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金のはなしである。

(秋葉原TV カタログ、2000年6月刊、2000/05/20脱稿)

山形浩生



 現実的に考えて、秋葉原テレビのような試みは、イベントそのものに使われたリソース――たとえば製作コスト――以上の経済的な影響をもたらすことは、ありえない。まだ。規模が小さすぎるし、それがあることさえ認知されていないし、知らなければやっていることがわからないし、知っていても見つからないし、秋葉原側にとってのはっきりした必然性がないし、まだ「やらせてもらってる・やらせてあげている」という感覚で行われているのがかなり見え見えだし(実はそうじゃないのかもしれないけれど、どうしてもそう見えてしまうのだ)。たぶん、最初はまあとりあえず無害であること、特に大きな手間がかかるものではないことをアピールするという意味でいまくらいのもありかな、という感じではあるのだけれど、たぶん今後、これに経済的な意義を持たせるとしたら、もう少し考える必要が出てくると思う。

 個人的には、もうちょっとしばりをきつくするとかいうことが必要じゃないか、とは思う。たとえばMTVは現代アーティストやアニメータをたくさん使って自分たちのスプラッシュをやらせているけれど、みんないろいろやりつつ、最後はMTVのロゴでオチをつけなきゃいけない。それともちろん、放送時間の枠がある。でも、そのしばりさえあれば、ロゴでどう遊んでもかまわない。なんかそういう、最終的に見る人がだまっていてもオチなり結びつきなりを理解できるよう強制するしばりがあったほうがいいなとは思う。作品のかなりの部分に「どうしてこれを秋葉原で見せなきゃならないのだ」という疑問は起きたし。それは最終的には、もっと現実的な効用ってものを作品に要求することになるわけだけれど、個人的にはぼくは、現実的な有用性を考えているモノのほうが往々にしてできがいいと思うし、それに経済ってのは、そういう現実的な効用の話ではあるのだ。

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