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ファクタ

テクノロジーの欲望:J・G・バラード追悼

山形浩生

『ファクタ』2009/06月号「ある人生」欄

要約:バラードは技術と人間の関係を考え続けた希有な作家であり、かれのビジョンはその没後も生き残り続ける。


 ジェイムズ・グレアム・バラードは、二十世紀最大のSF作家だった。いや、SFに限らなくてもいい。バラードは一貫して、科学技術と人間との関わりを考え続けた作家だった。それはまさにSFの主要テーマであり、そして近代化を終えた社会における、あらゆる小説のテーマでもあるはずなのだから。そしてかれは、作家ならではの直感を持って、現代の技術主義の根底にある人々の異様な欲望をあらわにした唯一無二の作家だった。

 かれの最も有名な作品は、スピルバーグ監督で映画化もされた『太陽の帝国』だろう。一九三〇年、第二次大戦前夜の上海に生まれたバラードは、日本軍の侵攻に直面して幼少期を収容所で過ごした。その時の体験を描いた作品だ。人間の攻撃性の表現としての戦闘機や兵器、日常となった人々の死、荒廃した人々の心に呼応するうち捨てられた廃墟の数々――その風景は後の作品にも大きく影を落とす。

 作家としてのデビューは一九六〇年代。『ヴァーミリオン・サンズ』、そして大傑作『結晶世界』などの初期作品では、SF的な新技術や天変地異が人間精神を増幅する様子が見事な筆致で描かれ、評価を得た。

 だがその後のバラードは異様な世界に入り込む。まわりを見てみよう。オフィス、高層ビル、高速道路、テレビCM、巨大看板、医療と情報。我々の日常はそうしたテクノロジーの産物に形成され、感情や性欲はメディアに左右されている。

 かれはそうした技術による人工の風景こそが、我々にとっての自然な景観だと考え、科学の産物とメディアによるセレブ崇拝報道とがひたすら羅列される景観を描いた。そしてその風景の中、自動車事故やセレブの死亡報道に性欲を感じる男が、自らエリザベス・テーラーと交通事故心中しようと画策する異様な作品『クラッシュ』を筆頭に、技術が人々の原初的な心理を刺激する様子を描いた連作が続く。

 だれも気づかなかった欲望と技術との不思議な関わりをえぐり出した一九七〇年代から八〇年代のこれら作品群は、バラードの頂点だった。つまらない技術批判ではない。おめでたい技術万能論でもない。現代技術と資本主義の暴走が、人々の根源的な欲望の働きといかに深くからみあっているかをここまで徹底して描き出せた作家は、バラード一人だった。

 その洞察は、いまの技術資本主義の本質に作家だけができる形で到達していた。そしてそれは、今回の金融危機ごときでは(一部の浅はかな学者の主張とはちがい)資本主義が崩壊したりしないことも教えてくれる。それは我々自身が、口先では否定しつつも心の奥底に抱いている暗い欲望の発現なのだから。二〇世紀末にそれを異様な迫力をもって教えてくれたバラードの作品群を、我々はまだ何度でも読み直す必要があるだろう。自分たち自身の欲望を再検討する意味でも。それは我々にバラードが残した宿題でもあるのだ。

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