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Conversations on Consciousness

意識とは何か? 「人間である」とは?

Susan J. Blackmore, Conversations on Consciousness: What the Best Minds Think About the Brain, Free Will, And What It Means to Be Human (Oxford Univ. Press, 2006)

(『一冊の本』2006 年 5 月号 pp.38-9)

山形浩生

要約: 意識に関する世界中の識者にインタビューしてまわったおもしろい本。まだ定説のない分野なので議論は百花斉放。だがインタビュアーは深い知識と見識を持っておもしろいつっこみをたくさん入れ、分野の全体像や見解の相違点を浮き彫りにすることに成功していると同時に、一部の識者からは驚くようなコメントを引き出すのに成功している。




 意識というのが何で、それがどんなふうにできあがっているのかという問題は、現在は諸子百家状態。意識の本質は脳とは別にある、いや脳がすべてを作っている、いや脳もいらなくてコンピュータでも意識は作れる等々定説もなく、まるっきり対立する各種の見解が乱立している状態で、同じ方向性の中でも論者の意見が細かく分かれて大激論が展開されている。どれもそれぞれにもっともらしく、またどれもそれぞれ欠点を持っている。さてこれをどう理解しよう? 各種論者の著作すべてに目を通すほど暇でなし。あまり特定の立場に偏った著作も読みたくないし、一方で変な気配りをしすぎてどっちつかず状態に取り残されるような本もいやだ。さて何を読もうか?

 この本は、そんなあなたにお勧めの一冊。世界中の意識に関する大物研究者を集めて、一貫性のある形で次々にインタビューをしていった、他にちょっと例のない本だ。

   もちろん、インタビューのよしあしはインタビュアー次第。だが本書のスーザン・ブラックモアは、この分野の科学ジャーナリストとしては申し分のない存在だ。「ミーム・マシーンしての私」(草思社) の著者として知られる彼女は、意識についても明快な立場を持っていて、そこから質問を繰り出す。

  彼女は意識も唯物的に説明できるという立場をとる。「魂」とか、物質的に説明できない意識の本質とか、「クオリア」といった世迷いごとには容赦ないつっこみが入る。彼女は相手の議論をちゃんと理解しているし、それに対する批判や弱点も熟知していて、それを遠慮なくぶつける。なぜ意識というのはむずかしい問題なのか、人間とまったく同じ反応や受け答えをするのに内面的には意識を持たない「ゾンビ」というのはあり得るか――いくつか共通の質問をしつつ、それぞれの論者にあわせた鋭い質問が繰り出されるのは実に爽快。主観性にこだわる論者に対しては、禅の体験を交えた「自己」の仮想性まで持ち出されるのは、人によってはオカルトめいていて嫌だと思うかもしれない。でもそれが確かに一部の論者の議論に対しては有効な反論になっているのには驚かされる。

 インタビューされているのは、ペンローズからチャーチランド夫妻、ヴァレラからチャーマーズまで様々だ。ラマチャンドランのような医学系の人も、デネットのような哲学者も、コンピュータ屋も脳学者も認知科学者もなんでもござれ。本書に対して本国版アマゾンの書評で「まとまりがない」という批判がついているのは驚くべきことだ。まとまりなんかあるわけがない。まったくちがう見解を持つ人々の意見をきいて、それがいかにバラバラかを知り、議論のスペクトルを総覧できるのが本書のよさなんだから。そして、たとえばチャーチランド夫妻の口の悪さをはじめ、それぞれの論者の性格もうまく引き出せているように思う。

 しかも本書は単なる総覧にとどまらず、びっくりするようなコメントを一部の論者から引き出すのに成功している。特にチャーマーズ。意識というのは機械的には作れず、だから機械がいくら人間のように振る舞っても、その内面に意識はないゾンビなのだ、とかれは主張していた。ところが本書では、人間とまったく遜色ない受け答えのできるコンピュータができたら、たぶんそこには意識が発生しているだろう、とのたまう。自分のゾンビ説は、理屈の上からはそういうものもあり得るだろう、という話だということだそうな。おい、おい! 『意識する心』(白揚社刊)でのあなたの立場はどうなったんだよ!

 またペンローズは、意識は計算不可能なものでも答えを出せるから、計算機では決して再現できないという立場だ。細胞の中で起きる量子的なプロセスがあって初めて意識は可能なのだ、とかれは主張している。そしてそれに基づいて、細胞の中の管状構造の中の量子プロセスに注目している人もいる(本書でもインタビューされている)。ところが、ペンローズはこのインタビューで、かれは別にそれにはこだわらない、というフォロワーたちが卒倒するようなことを言っている。ほかに思いつかないから量子的なプロセスと言ってるだけで、代案が出てくればそれでもいいのだ、と。えー、そうなんですか! いや驚いた。(注:掲載分では、ここでペンローズを他界させてしまいましたが、存命中です。同じく本書に登場するヴァレラ(2001年他界)とごっちゃになっておりました。失礼)

 完全に楽しむには、ある程度の予備知識は必要だ。たとえばいま述べたようないくつかの点で驚くには、それぞれの論者の主張についておおまかに知っている必要はあるし、ゾンビ問題とかチューリングマシンとかについて、まったく予備知識がないとつらいかもしれない。一応簡単な説明はついているけれど、さすがにそれぞれがどんな論争を巻き起こしたかという説明まではさすがにないし。が、その一方で、一応この分野についてはある程度理解しているつもりのぼくでも、知らない議論は山ほど出てきて勉強になる。特に、人は実は視界に写っているものを見ていない、というチェンジブラインドネスの指摘と、そこから出てくる意識の構造に関する示唆は実に興味深いんだが、残念ながらここでは紹介しきれない。読んでください。

 ところでブラックモアが本書でやっているちょっと変わった趣向としては、相手の実生活について尋ねる、というものがある。それも世間話としてじゃない。意識についてあれこれ考えるうちに、自分の意識、自分の人間観が変わったか、そしてそれが自分の研究以外の人生に影響を与えたか、という話だ。人はなぜ意識に関心があるか、そしてなぜそれが大きな議論のもとになるかといえば、それがまさに自分自身の存在についての考え方に関係してくるからだ。意識は幻想だ、と主張する人は、いったい実際の生活でその発想をどう折り合いをつけるのか? 意識がコンピュータでも実現できると主張する人は、いまの自分のパソコンとの関係をどう見ているのか? もちろん、自分の説と実生活をまったく切り離せる人もいれば、そうでない人もいて、それぞれに弁明もある。さて、あなたはどの人の態度が納得できるものだと思うだろうか?

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YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
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