬間、ネコは空間に満ちた。空間すべてがいきなりネコ化した。殺したネコも、爺さんの死んだ家族も、みんな確率密度となってネコ内に遍在していた。その中を、ひときわ濃厚なネコ雲に包まれ、爺さんはいまや嬉しそうにふわふわと走り、小さくなって、そして消えた。

 もう一年も前のことだ。

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