山形浩生
『建築雑誌』(日本建築学会)2011年3月号
要約:『建築雑誌』2011/1月号「未来のスラム」特集に対するコメント。スラムは圧倒的だが、それが拡大する一方で共存するしかないという諦念に満ちた特集は残念。実際には、社会が豊かになればスラムは自然に消え、いずれ物珍しさと回顧だけの対象になる。スラム撲滅を目指してそれを実現した先人たちに比べ、そのビジョンも希望も持てない建築家って、情けなさ過ぎ。
途上国の巨大スラムが持つ迫力は圧倒的だ。その惨状と活力の異様な混在を目の当たりにしたときの、途方にくれたような諦念は、ぼくも知っている。
そして「未来のスラム」特集のほとんどの論考も、その諦念の産物だったと思う。未来の都市はスラムに飲み込まれる、共存を図るしかない、と。だが建築の仕事とは、現状のだらしない延長と肯定ではないはずだ。住民にとってはスラムの貧困ですら、農村の貧困よりはましだ。そして彼らはさらに生活を改善させたい。建築の仕事はその希望に応え、今のスラムに甘んじない物理環境改善の可能性を示すことだろう。
住民たちの生活改善の大きな裏付けとなるのは、むろんその国の経済発展だ。残念なことに、論考の中には経済発展の意義を否定するものさえ見られた。が、数十年たてば、いまの最貧国ですら貧困ラインを脱する。そのときそこの人々はスラム暮らしで十分と考えるだろうか?
ぼくはそうは思わない。彼らは確実にもっとよい環境を望み、それを手に入れる。そのとき、スラムは消える。
するとたぶん今世紀末には、スラム問題は過去のものとなるだろう。いま、南アやナイジェリアではスラム観光ツアーが人気だ。「未来のスラム」は存在しないか、ノスタルジックな保存対象にすらなるかもしれない。
そこまでの道筋は容易ではないだろう。目前の問題指摘は重要だし、当事者たちの苛立ちもわかる。過渡期では、紹介された発想のいくつかも参考になりそうだ。だがその先を考えなければ。概念的な線引きの見直しなどで問題から目を背けるのではなく。特集で指摘されたように、まさに先進諸国はそれを実現したのだから。
山形浩生 (Hiroo YAMAGATA)
開発援助コンサルタント、翻訳家
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