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ヒルズライフ29

六六開発の影響:五周年によせて

山形浩生

(ヒルズライフ 29号 2008/5)

要約:六本木ヒルズこと六六開発は、都市開発の可能性(よくも悪しくも)について人々の注目を集めた。その後、あらゆる開発は六六開発を一つのベンチマークに評価されている。思い通りでないところもあったし、もちろん時代の流行は流れゆくけれど、でもその参照点の構築は重要なことだった。


 六本木ヒルズ、というよりぼくは開発途中のコードネームだった六六開発というほうが親しみがあるのだけれど、この開発では竣工前のコンセプトブックなんかで協力させてもらったので、多少思い入れがあることはあらかじめ述べておこう。そしてそれは、かなり楽しい仕事だったことも。大規模とはいえ、しょせんは一介の都市開発事業が、いったい東京や都市の未来像に対してどんな問題提起ができるだろうか。そんなことを真面目に考える機会はそうそうあるもんじゃないし、そしてそれを考えさせてくれるだけの特色を持つ開発も、そうそうあるわけじゃない。いまやそこらのマンションでも「新たな都市居住の提案」なんて広告をうつけれど、本当の意味での「提案」に値するものがどれだけあるだろうか?

 もちろん提案である以上、ありとあらゆる人が賛成してくれるはずもない。まともな意味での提案であればあるほど、覆されまいとする既成概念は抵抗しようとするだろう。そして確かに、六六開発はそれなりの批判を受けた。そのかなりの部分は、とにかく高層ビルはよくないという変な固定観念の産物だったり、言っちゃ悪いけど貧乏人のやっかみと言いがかりでしかないものばかりだったとは思うけれど。でも、そうした批判が落ち着いたいま、六本木という都市の人の流れを変えるというこの開発の当初の意図は見事に成功しているように思う。それは六本木という町の重心を変え、人々の動線を変えた。個人的な経験から見ても、この開発があるために、西麻布や麻布十番方面への人の流れは圧倒的に増えた。そしてヒルズ族という呼び名にまつわる印象の善し悪しはあるものの、そうした特徴的な仕事と居住の組み合わせ提案は確実に市民権を得たと思う。

 もちろん、すべてが当初の思い通りだったとは思わない。個人的にも、模型で見ていた頃はタワーのものすごい高さに目を奪われて足元にあまり注意が向かなかったのだけれど、できてみるとうろつくのはもっぱら足元だ。その部分の印象は、やっぱり模型とはかなりちがう。一つには、タワーが丸いせいもあって、うろつくうちに方向感覚がわからなくなりがちなこと。広いデッキと高低差のために、上下の位置感覚もつかみにくいのは難点。そして特にテレビ局の部分とのものすごい高低差は、模型で見ていたときとはまったくちがう。平面図では緑地がかなりある印象だったけれど、テレビ局側についた部分が多くて、みんながでかけることの多いタワー周辺部だと今ひとつその印象が薄い。まあこの程度の印象の差は、どんな開発にもあるものだし、規模が大きければ大きいほどそうしたイメージのずれも生じやすいのは仕方ない。

 が、それでも竣工後五年たったいま、そうした予想とのずれも含めてぼくは六六開発が残した(そしていまなお残しつつある)インパクトは非常に大きかったと思う。日本の景気がまだまだ悪かった時期に、都市開発が社会や経済に対して刺激を与えることができ、よくも悪しくも社会文化的な核となり得るだけの力を持てるということを如実に示してくれた意義は大きい。六本木ヒルズより少し前に、汐留などの大規模開発も竣工していたけれど、それらは個別のビルの集合体という以上の意義を持ち得ていないように思う。容積率をどう埋めるか以上のものを示し得ていないように思う。

 その後、景気も回復してきたこともあるし、また新しい大規模開発もチラホラと見かけるようになっている。飽きやすい人々やメディアは、「もう六本木ヒルズよりXX開発だよ」なんてことをしばしば口走る。でもそういういわれ方をすること自体が、六本木ヒルズの持っている影響力を如実に物語っている。現在の開発で、何らかの形で六本木ヒルズを意識していないものはほとんどないだろう。それがアンチテーゼとしての意識であっても。ぼくは、21世紀の日本の都市開発における、そうした参照点を提供したことこそこそが、六本木ヒルズのもたらした最大の影響だと思っている。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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