不定期連載コラム「ぬるぬるりぬっくす」

エリック・レイモンドが日本にきたので、ソフトのインフラ化と独占ソフトの命運について考えてみたのだ。

(Linux Magazine 1999 年 7月発売号)

山形浩生

 こないだ日本に、エリック・レイモンドってのがきたんだよ。エリック・レイモンドっていうと、こんな雑誌を読む人ならほとんどは知ってるだろう。Linuxを一つの旗印にして、これまでの秘密主義ではない公開に基づいたソフト開発を推進しよう、そして(ここが肝心)それがただの理想主義じゃなくて、ビジネス的にも理にかなったものなのだ、っていう旗ふってる、オープンソース・イニシアチブってのがあるんだけれど、そのいわば最大の理論家にして、公式スポークスマンがこの人。この人が書いた、『伽藍やバザール』は、ネットスケープ社にブラウザソースコード公開を決意させた論文として有名だし、続編『ノウアスフィアの開墾』は、オープンソース・フリーソフトにおける所有権の認識についてだれも予想していなかった方向から切り込んだもので、世の(良質の)知的所有権研究者はこれを読んでみんな歯がみしてくやしがってる。

 で、日本にきたのも当然そのからみの話で、オープンソースはえらくてすごいんだよ、という講演をしたりインタビューうけたりで、東京やら関西やらあちこちのたくって帰ってったんだけど、うん、さすがにがっちりした考え方してるし、変なこといろいろ知ってるし(その一端は、ぼくが hotWIRED でやったインタビューにも出てると思う)、とってもおもしろい人だった。

 さて、かれがこんど、Linuxやオープンソースに基づいたビジネスや経済モデルについての論文を出すことになっていて、その筋の人はいまかいまかと多少の冷や汗とともに待っているんだけれど、インタビューのときにその論文の話をすこしきいたのね。すると、まああまり詳しくは教えてくれなかったんだけれど、でも基本的なところは話してくれて、要するにもう情報そのものを商売のタネにするビジネスモデルはお先まっくらで、その周辺サービスをどうするか、というのが商売の中心になるしかないんだよ、ということなんだって。で、論文としては、まずその情報そのものが商売のタネにならないというのを論証したあとで、その周辺サービスのあり方をいろいろ説明していくものになるらしい。

 これ以上のことは話してもらえなかったんだけれど、この人がもう一つ、オープンソースの条件としては信頼性が問題になる話と、ネットワーク性があることだ、といってることからして、たぶんコンピュータってのがどんどんインフラ化(インフラっていうのはインフラストラクチャーの略で、道路とか電気とか上下水道とかの社会基盤のことだと思ってね)しているというようなことを前提とした議論となってくるんだろうと予想されるわけ。インフラ化すると、信頼性がいままでとは比べ物にならないくらい重要になってきて、するとオープンソース・フリーソフトの優位性がどんどん生きてきて、デバッグに投入できるマンパワーの限られた、クローズドなソフトでは追いつかなくなる、という話になるんだろうと思う。あくまで予想だけれど。

 本当に追いつかなくなるのかは、ぼくはまだ確信していないし、うーん、別に商業ソフトが生き残ることは十分可能なような気がするんだ。ただ、コンピュータのある部分がインフラ化しているのは事実で、そうなると、確かにいままで通りのソフト商売ってのはむずかしくなるだろうな、というのは言えるだろうね。

 つまりふつうのインフラを考えてみると、道路も水道も、別に毎年アップグレードしたりしないわけ。一定の水準と仕様があって、それを信頼できるかたちで提供できればいい。で、ソフトもそうなってきたとき、ソフトベンダというのがいままでのようなアップグレード商売ってのができなくなってくるだろうな、というのは予想される。そして Linux ではそのこないだ Linux カーネルの安定版が 2.0 系から 2.2 へとバージョンアップしたんだけれど、これが「出るぞ出るぞ」といいつつ 1 年くらいは先送りになってたやつで、このようすを見て「ほら、もう Linux は一人の手に負えなくなって、安定した発展とバージョンアップができなくなってきてるんだ」と有名なハロウィーン文書で揶揄されたりしていたんだけれど、これは必ずしもそういうことではなくて(そういう面もあるんだろうけどさ)、やっぱりこう、Linux がほぼ固まってきて、いま OS というものに期待される機能については、だいたい出尽くしてきたということも関係しているんだろうと思う。もちろん、 2.2 が出る前にも開発系の 2.1 はたくさん出ていたわけだけれど。でも Linux が盛り上がってきている一方で、その創始者というか総まとめ役のリーヌス・トーヴァルズは、少なくともLinuxのカーネル部分については、そろそろもう頭うちだ、というかなり透徹した認識を持っている。

 「どんな技術でも、いつか成熟するもんで、そうなったらもうあれこれいじりまわすところはなくなってくるはず。Linux(のカーネル)は、もう根っこのところはあまり変わったりしないだろうし、なおす部分も少なくなってくるので、リリースも減るだろう」

――「オープンソース・ソフトウェア」(オライリー)より

 これをはっきり言えるのが、営利目的でないフリーソフトの一つのメリットではある。一方の商業ソフトは、たとえばどこかのソフトベンダーは、毎年一回メジャーなアップグレードをして買い換えを促進する、というような方針をうちだしているんだけれど、だんだんその方針を維持するのがつらくなってきている。すると、エリック・レイモンドの議論(まあ推定の議論ではあるけれど)も、かなり筋は通っているな、という気はするのだ。

 ただ、インフラの実際を見ていると、信頼性というのも絶対的なものではなくて、やっぱりコストとトレードオフで(日本の電力とかは、信頼性は異様に高いけれど、やっぱ異様に高いのだ)、フリーソフトはほどほどのところで止まって、水道があっても高品質の水を売る商売が成立するみたいに、もっと高品質の(高安定性の)ソフトを有料で提供する、という商売はじゅうぶんに成立するはずだなあ、とぼくは思っているのだ。そしてもちろん、まだインフラ化するほどには成熟していない部分というのもあるし、成熟しないでいいところもある。水道はインフラだけれど、それのユーザインターフェース部分というのは、いくらでも変えられて商売がいつまでもできる。ソフトのかなりの部分は、そういうインフラ化しない面を持ってるんじゃないかと思う。特にアプリケーション部分では。それをエリック・レイモンドがどういうふうに論じるのか、というのがぼくの目下の興味ではあるし、ぼくのこの予想をフリーソフト・オープンソースがどう食い破ってくれるか、というのがこの先数年の最大のたのしみでもある。


付記:これを書いたのは、『魔法のおなべ』発表直前の、1999 年 6 月末。エリック・レイモンドがあそこまで「オープンソースは高信頼性」という議論をゴリゴリしてくるとは思っていなかった。あれを読んだ人は「信頼性をあげてお金をとる」というここの議論がおかしく見えるかもしれない。あと、リーヌス・トーヴァルズも、カーネルのリリース回数を増やす、みたいなことをどこかで言っていたので、方針を変えたらしい。だからここに書いた中身がちょっとずれてきている面がある。



Linux Magazine Index YAMAGATA Hirooトップに戻る


YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)