ただし、株価が発狂していたとしても、政策的にはどうすべきなんだろうか(いや、そもそもなんかすべきなのかな)? 連邦準備銀行は、金利をあげてバブルをつぶしたほうがいいんだろうか。それとも、そんなことをしたら不景気になるだけかな? そもそも、消費者物価が安定しているなら、中央銀行は資産インフレなんか鼻もひっかけなくていいのでは?
だれも正しい答を知らない論争の常として、これもえらく血の気の多い険悪なものになった。バブルをつぶせと論じる人たちは、相手側が無責任だとなじり、このままファイナンス上の過剰が続いたら、まちがいなくつらい二日酔い症状の不景気が起きるぞ、と警告した。一方の相手側は、インフレの気配がないんだから、金利をあげるなんてのはただの意地悪で、それこそまさに不景気の原因になるぞ、と論じた。
だから繁栄の時代にあっても、中央銀行屋さんたちというのは、なかなかつらいものなのだ。そしてなにが笑えるかというと、この市場と金融政策についての大論争が起こってから70年もたったいまになって(そう、この論争は 1928 年に丁々発止とやりあっていたものなんだよ。みんなぼくがいまの話をしてると思っただろう――でも、確かに話はまるで同じだな)、いまだにこの議論には決着がついていないのだ。市場が発狂したと思ったら、中央銀行はどうしたらいいんだろうか。
この問題がグリーンスパンを悩ませているのはすぐわかる。心配しすぎるあまり――書いてるだけで怖くなるんだけれど――かれはわかりやすくなっちゃったんだ。グリーンスパンが株価は高すぎると思っていることは、だれでも知っている。でも、ダウ平均が $6,500 だった頃にもグリーンスパンは「不合理な大盤振る舞い」について警告していたけれど、市場はいっこうに納得する様子もない。つまり、どうもグリーンスパンは市場を話術でおさえることはできないらしいね。じゃあ、もっとなにかすべきなんだろうか。
答はノーだ、とぼくはほとんど確信している。経済はほっといたほうがいいと思うのだ。でも、一点の疑いもないほどには確信できていないので、議論の両側を説明しておこう。
手始めに、まずグリーンスパンが正しいとしよう。つまりこれがバブルだと仮定してみよう――しかもそれは P/E 比が無限大のインターネット関連株(だって、インターネット関連株なんてどこも儲けなんか出してないし、いつまでたってももうからない可能性だってあるんだから、E はゼロなんだもん)だけじゃなくて、ほかの株もみんな常軌を逸してるのだとしよう。いずれバブルが破裂して、その破裂の「資産効果」のせいで消費者支出が引きずり落とされる。こうなったら、不景気になる。ただし中央銀行が経済を刺激するために、金利をカットしないとか、あるいはできないとかいう場合に限るけれど。
さてみんなご存じのとおり、もし不景気の気配が出てきたら、グリーンスパンはすぐに手をうつだろう。だからなにが危険かというと、消費者の支出が落ち込みすぎて、金利を下げても効かなくなることだ――まあ日本みたいな状況だね。するとじゃあ、ここでの大問題というのは、これがアメリカであり得るだろうかということなんだ、と思うかもしれないね。
でもこれは質問がまちがってる。たとえば、このバブル大融解のあとで、アメリカ人の消費マインドがあまりに冷え込んで、金利ゼロでもみんなお金を使わなくなったとしよう。でもだからといって、市場が高騰していたときに中央銀行が金利をあげてたら、事態はよくなっただろうか? 必ずしもそんなことはないはず。
ここで理解しておくべきなのは、株式市場の高騰っていうのはモノへの投資ブーム――たとえばマンション建設ブームみたいなものとはちがうんだってこと。マンション建設バブルが未来の消費を冷え込ませるのは、あたりが売れないマンションだらけになっちゃうからだ。でも株価が高騰しても、そんなことにはならないのだ。Croesus.com 株の株価が倍増しても、いまから2年後にドット・コムがいっぱい売れ残って賃料を引き下げ続けるなんてことは起きない。株価があがったのなんて、あくまで紙の上での儲けにすぎない。下がるときだって、単なる紙の上での評価損だよ。どうでもいいではないの。
市場バブルをつぶせという人たちは、いくつかお気に入りのシナリオを持ってる。まずは「上がりがはやいと落ちるのも」仮説だ。株がいま上がれば上がるほど、みんなが正気づいて下がるときの落ち方も激しい――あるいは株価がどうでも、それに対する消費者支出も低くなる――というわけだ。こもこんなのはまじめな分析というより素人心理学で、経済政策の根拠としてはあまりにお粗末。
ほほう、でも負債はどうなんだよ、とこの人たちはいう。市場が急落したときに、あちこちでデフォルトが起きるのを心配すべきじゃないの? もし消費者たちが、証券市場の高騰でお金持ちになったような気分になって、株や消費財を買うのにお金をたくさん借りるようなら、これはあとで支出を下げることになるかもしれない。でも、本当にひどい負債の二日酔いダメージというのは、企業(特に不動産開発業者)が借りすぎるときに起きるものだけれど、これはぼくの知る限りでは、いまのアメリカではあまり問題になっていない。
グリーンスパンの市場介入を正当化するいちばん魅力的な議論というのは、過去の経験からくる教訓だと思われているものかもしれない。アメリカの 1920 年代のバブルと、日本の 1980 年代のバブルは、その後の経済危機のタネを撒いただろう、という議論だ。それはそうかもしれない――でも、いずれの場合にも、中央銀行が市場を落ち着かせようとして金利をあげて、結果としていちばんおそれていた不況を自らまねくはめになったとも言えるんだよ。
じゃあ、グリーンスパンはどうすべきなのか? たぶん、いちばんの得意技をやってくれればいいのだ――つまり、なにもしないってこと――そして、バブルがはじけたらはじけたで、そのときになってから対策をとっておくれ。ああそうそう、それとできれば、人前であんなにおおっぴらに心配するのはやめてくれないかな:グリーンスパンの言ってることが理解できたりすると、こっちが心配になってきちゃうんもので。